線香花火
波音と再会
* * *

「ちょっと散歩行ってくる。」
「えぇ?こんな時間に。」
「向こうで仕事しっぱなしで、身体動かしてないんだもん。身体動かそうと思って。」
「まぁいいけど。田舎だからってあんまり遅くまで出歩いてると危ないからね?」
「わかってるって。大丈夫よ。」

 久しぶりの母親の味は美味しかった。自分の舌に深く馴染んだ味なのだということを強く感じる。

「涼しいなぁ…。むこうとは大違い。」

 東京は住みやすい場所とは到底言えない。夏の夜は熱帯夜が続くし、冬に雪が降れば電車は止まる。おまけに人はうじゃうじゃいるし、水はまずい。空気が淀んでいることもままある。それに比べて実家の過ごしやすいことと言ったらこの上もない。ウォーキングしているというのに、涼しい夜風のおかげで汗もかかない。
 波音が近付く。潮の匂いがする。髪がごわごわになる潮風が昔は嫌いだったけれど、今はこの波音が妙に落ち着く。一定のリズムなようでそうではない、不規則な動きをぼんやりと見つめる。

「よいしょっと…。」

 波が来ない場所を選んで、砂の上に腰をおろした。手を払うと、さらさらと砂が落ちていく。

「…懐かしいなぁ…。」

 由起子のような高校生だった頃、海にはよく来たものだった。特に今の時期は夏休みで、友達と集まって海に入ったり、花火をしたりしていた。

「ほんと、懐かしい。」

 もう10年近く前のことになるのかと思うと、ぞっとする。時の流れは早い。高校のことは思い出せるけれど、中学のこととなるとおぼろげにしか思い出せない。

「そういえば、由起子ちゃんと遊んだのって聡太(ソウタ)がいたから…だっけ。」

 不意に思い出した〝聡太〟という名前。

「…澪波?」
「え?」

 振り返ると、見慣れたとは言い難いけれど、見覚えのある顔がそこにあった。

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