いつか本当の自分に出逢うまで
愛になる時
ベランダから見下ろす街並みが、雲の中に包み込まれている。今年に入って、何度目かの雲海だ。
「いつ見ても不思議な感じ…」
山里ならいざ知らず、こんな街中でも雲海には出会えるんだと、住み始めてから知った。
小高い丘の上にあるマンション、ここにはもう三年住んでいる。
半年前、彼と一緒に住む事を決めた時、ここを離れようと思ったのだけど、
「ここでいいよ。ここで暮らそう」
そう言う彼の提案にとどまった。おかげで今も、この雲海に出会えている。
「美里…おはよう…」
リビングから声がする。やっと起きて来た。
「おはようダイさん、ベランダにいるよ」
カーテン越しに中を見る。パジャマ姿を期待したけど、やっぱり仕事着のままだ。
「夕べは何時に帰ったの?」
外に出てくる彼に問いかけた。大きな欠伸。この調子じゃあ、また午前様だったんだ。
「一時は回ってた気がする…」
眠そうにもたれてくる。その身体を、両手で抱き止めた。
「眠いなら休んでて。その間に朝食作る」
「うん…」
返事はするものの離れない。仕方ない。中へ入るか。
寝室のドアを開けてベッドに彼を寝かしつける。
「大きな子供だね」
笑ってる私に頷いて、すぐに眠り始める。校了を迎えた後の彼は、いつもこうだ。
「おやすみ」
前髪かき上げて寝室を出る。彼の事はとやかく言えない。私もいつも通り、仕事用のテーブルに着いたまま朝を迎えたんだった。
一緒に暮らし始めてから、共に過ごす時間が増えるかと思ったけど、それは大きな間違いで、今も私達は、顔を合わす時間もない程すれ違った生活を送っている。通勤距離が長くなった分、彼の帰りは夜中になったし、私は私で、彼の帰って来る時間帯が一番仕事のノリがいい。そんな訳で、相変わらずほぼ顔も見ない生活なんだ。
「そんなんで、どうして一緒に暮らし始めたの?」
いつだったか、レイラが呆れるように言ったことがある。私もまさか、ここまですれ違うとは思ってなかった。
(いいのかな?このままで…)
そう思うことは多々あるけど、それを切り出せないでいるのは、自分がこの部屋を気に入っているのと、彼が何も言わないことに対して甘えているから。
「三浦君は通勤が長くなった事、不満に感じてないの?」
レイラが気にしていた。私もそれを彼に聞いてみたいけど、当の本人が帰って来るのは夜中で、疲れた顔を見ると、とても聞けなくなってしまう。だからそのままの状態で、半年ほどが経過してしまった。
「ダイさん、朝食出来たけど……起きれそう?」
言葉も遠慮がちにしかかけられない。彼の本心が掴めていないから。
「……起きれるよ…」
明らかに眠そうなのに、そんな返事が返ってくる。もう少し、わがまま言ってくれてもいいのに…。
「じゃあ起きて。卵焼き冷めるよ」
こんなふうに言う自分も嫌になる。ホントはもっと彼を寝かせてあげたいのに。
毎日毎日、積み重なっていく罪悪感。一体いつまでこんな生活を続けていくつもりなんだろう。
「今日は帰り遅いの?」
朝食食べながら新聞に目を落とす彼に聞いた。抱えてるページは一冊だけじゃない。昨日の校了が済んでも、また別のがやって来る。
「うん…多分…」
申し訳ないような顔。そんな表情されると、こっちは何も言えなくなる。
「美里は?原稿終わった?」
私の心配してる。まともにベッドで寝ないから。
「うん、今週の締め切り分は全部書いた。今日渡してくる」
今時は、パソコンやFAXという便利なものもあるけど、古い作家のように原稿用紙にエッセイを書いている私は、出版社の方に直接原稿を手渡している。この方式を取ってるから彼とも再会したんだけど、それはつまり、他の人とも出会うことになるから…。
「食事や飲みに誘われても…」
ほら、やっぱり言ってきた。
「大丈夫、断るから」
ニッコリ笑って返事。だけど不安は尽きない様子。編集者の中には、強引な人も結構多いから。
「安心して。指輪して行くから。結構有効なんだよ。この方法」
半年前、言葉と一緒にもらった指輪。結婚はまだ先だけど、何かの時には身につけるようにしている。
「それに今日はレイラと食事の約束もしてるし、他の誘い受けたりしないよ」
ここまで言ってやっと安心する。彼に気を遣うのは当たり前だけど、少しややこしい。
マンションの玄関先で彼を見送って一呼吸。途端に眠気が襲ってきた。夜型の悪い癖だ。
「お昼まで寝よ…」
掃除や洗濯なんて二の次。いつもこんな感じだ。
「ミリ達の生活ってどっか変。お互い無理してるんじゃない?」
夕方六時に待ち合わせたレイラと食事中、言われた。
