砂の国のオアシス
2
自分の独り言以外で、3ヶ月ぶりに聞いた突然の日本語。
ということだけじゃなくて、コウさんが言った「私は日本人です」という内容にも、私は大きなショックを受けた。
この世界に私以外の日本人がいたんだ・・・。
しかもイシュタール王国に。
一体どうやって、コウさんはこの世界に来たのか。
私みたいに、気づいたら来ていたのか。
ひとりなのか。
他にも「仲間」はいるのか。
コウさんに聞きたいことが、私の脳内でひしめき合っている。
とりあえず「あの・・・」と言ったとき、「ナ~ギサ~」というテオののん気な声が聞こえた。
いつの間にかテオは、コウさんの後ろに並んでいた。
「どうした、ナギサ。ボーっとして」
「あっ、えっと、コウさんとお話してたの」
「私はコウ・ロウヨウと申します。大学内では何度かお見かけしたことはありますが、ちゃんとお話をするのは初めてですね、プリンス・テオドール」とコウさんは言うと、深々と頭を下げてお辞儀をした。
そんなコウさんに、テオは「大学(ここ)では僕は“マローク先生”とか“教授”だから、“プリンス”って呼ばないで!」と慌てて言いながら、頭を上げさせた。
へぇ。コウさん、テオがイシュタールの王子だって知ってるんだ。
ま、15年も大学で教えているってことは、少なくともそれだけの期間はイシュタール(ここ)に住んでるってことだから・・・知ってるはずだよね。
「あなたがコウ教授か。シナ語とシナ文化を教えている」
「はい」
「僕たち、教えるキャンパスが違うから、会う事は滅多にないよね」
「そうでございますね。ナギサさんはマローク教授の教え子ですか?」
「違うよ」
「8月に大学の編入試験を受けるんです」と私は言うと、手に持っている試験対策の本をコウさんに見せた。
「あぁそうでしたか。学部は決めたんですか?」
「それがまだ。前いた世・・・いたところでは英文学を専攻していたから、文系にしようかなーとは思ってるんですけどねー」
いけないいけない!
つい「前いた世界」って言いそうになっちゃった!
「成程。ナギサさん、シナ語やシナ文化に興味はないですか?よろしければ、時間があるときにでも私が教えましょうか」
「え」
コウさんは、さっき「片岡」と書いた手帳を、私が目にするように、さりげなく見せた。
きっとコウさんは、私に聞きたいことがあるはずだ。
私がコウさんに聞きたいことがあるように。
つまり「シナ語を教える」というのは口実で、実際は「お互いトークしましょう」ってことよね?
「はい、ぜひ!」
「あいにく私は今日これから講義がありますので、日を改めて・・・そうですね、明後日、この図書館で会いませんか?」
「あ・・・テオ、いいかな」
「僕は構わないよ。ついでにコウ教授に試験対策の勉強を教えてもらったら?僕やヒルダはずっとナギサの勉強を見ることはできないし」
「私で良ければ力になりますよ」
「あ・・・では、はい、お願いします」と私は言うと、コウさんにペコリと頭を下げた。
「明後日僕は一日大学にいる予定だから、ヒルダを連れて行くといい」
「う・・・やっぱりひとりじゃダメ?」
「迷子になるだろ」
「私がついていますが」
「それでもダメだ」と言うテオは、少々カイル的な俺様王子モードに入っている。
テオは私の肩に手を乗せて、前へ進ませた。
「コウ教授。僕はあなたを信頼していないわけじゃない。信頼していなければ、僕はあなたにナギサの勉強を見てほしいとは頼まない。ただ僕にとって、カワイイ妹みたいなナギサに何かあれば、僕の兄が何をするか分からない。いや、それが僕の不手際であれば、僕は兄に殺される」
「もうテオってば、大げさなんだか・・・」
「カイルならするよ。ナギサも分かってるだろ」
「う・・・そ、そうだね。えぇ・・・」
不意に空港でカイルに紫龍剣で斬られたことを思い出した私の顔は、自然に引きつっていた。
「そういうわけでナギサ、ヘンな気は起こすなよ」
「わ、分かってるって!」
「僕だってまだ死にたくないんだからな。コウ教授まで巻き込むなよ」
「だから分かってるって!」
「ではコウ教授、ナギサのことよろしく」
「は・・は、い」
