Crescent Moon



あれやこれやと追われているうちに、景色を見るという行為自体を忘れてしまっていた。


目を奪われる。

そんな不思議な魅力が、この夕焼けの色にはあるのかもしれない。


見ようと思っていた校庭は、もう1つの校舎があるせいでほとんど見えなかった。



こうして、たまにはのんびり教室で景色を眺めるのもいいのかもしれない。

私は忙しさを理由にして、いろいろなことから逃げているから。


この仕事は好きだけれど、他人が思っているよりもずっと忙しい。


定時なんてあってない様なものだし、朝だって一般的な会社の始業時間よりも早い。

テスト前や終業式の前の時期には、テストの作成や生徒の評価に追われて、家でだって仕事のことばかり考えてる。



辞めようと思ったことはない。

忙しさも、悪いことばかりでもない。


だけど、たまにはこういう時間も必要なのかな。

こういう時間があってもいいのかもしれない。


何もしない、何もしなくていい、ゆったりと進む時間。

こうしてゆっくりと、夕焼けを眺める時間が。



「………綺麗な赤、ね。」


ただ真っ直ぐ、その赤を見つめる。

茜色に染まっていく校舎を見る。


眼下に広がる中庭。

コンクリートの味気ない灰色も、真っ青だったはずの空も、全てが赤に塗り潰されていく。

世界が、赤という色、一色になる。



染め上げられた世界の中に、私もいるのだろう。

真っ赤に染まる、私の影もあるのだろう。


きっと。



(嫌だったこととか、忘れちゃうな………こうしてると。)


この年になると、昔みたいに笑っているだけでは生きていけない。

笑顔も消えてしまう様なことばかりに囲まれて、私だって生きている。


若い頃には感じなかった感情が芽生えて、そして育っていくのだ。



結婚に対する焦りや、不安。

安定はしているけれど、相手がいないからこその不安や心配はいつだって消えない。


充実しているのなんて、仕事のことだけだ。

プライベートは順調だなんて、間違っても言えない。



さっきだって、そう。


あの職員室での環奈を見て、何も感じなかったんじゃない。

たくさんの人に囲まれる環奈を見て、私はまた逃げた。



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