「もっと二人で話し合いなよ。こんな生活してたら、いつか関係破綻するよ」
恋愛経験も人間関係も熟知している彼女から指摘されると不安になる。
「私達、そんな変な生活してる?」
まあ、当たり前ではないかもしれないけど。
「そりゃあ変でしょ。一緒に住んでるのに、寝る場所も時間もバラバラなんて。一緒に暮らしてる意味ないよ」
身も蓋もない言い方に落ち込む。確かにレイラの言う通りだ。
「腹割って話しなさいよ。ミリだって思う所いろいろあるんでしょ。遠慮してちゃダメ」
ケンカ別れや価値観の違い、生活のズレが原因で、恋人と上手くいかなくなった経験があるレイラ。仲が良いうちに、なんでも話し合っておいた方がいいというのが持論だ。
「うんまあ…そのうちにね」
本音で語っても、それを受け入れるだけの余裕が無ければ本末転倒だ。話し合うのなら、お互い気持ちに余裕がある時がいい。
「呑気ね〜、こっちがイライラする」
むくれるレイラに謝って、そっちはどうなのと聞いてみた。
「研修医の彼とは上手くいってる?」
レイラにとって、初めての年下の彼氏。付き合い始めてそろそろ半年近くなる。
「いってるよ。こっちはミリ達と違って、お互い本音出し合ってるから」
余裕な感じ。近頃のレイラは落ち着いてて、どこか羨ましいくらいだ。
「でも先週、主任に付き合ってる事バレちゃって、院内でからかわれる事あるから困ってる」
言いながらもまんざらではない様子。ホントに上手くいってるんだ。
「いいな…」
今の彼と付き合いだしてから、レイラが無理をしてないのが分かる。どことなく、雰囲気も柔らかくなった。
「レイラはいい恋をしてるんだね」
その言葉に、少し考えて頷く。こんな可愛い女性にしたのも、きっと年下の彼が彼女を支えているから。
「私達はダメだね…」
比べる事じゃないのかもしれないけど、お互い付き合いだす前と何一つ変わらない。好きだという気持ちだけが寄り添ってても、何も生まれてはこない。
(このままじゃ、ホントに壊れるかも…)
地雷踏むことになるかもしれないけど、勇気を出して聞いてみようか、今の生活に不満はないのかと…。
………新しい道へのドアは目の前にあるのに、気づきもせずに探し回る。大事なことは気づく事で、確かめる事ではないのだと、後になって知るのだけれど、その時はまだ、何も知らずに見過ごしたまま………
「いつ見ても不思議な感じ…」
山里ならいざ知らず、こんな街中でも雲海には出会えるんだと、住み始めてから知った。
小高い丘の上にあるマンション、ここにはもう三年住んでいる。
半年前、彼と一緒に住む事を決めた時、ここを離れようと思ったのだけど、
「ここでいいよ。ここで暮らそう」
そう言う彼の提案にとどまった。おかげで今も、この雲海に出会えている。
「美里…おはよう…」
リビングから声がする。やっと起きて来た。
「おはようダイさん、ベランダにいるよ」
カーテン越しに中を見る。パジャマ姿を期待したけど、やっぱり仕事着のままだ。
「夕べは何時に帰ったの?」
外に出てくる彼に問いかけた。大きな欠伸。この調子じゃあ、また午前様だったんだ。
「一時は回ってた気がする…」
眠そうにもたれてくる。その身体を、両手で抱き止めた。
「眠いなら休んでて。その間に朝食作る」
「うん…」
返事はするものの離れない。仕方ない。中へ入るか。
寝室のドアを開けてベッドに彼を寝かしつける。
「大きな子供だね」
笑ってる私に頷いて、すぐに眠り始める。校了を迎えた後の彼は、いつもこうだ。
「おやすみ」
前髪かき上げて寝室を出る。彼の事はとやかく言えない。私もいつも通り、仕事用のテーブルに着いたまま朝を迎えたんだった。
一緒に暮らし始めてから、共に過ごす時間が増えるかと思ったけど、それは大きな間違いで、今も私達は、顔を合わす時間もない程すれ違った生活を送っている。通勤距離が長くなった分、彼の帰りは夜中になったし、私は私で、彼の帰って来る時間帯が一番仕事のノリがいい。そんな訳で、相変わらずほぼ顔も見ない生活なんだ。
「そんなんで、どうして一緒に暮らし始めたの?」
いつだったか、レイラが呆れるように言ったことがある。私もまさか、ここまですれ違うとは思ってなかった。
(いいのかな?このままで…)
そう思うことは多々あるけど、それを切り出せないでいるのは、自分がこの部屋を気に入っているのと、彼が何も言わないことに対して甘えているから。
「三浦君は通勤が長くなった事、不満に感じてないの?」