と答えたコウさんの顔も、少々引きつり気味になっていた。
それから2日後。
私は再びコウさんと大学の図書館で会っていた。
一緒について来てくれたヒルダさんには申し訳ないけど、会話の内容は聞かれたくない。
ていうか、ぶっちゃけ話の輪には入ってほしくない。
だから「シナ語の勉強をする」ことを強調してみたら、ヒルダさんは、私たちが見える、離れたところにいてくれた。
よし。これでヒルダさんに会話を聞かれることもない。
私たちはテーブルにテキストやノートを広げて、シナ語の勉強をしているフリをしつつ、日本語で話し始めた。
日本語だから、周囲の人が聞いても何しゃべってるのか分からないっていうのも都合がいいし、図書館という場所柄、声を抑えて話さないといけないというのも好都合だ。
「コウさんはずっとイシュタールに住んでいるんですか?」
「いいえ。私はシナ国に来ていました」
「一人で?」
「はい。ある日の仕事の帰り、気づいたら全然知らないところを歩いていた。それがシナ国でした。周囲は全然知らない場所。聞きなれない言葉。しかし私は、その頃香港支局へ転勤することが決まっていて、中国語の勉強をしていた。それが幸いして、シナの言葉は全く分からないということはなかったんですよ」
「じゃあシナ語って中国語なんですか?」
「厳密に言うと違うと思いますが、漢字や文法、言い方は中国語に非常によく似ています。だからシナ語を習得するのは、それほど苦ではありませんでした」
「そうですか・・・」
コウさんの表情を見る限り、それは本当のことだと分かる。
いきなり知らない世界へ来てしまった上に、言葉まで全然分からないとなると、不安はハンパなかったと思う。
その点、コウさんも私もラッキーだったと思う。
「私の本当の名前は、“あらきこうじろう”です」とコウさんは言うと、手帳に「荒木幸次郎」と書いた。
「なんで“コウ”さんなんですか?」
「シナ国で新たに作った名前、“コウ・ロウヨウ”は、“荒 郎葉”と書きます。他の字はシナ語にはないんですよ」
「へぇ。じゃあ最後の“葉”はどこから・・・」
「千葉に住んでいたので」とコウさんに言われて、なぜか私は笑いが出た。
コウさんもクスクス笑っている。
「“千”という字も、シナ語にはないんです。ナギサさんはどこの出身ですか?」
「私は東京です。でも2歳から15歳まで海外で暮らしていました。大学生になってからは、一人暮らしをしてました」
「あぁそう。ナギサという字はどう書くんですか?」とコウさんに聞かれた私は、コウさんの手帳に「凪砂」と書いた。
「成程。素敵な名前ですね。シナ語で凪は“シェ”と読みます。砂はないです」
「へぇ。シェか・・・」
「私が流れ着いたのは、シナ国の中でも西寄りの、是(ぜ)という区域だというのが、勉強するうちに分かりました。そこは都会寄りの田舎という中規模の町で、いきなり私が現れたところで余計な詮索もなく、ただ私を受け入れてくれました。私は町の郊外に空き家を見つけ、近所にあった農家の手伝いをしながら、言葉を教えてもらいました。それから2年後に町を出て、大学で職を得たんです。商社マンだった私が、気づけば大学で教鞭をとるようになってました」と言って笑うコウさんは、頭の良い人だなと思わせる雰囲気を漂わせていた。
「ナギサさんは、どのような経緯でここに来たんですか?」とコウさんに聞かれた私は、簡単に説明した。
「・・・なるほどー。助けてくれたのが国王様だったわけですか。それでナギサさんは王宮に住んでいるんですね」
「そうなんです」
「それは運が良かった」
「はい」
もし西の砂漠の向こうの紛争地域に来ていたら、たぶん今みたいに、のほほんとは暮らせてなかったと思う。
それに・・・カイルにも出会っていなかったと思う。
「来てどれくらい?」
「3ヶ月ちょっとかな。コウさんは?」
「私はこの世界に来て、もうすぐ30年になります」
「・・・・・・・・・え」
コウさんは、最初シナ国にたどり着いて、イシュタール大学で15年教えてると言ってたから、私よりここの滞在歴は長いと分かっていたけど・・・。
もうすぐ30年って・・・!!
