Crescent Moon
「泣いてんの?」
低い声音が、耳に心地よく響く。
1人きりだった空間に、私ではない誰かが入り込む。
(誰………!?)
突然のその声は、聞き覚えのあるものだった。
その声のした方向へ振り向けば、そこに立っていたのは思い描いた通りの人がいる。
そこにいたのは、冴島。
私がこの学校で、最も嫌う男。
私が嫌いな男が、澄ました顔で立っていた。
(どうして、冴島がここに………。)
ぼんやりとした頭で、そう問う。
あの男、冴島は、さっきまでは職員室にいたはずだ。
ホームルームが終わってから、職員室までは嫌々ながらも、一緒に帰ってきていたはずだ。
職員室でも、みんなの輪には入らなかったけれど、そこに馴染んで立っていたことだけは、何となく覚えている。
職員室にいたはずの冴島が、ここにいる。
教室のドアの前に立ち、私のことをじっと見つめている。
忘れ物でもしたのか。
それとも、この場所に何か用事でもあったのか。
いろいろ考えてはみたけれど、思い当たる節はなかった。
「………。」
何か、もう面倒だ。
どうでもいいや。
考えることに疲れてしまったのだろうか。
それとも、人生というものに疲れてしまったのだろうか。
深く考えることを止め、視線を冴島から窓の向こうへと戻す。
「………泣いてなんかない。どうして、そんなことを思ったんだか知らないけれど。」
そう。
私は泣いてなんかいない。
その証拠に、私の頬はこれっぽっちも濡れてなんかいないのだから。
何を言っているのだろうか、この男は。
泣く訳ないじゃない。
私が、ここで泣く訳ない。
少し考え事をしていただけだ。
少し、ほんの少しだけ、考え過ぎてしまっただけだ。
不思議に思った私に、冴島がこう答える。
「何となく、だよ。別に、理由なんてない。」
抑揚のない話し方で、淡々と話す冴島。
その言葉からは、感情なんてものは何1つ読み取れなかった。
例えるならば、ロボットの様なもの。
何を考えているのか分からない、別の生き物の様な感覚だった。