キスから始まる方程式
「七……ゆ、結城こそ、なんでここに?」
“結城”……!
たったそれだけの一言なのに、私を現実に引き戻すには十分過ぎるほどの威力を持っていた。
そうだった。私はもう桐生君にとって、“彼女の七瀬”じゃなくて、“元彼女の結城”なんだった……。
以前も桐生君から「結城」と呼ばれ酷くショックを受けたが、あれから一週間ほど経った今もなお同じように動揺するなんて。
あろうことかその上、約束を果たしに来てくれたのかも……なんて愚かな期待までしてしまうとは……。
どこまでも往生際が悪い自分に、情けなさを通り越してむしろ辟易すら覚えた。
ほんと私ってば、救いようのないバカだな……。
ツキンと胸に鈍い痛みが走る。
けれど心の中で自己嫌悪に陥りながらも、もちろんそんな私の気持ちを桐生君に悟られるわけにはいかない。
改めて気を引き締め直すように、動揺からじっとりと汗ばんでいた手のひらをギュッと握りしめる。
そして私は先程の桐生君の問いには返答せず、精一杯笑顔を取り繕うと、わざとおどけたふうな明るい声で言い放った。
「あっ! もしかして工藤さんとここで待ち合わせしてた?」
そんな私の言葉に、驚いたように目を見開く桐生君。
一瞬とても悲しげに瞳の奥が揺れたように見えたのは、私の気のせいだろうか……?
「あ……いや……っ」
咄嗟に桐生君が言葉を詰まらせ、束の間沈黙が流れる。
けれどもともと桐生君の答えを聞く気などなかった私は
「ゴメン、それじゃ私行くねっ」
そう言って足早に階段を駆け下り、そそくさと桐生君の横を通り過ぎた。