砂の国のオアシス
7
そのとき「リ・コスイレ!!」という声が、遠くから聞こえた。
え。カイルはビエナ国へ行ってるはず・・・。
まさかホントにキャンセルしちゃったの?
と私は思っていたけど、華やかな集団は、カイルの詳しいスケジュールまで知らない。
とにかく、気づいたときにはもう、華やかな集団は、私の周りに一人もいなかった。
・・・助かった・・・。
全身から力が抜ける。
でもやっぱり右腰と左手首は痛い。
「ナギサ様!大丈夫でございますか?」
「あ・・・イングリットさ・・・ん」
そっか。
「リ・コスイレ!」と言ったのは、イングリットさんだったのか・・・。
「どこか痛むところはございますか?」
「腰。右の・・」
「動かないで。今担架を呼びます。病棟へ参りましょう」とイングリットさんは言うと、フォンを取り出してどこかへ連絡した。
それからすぐに担架を持った人たちが来て私を乗せ、私を病棟へ連れて行ってくれた。
「打撲ですね。痛み止めの注射を打っておきました。2・3日安静になさってください」
「明後日、大学の編入試験があるんです・・」
「そうですか。まぁ、これから明日にかけて熱が出るかもしれません。とにかく明日は絶対安静にしていてください」
「はぃ・・・」
注射打たれたせいか、体に力が入らない。
でも病棟にはいたくない。
イングリットさんから知らせを受けたのか、幸いそれからすぐにヒルダさんが来てくれて、私を部屋へ連れて行ってくれた。
現実逃避の力が働いているのか、それとも痛み止めのせいなのか。
それから私は夕方までずっと眠っていた。
私はベッドから上体を起こしてサンドイッチを少しだけ食べると、また横になった。
「ゴライブ、ヒルダさん」
「ナギサ様っ!一体誰がこのようなことを・・・!御召物も土で汚れておりましたし・・・」
「カイルには・・・リ・コスイレには言わないでね」
「しかしナギサ様!」
「お願い。イングリットさんにも言わないでって言ってるから」
「ナギサ様・・・」
「私は大丈夫。それに誰にも何も言わずに王宮から逃げ出すこともしないから」
ヒルダさんを安心させるよう、弱弱しく笑みを浮かべる私の手を、ヒルダさんが両手でギュッと握ってくれた。
その目からは涙がボロボロ流れている。
なんか・・・やっぱり私、みんなに守られてるな・・・。
と思いながら、私は目を閉じた。
ドクターが言ったとおり、翌日私は一日中ベッドで安静にしていた。
というのも、高熱を出して動こうにも動けなかったからだ。
食欲もなかったので、栄養剤と思われる液体を、かろうじて何度か飲むだけに留めておいた。
明日試験なのに・・・。
せめて体は動くようになってほしい。
動けない私を、ヒルダさんは甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
弱っている私の心に、ヒルダさんの優しさがじぃんと染み入る。
汗もたくさんかいたおかげか、夜になって私の熱も下がり、多少は自由に動けるようになったから、ヒルダさんには自分の部屋へ行ってもらった。
ヒルダさんは昨日から私につきっきりで看病してくれたから、今夜はちゃんと眠ってほしい。
『・・さ。凪砂』
『え?お、母さん?お父さんまで!なんで・・・』
『もう起きてもいい頃よ』
『そうだぞ。みんなおまえを待ってるぞ』
『みんなって・・・誰』
『決まっているだろう?』
カイル?
それとも・・・友だち?
バイト先の人?
