線香花火
「お母さん、お花のお稽古行ってくるからね。」
「はぁーい。」
「洗い物しといてくれると助かる。」
「わかったー!」

 ガチャンと音がして、玄関のドアが閉まった。さすがにお手伝いはしておこうと思って、一階に下りる。
 意外とたまっていた洗い物を水で濯ぐ。手は動かしながら、結局どうしようかと考える。

『放っておきたくない。』

 真面目な声に真面目な顔。きっと10年前の自分なら笑い飛ばしていただろう。それが今は…

(笑い飛ばすどころか、…ドキッとしたわ。色んな意味で。)

 あんな顔を自分は知らない。あんな声を自分は知らない。知らない顔は、知らない声は、一体いつ作られたものなのか。

「…放っておきたくないって、あんたは一体私のなんなのって話。」

 とは言いつつも、そんな彼に甘えたのは自分だ。それはそれで、思い出すだけでも恥ずかしい。
 でも、かつて、そうして甘えたこともあった気がする。―――いや、あった。あの時も、昨日のように肩を借りた。

「あーもう、涙出るなってば。」

 目元がじくじくと痛む。何とか止めた涙は、別れ際の聡太の言葉によって呆気なく再び流れ出し、夜は止まらなかった。途中からは失恋以外のことも思い出し、それら全てを混ぜ合わせて泣いた。目も腫れる。そしてあれだけ泣いたというのに、またしても涙が出てくるのだから、情緒不安定にも程がある。

「甘えてばっかりだったかも、私。」

 物心のつく前は、確実に自分の方が強かった。でも今、その関係は確実に崩れている。

「…行こうかな、会いに。」

 せめて泣かずにいられるように、会うことが目的ではなく、お詫びが目的だと思ってもらえるくらいには、いつもの『澪波』に戻っておかなくては。
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