レイラが気にしていた。私もそれを彼に聞いてみたいけど、当の本人が帰って来るのは夜中で、疲れた顔を見ると、とても聞けなくなってしまう。だからそのままの状態で、半年ほどが経過してしまった。
「ダイさん、朝食出来たけど……起きれそう?」
言葉も遠慮がちにしかかけられない。彼の本心が掴めていないから。
「……起きれるよ…」
明らかに眠そうなのに、そんな返事が返ってくる。もう少し、わがまま言ってくれてもいいのに…。
「じゃあ起きて。卵焼き冷めるよ」
こんなふうに言う自分も嫌になる。ホントはもっと彼を寝かせてあげたいのに。
毎日毎日、積み重なっていく罪悪感。一体いつまでこんな生活を続けていくつもりなんだろう。
「今日は帰り遅いの?」
朝食食べながら新聞に目を落とす彼に聞いた。抱えてるページは一冊だけじゃない。昨日の校了が済んでも、また別のがやって来る。
「うん…多分…」
申し訳ないような顔。そんな表情されると、こっちは何も言えなくなる。
「美里は?原稿終わった?」
私の心配してる。まともにベッドで寝ないから。
「うん、今週の締め切り分は全部書いた。今日渡してくる」
今時は、パソコンやFAXという便利なものもあるけど、古い作家のように原稿用紙にエッセイを書いている私は、出版社の方に直接原稿を手渡している。この方式を取ってるから彼とも再会したんだけど、それはつまり、他の人とも出会うことになるから…。
「食事や飲みに誘われても…」
ほら、やっぱり言ってきた。
「大丈夫、断るから」
ニッコリ笑って返事。だけど不安は尽きない様子。編集者の中には、強引な人も結構多いから。
「安心して。指輪して行くから。結構有効なんだよ。この方法」
半年前、言葉と一緒にもらった指輪。結婚はまだ先だけど、何かの時には身につけるようにしている。
「それに今日はレイラと食事の約束もしてるし、他の誘い受けたりしないよ」
ここまで言ってやっと安心する。彼に気を遣うのは当たり前だけど、少しややこしい。
マンションの玄関先で彼を見送って一呼吸。途端に眠気が襲ってきた。夜型の悪い癖だ。
「お昼まで寝よ…」
掃除や洗濯なんて二の次。いつもこんな感じだ。
「ミリ達の生活ってどっか変。お互い無理してるんじゃない?」
夕方六時に待ち合わせたレイラと食事中、言われた。
「もっと二人で話し合いなよ。こんな生活してたら、いつか関係破綻するよ」
恋愛経験も人間関係も熟知している彼女から指摘されると不安になる。
「私達、そんな変な生活してる?」
まあ、当たり前ではないかもしれないけど。
「そりゃあ変でしょ。一緒に住んでるのに、寝る場所も時間もバラバラなんて。一緒に暮らしてる意味ないよ」
身も蓋もない言い方に落ち込む。確かにレイラの言う通りだ。
「腹割って話しなさいよ。ミリだって思う所いろいろあるんでしょ。遠慮してちゃダメ」
ケンカ別れや価値観の違い、生活のズレが原因で、恋人と上手くいかなくなった経験があるレイラ。仲が良いうちに、なんでも話し合っておいた方がいいというのが持論だ。
「うんまあ…そのうちにね」
本音で語っても、それを受け入れるだけの余裕が無ければ本末転倒だ。話し合うのなら、お互い気持ちに余裕がある時がいい。
「呑気ね〜、こっちがイライラする」
むくれるレイラに謝って、そっちはどうなのと聞いてみた。
「研修医の彼とは上手くいってる?」
レイラにとって、初めての年下の彼氏。付き合い始めてそろそろ半年近くなる。
「いってるよ。こっちはミリ達と違って、お互い本音出し合ってるから」
余裕な感じ。近頃のレイラは落ち着いてて、どこか羨ましいくらいだ。
「でも先週、主任に付き合ってる事バレちゃって、院内でからかわれる事あるから困ってる」
言いながらもまんざらではない様子。ホントに上手くいってるんだ。
「いいな…」
今の彼と付き合いだしてから、レイラが無理をしてないのが分かる。どことなく、雰囲気も柔らかくなった。
「レイラはいい恋をしてるんだね」
その言葉に、少し考えて頷く。こんな可愛い女性にしたのも、きっと年下の彼が彼女を支えているから。
「私達はダメだね…」
比べる事じゃないのかもしれないけど、お互い付き合いだす前と何一つ変わらない。好きだという気持ちだけが寄り添ってても、何も生まれてはこない。
(このままじゃ、ホントに壊れるかも…)
地雷踏むことになるかもしれないけど、勇気を出して聞いてみようか、今の生活に不満はないのかと…。
………新しい道へのドアは目の前にあるのに、気づきもせずに探し回る。大事なことは気づく事で、確かめる事ではないのだと、後になって知るのだけれど、その時はまだ、何も知らずに見過ごしたまま………