大家さん怒ってるだろうな。
もう家賃半年滞納してるし。
『さあ凪砂。起きて。もう時間よ・・・』
「う・・じかんって・・・」
『起きなさい、凪砂。そして現実の世界へ帰るんだ』
「現実って・・・え?ここはどこなの?!お父さんとお母さんは知ってるの?」
『もちろんよ。ここはあなたが創った幻想の世界』
「・・・は?お母さん、何言って・・・」
『父さんと母さんに会いたいと思う凪砂の気持ちが、この世界を生みだしたんだよ』
「や、やだ、お父さん。その冗談笑えないよ・・・」
『そうね。だってこれはあなたにとっての“現実”になりつつあるから』
「そんな・・・」
『だから早く目を覚ましなさい。そして本当の現実の世界に帰りなさい・・・』
「待って!お父さん・・・!」
また夢、見てたのか・・・。
私は荒い息をつきながら、立ててる膝に額をつけて、フゥと息を吐いた。
今まで覚えている夢は、どれもとてもリアルで、大学の友だちやバイト先の人たちばかり出てきた。
いつもみんな「どこにいるの?帰っておいで」とか「心配だよ」「元気?」といった言葉をかけてくる。
お父さんとお母さんが夢に出てきたのは初めてだ・・・。
そのときピピッという音が、かすかに聞こえた。
「・・・・・・この音・・・!」
私はベッドから下りると、少しよろめいた。
熱は下がったとはいえ、まだ微熱程度に熱はある。
それでも私は音が聞こえる方・・クローゼットへ、ヨタヨタ歩いた。
私はクローゼットの扉を開けてバッグを取ると、中を漁ってスマホを取り出した。
長い間バッテリー切れ中で、オフのままのスマホから、4・5秒おきにピピッという音が聞こえる。
テオとデューブ・フォラオイゼ(黒い森)へ行ったとき以来、この音は鳴っていないはずだ。
私はスマホを持ったまま、カーテンを開けた。
暗い夜空に浮かぶのは・・・満月なのか、よく分からないけど、丸に近い形をした月だというのは間違いない。
『晴れている満月の夜、そしてこのデューブ・フォラオイゼ(黒い森)という場所、気温や気候、湿度、そういった条件が合って、初めて時空の扉が開かれると思う・・・』
と言ってたテオの言葉を思い出す。
それと、これ。
私は手に持ってるスマホを見た。
もしかしたら、あっちの世界へ帰れるかもしれない。
そのとき、あっちの世界へ戻る方法をずっと探していると言っていたときの、コウさんの寂しそうな顔が、ふと浮かんだ。
30年だから・・・私が生まれる前からこの世界で暮らしてきたコウさんのことを思うと、胸が痛む。
コウさんは、この世界に順応していると思うけど、それでも戻りたいと思ってる。
そうだよね。だってコウさんには、日本に奥さんと息子さんがいるんだもん。
もしかしたら、お孫さんだっているかもしれない。
コウさんには彼らと再会してほしいためにも、私が力になれればいいと思う。
でも結局私は何もできなくて・・・。
スマホから鳴るピピッという音にハッとした私は、思わず体をビクつかせた。
この音は私を現実に引き戻す。
「現実」か・・・。
私にとっての「現実の世界」は、一体どこにあるんだろう。
カイルがいるここじゃないの?
それとも、夢でお母さんが言ってたとおり、この世界は私が生み出した幻想なの?
実は私、事故に遭って、長いこと眠っているままとか・・・。
怖くなった私は、腕を交差して自分を抱きしめた。
そのとき手に持ってたスマホの感触とピピッという音にゾッとして、バッグの中へ無造作にスマホを突っ込んだ。
私はベッドに寝転がると、布団を頭まで被った。
それでもピピッという音が聞こえる。
「や、やだ・・・いや!」
私はベッドから出ると、隣のカイルの部屋へ、文字通り転がり込んだ。
そしてカイルの大きなベッドにもぐりこんで、また布団を頭まで被る。
一体どうしちゃったの?私。
まだ眠ってて、夢見てる最中とか・・。
だから耳の奥からピピッという音が響いてるんだ。
「こわいよ・・・カイル・・・」
私は両手で耳を塞ぐと、精一杯体を丸めて縮こまった。
自分が目を覚ましていることくらい分かってる。
だから余計怖い。
こんなとき、カイルがいてくれたら・・・。
と思っても、実際いないんだからしょうがない。
ヒルダさんを呼ぼう・・・あ、でも私の看病で疲れてるはずだ。
こんな・・・私の気ちがいめいたことでヒルダさんを煩わせたくない。
ううん、ホントは頭がおかしくなったって思われたくない。
それでもピピッという音は、耳の奥までこびりついているのか、まだ聞こえる気がする。
私は音が消えるまで体を震わせて泣きながら、ずっと布団を頭まで被っていた。
え。カイルはビエナ国へ行ってるはず・・・。
まさかホントにキャンセルしちゃったの?