ということだけじゃなくて、コウさんが言った「私は日本人です」という内容にも、私は大きなショックを受けた。
この世界に私以外の日本人がいたんだ・・・。
しかもイシュタール王国に。
一体どうやって、コウさんはこの世界に来たのか。
私みたいに、気づいたら来ていたのか。
ひとりなのか。
他にも「仲間」はいるのか。
コウさんに聞きたいことが、私の脳内でひしめき合っている。
とりあえず「あの・・・」と言ったとき、「ナ~ギサ~」というテオののん気な声が聞こえた。
いつの間にかテオは、コウさんの後ろに並んでいた。
「どうした、ナギサ。ボーっとして」
「あっ、えっと、コウさんとお話してたの」
「私はコウ・ロウヨウと申します。大学内では何度かお見かけしたことはありますが、ちゃんとお話をするのは初めてですね、プリンス・テオドール」とコウさんは言うと、深々と頭を下げてお辞儀をした。
そんなコウさんに、テオは「大学(ここ)では僕は“マローク先生”とか“教授”だから、“プリンス”って呼ばないで!」と慌てて言いながら、頭を上げさせた。
へぇ。コウさん、テオがイシュタールの王子だって知ってるんだ。
ま、15年も大学で教えているってことは、少なくともそれだけの期間はイシュタール(ここ)に住んでるってことだから・・・知ってるはずだよね。
「あなたがコウ教授か。シナ語とシナ文化を教えている」
「はい」
「僕たち、教えるキャンパスが違うから、会う事は滅多にないよね」
「そうでございますね。ナギサさんはマローク教授の教え子ですか?」
「違うよ」
「8月に大学の編入試験を受けるんです」と私は言うと、手に持っている試験対策の本をコウさんに見せた。
「あぁそうでしたか。学部は決めたんですか?」
「それがまだ。前いた世・・・いたところでは英文学を専攻していたから、文系にしようかなーとは思ってるんですけどねー」
いけないいけない!
つい「前いた世界」って言いそうになっちゃった!
「成程。ナギサさん、シナ語やシナ文化に興味はないですか?よろしければ、時間があるときにでも私が教えましょうか」
「え」
コウさんは、さっき「片岡」と書いた手帳を、私が目にするように、さりげなく見せた。
きっとコウさんは、私に聞きたいことがあるはずだ。
私がコウさんに聞きたいことがあるように。
つまり「シナ語を教える」というのは口実で、実際は「お互いトークしましょう」ってことよね?
「はい、ぜひ!」
「あいにく私は今日これから講義がありますので、日を改めて・・・そうですね、明後日、この図書館で会いませんか?」
「あ・・・テオ、いいかな」
「僕は構わないよ。ついでにコウ教授に試験対策の勉強を教えてもらったら?僕やヒルダはずっとナギサの勉強を見ることはできないし」
「私で良ければ力になりますよ」
「あ・・・では、はい、お願いします」と私は言うと、コウさんにペコリと頭を下げた。
「明後日僕は一日大学にいる予定だから、ヒルダを連れて行くといい」
「う・・・やっぱりひとりじゃダメ?」
「迷子になるだろ」
「私がついていますが」
「それでもダメだ」と言うテオは、少々カイル的な俺様王子モードに入っている。
テオは私の肩に手を乗せて、前へ進ませた。
「コウ教授。僕はあなたを信頼していないわけじゃない。信頼していなければ、僕はあなたにナギサの勉強を見てほしいとは頼まない。ただ僕にとって、カワイイ妹みたいなナギサに何かあれば、僕の兄が何をするか分からない。いや、それが僕の不手際であれば、僕は兄に殺される」
「もうテオってば、大げさなんだか・・・」
「カイルならするよ。ナギサも分かってるだろ」
「う・・・そ、そうだね。えぇ・・・」
不意に空港でカイルに紫龍剣で斬られたことを思い出した私の顔は、自然に引きつっていた。
「そういうわけでナギサ、ヘンな気は起こすなよ」
「わ、分かってるって!」
「僕だってまだ死にたくないんだからな。コウ教授まで巻き込むなよ」
「だから分かってるって!」
「ではコウ教授、ナギサのことよろしく」
「は・・は、い」
と答えたコウさんの顔も、少々引きつり気味になっていた。
