ためらうよりも、早く。


踵を返そうと後ろを向けば、にやかに支配人がドアを閉める姿と直面してしまう。


普通、このお店でこんな扱いはアリエナイ。つまり、この男の差し金というわけだ。


部屋に取り残された私は、最も会いたくないヤツとふたりきりにされてしまった。



「風船男お得意の“ジョーク”ってヤツかしら?」

苛立ちを隠さずに振り返れば、黒々とした瞳でこちらを淡々と見据える彼は微笑を浮かべた。


「ただいま」と、またしても聞きたくない慣例のフレーズとともに。


「……約束した覚えはないけど?」


「ミラノから何度も連絡取っていたけどなぁ。なーぜか一向に通じなかったし」

そう言って席を立った祐史。無駄に優雅な足取りとは裏腹に、口調はやけに冷たく感じた。


無言で佇む私の前で止まると、「ただいま」ともう一度言ってくる。


< 93 / 208 >

この作品をシェア

pagetop