と私は思っていたけど、華やかな集団は、カイルの詳しいスケジュールまで知らない。
とにかく、気づいたときにはもう、華やかな集団は、私の周りに一人もいなかった。
・・・助かった・・・。
全身から力が抜ける。
でもやっぱり右腰と左手首は痛い。
「ナギサ様!大丈夫でございますか?」
「あ・・・イングリットさ・・・ん」
そっか。
「リ・コスイレ!」と言ったのは、イングリットさんだったのか・・・。
「どこか痛むところはございますか?」
「腰。右の・・」
「動かないで。今担架を呼びます。病棟へ参りましょう」とイングリットさんは言うと、フォンを取り出してどこかへ連絡した。
それからすぐに担架を持った人たちが来て私を乗せ、私を病棟へ連れて行ってくれた。
「打撲ですね。痛み止めの注射を打っておきました。2・3日安静になさってください」
「明後日、大学の編入試験があるんです・・」
「そうですか。まぁ、これから明日にかけて熱が出るかもしれません。とにかく明日は絶対安静にしていてください」
「はぃ・・・」
注射打たれたせいか、体に力が入らない。
でも病棟にはいたくない。
イングリットさんから知らせを受けたのか、幸いそれからすぐにヒルダさんが来てくれて、私を部屋へ連れて行ってくれた。
現実逃避の力が働いているのか、それとも痛み止めのせいなのか。
それから私は夕方までずっと眠っていた。
私はベッドから上体を起こしてサンドイッチを少しだけ食べると、また横になった。
「ゴライブ、ヒルダさん」
「ナギサ様っ!一体誰がこのようなことを・・・!御召物も土で汚れておりましたし・・・」
「カイルには・・・リ・コスイレには言わないでね」
「しかしナギサ様!」
「お願い。イングリットさんにも言わないでって言ってるから」
「ナギサ様・・・」
「私は大丈夫。それに誰にも何も言わずに王宮から逃げ出すこともしないから」
ヒルダさんを安心させるよう、弱弱しく笑みを浮かべる私の手を、ヒルダさんが両手でギュッと握ってくれた。
その目からは涙がボロボロ流れている。
なんか・・・やっぱり私、みんなに守られてるな・・・。
と思いながら、私は目を閉じた。
ドクターが言ったとおり、翌日私は一日中ベッドで安静にしていた。
というのも、高熱を出して動こうにも動けなかったからだ。
食欲もなかったので、栄養剤と思われる液体を、かろうじて何度か飲むだけに留めておいた。
明日試験なのに・・・。
せめて体は動くようになってほしい。
動けない私を、ヒルダさんは甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
弱っている私の心に、ヒルダさんの優しさがじぃんと染み入る。
汗もたくさんかいたおかげか、夜になって私の熱も下がり、多少は自由に動けるようになったから、ヒルダさんには自分の部屋へ行ってもらった。
ヒルダさんは昨日から私につきっきりで看病してくれたから、今夜はちゃんと眠ってほしい。
『・・さ。凪砂』
『え?お、母さん?お父さんまで!なんで・・・』
『もう起きてもいい頃よ』
『そうだぞ。みんなおまえを待ってるぞ』
『みんなって・・・誰』
『決まっているだろう?』
カイル?
それとも・・・友だち?
バイト先の人?