それから2日後。
私は再びコウさんと大学の図書館で会っていた。
一緒について来てくれたヒルダさんには申し訳ないけど、会話の内容は聞かれたくない。
ていうか、ぶっちゃけ話の輪には入ってほしくない。
だから「シナ語の勉強をする」ことを強調してみたら、ヒルダさんは、私たちが見える、離れたところにいてくれた。
よし。これでヒルダさんに会話を聞かれることもない。
私たちはテーブルにテキストやノートを広げて、シナ語の勉強をしているフリをしつつ、日本語で話し始めた。
日本語だから、周囲の人が聞いても何しゃべってるのか分からないっていうのも都合がいいし、図書館という場所柄、声を抑えて話さないといけないというのも好都合だ。
「コウさんはずっとイシュタールに住んでいるんですか?」
「いいえ。私はシナ国に来ていました」
「一人で?」
「はい。ある日の仕事の帰り、気づいたら全然知らないところを歩いていた。それがシナ国でした。周囲は全然知らない場所。聞きなれない言葉。しかし私は、その頃香港支局へ転勤することが決まっていて、中国語の勉強をしていた。それが幸いして、シナの言葉は全く分からないということはなかったんですよ」
「じゃあシナ語って中国語なんですか?」
「厳密に言うと違うと思いますが、漢字や文法、言い方は中国語に非常によく似ています。だからシナ語を習得するのは、それほど苦ではありませんでした」
「そうですか・・・」
コウさんの表情を見る限り、それは本当のことだと分かる。
いきなり知らない世界へ来てしまった上に、言葉まで全然分からないとなると、不安はハンパなかったと思う。
その点、コウさんも私もラッキーだったと思う。
「私の本当の名前は、“あらきこうじろう”です」とコウさんは言うと、手帳に「荒木幸次郎」と書いた。
「なんで“コウ”さんなんですか?」
「シナ国で新たに作った名前、“コウ・ロウヨウ”は、“荒 郎葉”と書きます。他の字はシナ語にはないんですよ」
「へぇ。じゃあ最後の“葉”はどこから・・・」
「千葉に住んでいたので」とコウさんに言われて、なぜか私は笑いが出た。
コウさんもクスクス笑っている。
「“千”という字も、シナ語にはないんです。ナギサさんはどこの出身ですか?」
「私は東京です。でも2歳から15歳まで海外で暮らしていました。大学生になってからは、一人暮らしをしてました」
「あぁそう。ナギサという字はどう書くんですか?」とコウさんに聞かれた私は、コウさんの手帳に「凪砂」と書いた。
「成程。素敵な名前ですね。シナ語で凪は“シェ”と読みます。砂はないです」
「へぇ。シェか・・・」
「私が流れ着いたのは、シナ国の中でも西寄りの、是(ぜ)という区域だというのが、勉強するうちに分かりました。そこは都会寄りの田舎という中規模の町で、いきなり私が現れたところで余計な詮索もなく、ただ私を受け入れてくれました。私は町の郊外に空き家を見つけ、近所にあった農家の手伝いをしながら、言葉を教えてもらいました。それから2年後に町を出て、大学で職を得たんです。商社マンだった私が、気づけば大学で教鞭をとるようになってました」と言って笑うコウさんは、頭の良い人だなと思わせる雰囲気を漂わせていた。
「ナギサさんは、どのような経緯でここに来たんですか?」とコウさんに聞かれた私は、簡単に説明した。
「・・・なるほどー。助けてくれたのが国王様だったわけですか。それでナギサさんは王宮に住んでいるんですね」
「そうなんです」
「それは運が良かった」
「はい」
もし西の砂漠の向こうの紛争地域に来ていたら、たぶん今みたいに、のほほんとは暮らせてなかったと思う。
それに・・・カイルにも出会っていなかったと思う。
「来てどれくらい?」
「3ヶ月ちょっとかな。コウさんは?」
「私はこの世界に来て、もうすぐ30年になります」
「・・・・・・・・・え」
コウさんは、最初シナ国にたどり着いて、イシュタール大学で15年教えてると言ってたから、私よりここの滞在歴は長いと分かっていたけど・・・。
もうすぐ30年って・・・!!