僕を止めてください 【小説】
そのあと、少し緊張した清水センセが迎えに来た。目の下に青黒いクマが出来ていた。あまり会話もなく彼の家に着き、彼の買ってきたいつもの松華川のチャーハンを(今回は中華スープ付きで)、いつかと同じダイニングカウンターに並んで遅い昼ゴハンを食べた。片付けた後にいつものコーヒー、いつものマグカップで二人でソファに座って晴れた雪の庭を窓越しに見ていた。ふとやってくるデジャブ感。そう言えば朝もこんな風にコーヒーを飲みながら景色を眺めていた。奇妙な気分になる。
リビングでも清水センセは珍しくあまり話さなかった。疲れているからか、僕に気を遣っているのかはわからない。薪ストーブの音がたまにパチパチ聞こえる。
「あの……いいですか」
「話があるって?」
「ええ。今、話して良いですか? 疲れてたら寝てからでも良いですが」
僕から口火を切るなんて青天の霹靂のような事態だ。
「気になって寝らんないよ。話してほしいな。せっかく君が誰かと一緒に居てもいいって思ってるんだから」
「そうですね。まずはその話です」
「なにが起きたの?……幸村さんとなんかあったの?」
不安そうに訊いてくる清水センセに、僕はすぐにそれを否定した。
「いえ、違います。自分の中で……変化した、というか」
詳しく語るとしたら小さい裕の話をしなければならない。それは今なのか、それとも清水センセが聞きたがっていた長い過去の話をするときまで取っておいたほうが良いのか。まぁ、成り行きだ、と僕は考えるのをやめた。
「僕が死神から悪魔になって、でももう幸村さんにも、清水先生にも自分にもバレちゃったんで、その手はもう使えないって僕の心の奥の何かがわかったんだと思います」
「思います、って、他人事みたいだけど?」
「うーん、自分の奥底の自分、ていうか、それくらい無意識で、普段は僕の意識で捉えられない裏側の声……というか」
「なんでわかったの?」
「今朝、意識上に浮上してきました。前にもあったんですが」
「インナーボイス、みたいなヤツかな」
「よくわかりませんが、内なる声、と訳すのであればそうとも言えます」
「でも、それが今朝、やってきたってこと?」
「ええ、今朝、ひとりでホテルのベッドの中で目が覚めました。自分がやっちゃったことの嫌悪感で最低な気分でした」
「やっちゃったって?」
「幸村さんの押しに負けたことです」
「ああ……ラブホのことね」
「すみません。何もなかったんですが、また思わせぶりなことしてるのを気づかないまま朝になってたんで。人に期待させるようなことをしないように決めたのに」
「幸村さんは思わせぶりだろうがそうじゃなかろうが、関係ないよ、あの人」
「あの、ですね。大丈夫だと思ってたらしっぺ返しを喰らうんです」
「あのさ、そういうの自己責任でしょ? 僕たち大人なんだから」
「それがそうでもなくって」
「精神年齢は置いといて、いい歳してその人の自己責任だよ?」
「人が傷つくのを見たくないんです」
「それはまぁ、わかるけど。でも、幸村さんは傷ついても『名誉の勲章』くらいに思ってると思うよ。タフだもん」
清水センセは小さい裕と同じようなことを言った。