大家さん怒ってるだろうな。
もう家賃半年滞納してるし。
『さあ凪砂。起きて。もう時間よ・・・』
「う・・じかんって・・・」
『起きなさい、凪砂。そして現実の世界へ帰るんだ』
「現実って・・・え?ここはどこなの?!お父さんとお母さんは知ってるの?」
『もちろんよ。ここはあなたが創った幻想の世界』
「・・・は?お母さん、何言って・・・」
『父さんと母さんに会いたいと思う凪砂の気持ちが、この世界を生みだしたんだよ』
「や、やだ、お父さん。その冗談笑えないよ・・・」
『そうね。だってこれはあなたにとっての“現実”になりつつあるから』
「そんな・・・」
『だから早く目を覚ましなさい。そして本当の現実の世界に帰りなさい・・・』
「待って!お父さん・・・!」
また夢、見てたのか・・・。
私は荒い息をつきながら、立ててる膝に額をつけて、フゥと息を吐いた。
今まで覚えている夢は、どれもとてもリアルで、大学の友だちやバイト先の人たちばかり出てきた。
いつもみんな「どこにいるの?帰っておいで」とか「心配だよ」「元気?」といった言葉をかけてくる。
お父さんとお母さんが夢に出てきたのは初めてだ・・・。
そのときピピッという音が、かすかに聞こえた。
「・・・・・・この音・・・!」
私はベッドから下りると、少しよろめいた。
熱は下がったとはいえ、まだ微熱程度に熱はある。
それでも私は音が聞こえる方・・クローゼットへ、ヨタヨタ歩いた。
私はクローゼットの扉を開けてバッグを取ると、中を漁ってスマホを取り出した。
長い間バッテリー切れ中で、オフのままのスマホから、4・5秒おきにピピッという音が聞こえる。
テオとデューブ・フォラオイゼ(黒い森)へ行ったとき以来、この音は鳴っていないはずだ。
私はスマホを持ったまま、カーテンを開けた。
暗い夜空に浮かぶのは・・・満月なのか、よく分からないけど、丸に近い形をした月だというのは間違いない。
『晴れている満月の夜、そしてこのデューブ・フォラオイゼ(黒い森)という場所、気温や気候、湿度、そういった条件が合って、初めて時空の扉が開かれると思う・・・』
と言ってたテオの言葉を思い出す。
それと、これ。
私は手に持ってるスマホを見た。
もしかしたら、あっちの世界へ帰れるかもしれない。
そのとき、あっちの世界へ戻る方法をずっと探していると言っていたときの、コウさんの寂しそうな顔が、ふと浮かんだ。
30年だから・・・私が生まれる前からこの世界で暮らしてきたコウさんのことを思うと、胸が痛む。
コウさんは、この世界に順応していると思うけど、それでも戻りたいと思ってる。
そうだよね。だってコウさんには、日本に奥さんと息子さんがいるんだもん。
もしかしたら、お孫さんだっているかもしれない。
コウさんには彼らと再会してほしいためにも、私が力になれればいいと思う。
でも結局私は何もできなくて・・・。
スマホから鳴るピピッという音にハッとした私は、思わず体をビクつかせた。
この音は私を現実に引き戻す。
「現実」か・・・。
私にとっての「現実の世界」は、一体どこにあるんだろう。
カイルがいるここじゃないの?
それとも、夢でお母さんが言ってたとおり、この世界は私が生み出した幻想なの?
実は私、事故に遭って、長いこと眠っているままとか・・・。
怖くなった私は、腕を交差して自分を抱きしめた。
そのとき手に持ってたスマホの感触とピピッという音にゾッとして、バッグの中へ無造作にスマホを突っ込んだ。
私はベッドに寝転がると、布団を頭まで被った。
それでもピピッという音が聞こえる。
「や、やだ・・・いや!」
私はベッドから出ると、隣のカイルの部屋へ、文字通り転がり込んだ。
そしてカイルの大きなベッドにもぐりこんで、また布団を頭まで被る。
一体どうしちゃったの?私。
まだ眠ってて、夢見てる最中とか・・。
だから耳の奥からピピッという音が響いてるんだ。
「こわいよ・・・カイル・・・」
私は両手で耳を塞ぐと、精一杯体を丸めて縮こまった。
自分が目を覚ましていることくらい分かってる。
だから余計怖い。
こんなとき、カイルがいてくれたら・・・。
と思っても、実際いないんだからしょうがない。
ヒルダさんを呼ぼう・・・あ、でも私の看病で疲れてるはずだ。
こんな・・・私の気ちがいめいたことでヒルダさんを煩わせたくない。
ううん、ホントは頭がおかしくなったって思われたくない。
それでもピピッという音は、耳の奥までこびりついているのか、まだ聞こえる気がする。
私は音が消えるまで体を震わせて泣きながら、ずっと布団を頭まで被っていた。