砂の国のオアシス
8
翌日。
まだ微熱はあったものの、体は動くので、ヒルダさんへ大学に連れて行ってもらった。
解熱剤には眠くなる成分が入っているとかで、まだ飲むわけにはいかない。
試験中にグーグー寝てしまったら、ここまできた意味もないし。
それこそにシャレにならないじゃないの。
試験会場の広い教室は、私の他に5人ほどいた。
カンニング防止のために、それぞれ離れた場所に座らされる。
この人たちとはイシュタール大学のキャンパスで再会できますようにと思いながら、試験は始まった。
試験は3時間ほどで終わった。
カイルやジェイドさんが言ったとおり、試験問題は比較的簡単だった。
過去の試験問題を解いてきた甲斐があったとも思う。
テオやヒルダさんやコウさんの教え方も上手だったし。
合格か不合格かはまだ分からないけど、ひとまずホッとする。
できることはやったと思うし。
でも・・・花壇のレンガで打った右腰と、美人さんに掴まれた左手首周辺は、まだズキズキ痛む。
帰りたい。
でもその前に、大事な用を済ませないと。
と思っていたら、コウさんが教室へ来てくれた。
「試験はどうでしたか?」
「コウさんが教えてくれたところがバッチリ出たし。とにかくできたって手ごたえはあります」
「それはよかった」
「あの・・・」と私は言いながら、あたりをキョロキョロ見渡した。
誰もいないことを確認した私は、コウさんと教室の隅へ自然に移動した。
「どうしましたか、ナギサさん」とコウさんは日本語で囁く。
「これを」と私は言いながら、コウさんにスマホを渡した。
「これは・・フォンですか?」
「スマートフォンと言います。私はスマホって言ってるけど」
「まさかこれは、あっちの世界の・・・」
「はい」
「そうですかー。前に携帯電話を見せてもらったときも驚いたが。フォンより少し大きくて厚いですねぇ」とコウさんは言いながら、スマホをひっくり返したりしてまじまじと見ている。
「これがあっちへ帰る手助けをしてくれるかもしれません」
「な・・・んですと・・・!」
「今夜これを持ってデューブ・フォラオイゼ(黒い森)へ行ってください。前私が言った場所、覚えてますか?」
「はい」
「そのあたりを中心に、ピピッという音が鳴る方向へ行けば、帰れるかもしれない」
コウさんは驚きの眼差しで、私を見ていた。
「でもこれは、あくまでも可能性で、確かなことじゃないんです。だからあまり期待しないでほしいんですけど」
「ナギサさんも一緒に行きましょう」
「私はいいんです。私は・・・私はここにいます」
私は決然とした顔でコウさんを見ると、コウさんは「そうか」と言って2・3度うなずいた。
「あ!あと、これも持って行ってください」と私は言うと、バッグから財布を取り出して、日本円を全額コウさんにあげた。
「先立つものがこれだけしかないのは申し訳ないんですけど、多少の足しにはなるかと・・」
「ありがとう・・・ありがとう、ナギサさん」と言うコウさんの目からは涙が出ていた。
「あっちへ戻れなかったときは、スマホとお金は必ず返します」
「そうならないことを願ってます。あの・・・一つだけお願いしてもいいですか?」
「何なりと」
「もし・・・もしコウさん・・・荒木さんがあっちの世界へ戻れたら、スマホに登録されてる誰か・・・私の友だちでも家族でもいい。一人でいいからその人と連絡を取って、私は元気だと伝えてください。おねがいします・・・」
私はそう言うと、荒木さんに頭を下げていた。
期待と不安、いろいろな気持ちが合わさって、涙が出てくる。
荒木さんは私に頭を上げさせると、泣きながらニコッと笑った。
「お安い御用です。必ず伝えますよ」
「ありがとう・・・」
「こちらこそありがとう、ナギサさん。あなたは私に希望を与えてくれた」
私たちは涙を流しながら、ニッコリ微笑んだ。
漂流者で日本人という共通点があるせいか、荒木さんとは同志のような絆で結ばれている気がする。
だから笑顔で別れの挨拶を済ませたい。
どうやら荒木さんも私と同じと思いを抱いているようだ。
「ではナギサさん。お元気で」
「荒木さんが奥さんと息子さんに会えますように」
先に荒木さんを見送った後、教室から出た私を、テオが待っていてくれた。
壁に寄りかかって腕を組んでたテオは、私を見つけるとニコッと微笑んで近づいた。
そして私の肩に手を回すと、促すように歩き出した。
「試験どうだった?」
「できたと思う。合格してるといいな」
「ナギサならダイジョウブ」
「テオ」
「ん?」
「スマホ・・・コウさんにあげちゃった。ごめん・・・ね」
さっき泣き止んだばかりなのに、また涙が出てきた。
テオは私の泣き顔を見せないよう、さりげなく隠しながら歩いてくれる。
「なんで僕に謝るんだ?」
「だっ、て、あなたは、あっちの世界へ、行きたがってた・・・」
「あぁ。今はジェイドがいるところにいればいいと思ってるから、あっちの世界にはそんなに興味ないんだ。それにあのスマホは君のものだろ?君が誰にあげようと、僕の許可を得る必要はない」
「ん・・・ありがと・・・」
と言う私の頭に、テオは大きな手を乗せて私を引き寄せると抱きしめた。
「それよりいいのか?ナギサ。あれがなければ帰れないかもしれないんだぞ」
「いいの」
「それが君の望むことなら、僕は嬉しいよ」とテオは言うと、泣いてる私の背中と頭を優しく撫でてくれた。
試験が終わったこと。
荒木さんにスマホを渡せたこと。
そして荒木さんに願いを託せたこと。
色々な気持ちの中でも、安堵感がドッと出たのか。
私はテオの車に乗ってからすぐに目をつぶって・・・眠ってしまった。
『帰ろうなぎさちゃん。ほら、私の手をつかんで』
「や・・・」
『凪砂、ここはあなたがいるべき世界じゃないの。私たちと一緒に行きましょう。ね?』
「ん・・・ちが・・・」
お母さんが私の手を強引に掴んだ。
『急ごう。時間がない』
「な・・・」
私の片手は友だちのあっちゃんに、もう片方の手はお母さんに掴まれている。
しかも立ってるという感覚がなくなったと思って下を見たら、地面に穴が開いて真っ黒になっていた。
『なぎさちゃん・・・』
『凪砂・・・』
両サイドから手を引っ張られているのに、全然痛くない・・・え?みんながいない。
手・・・引っ張られてない。
良かった。
でも周囲が真っ黒なこの場にひとりぼっちって・・・なんで?
ここ・・・どこ?
カイル・・・カイルはどこ?
あれ?私・・・!
私の足元がない!
しかも私は足からどんどん消えていってる!
「・・て。カイ・・・ル!カイル!」
「ナギサ!」
「ぃやぁ!!」
「ナギサ」
「カイルだ・・・」
「やっと目が覚めたようだな」と言うカイルは、私の手を握ってくれていた。
「あ・・・・・・さっきの、夢、だよね。もちろん・・・」
ハハッと笑う私のしょぼい声がむなしく宙に響く。
カイルは私の手を握ったまま、もう片方の手で布団を剥いだ。
そして私を抱きかかえて、隣にあるカイルの部屋へ連れて行ってくれた。
「まだベッドに寝るな。そこに座って待っていろ」とカイルは言うと、私の部屋へ歩いて行った。
熱があるのかな。まだフラフラする。
だから私はカイルの言う通り、ベッドのふちに座らされたまま、大人しくしていた。
私の部屋から戻ってきたカイルは、タオルを数枚と、お水が入ったボウルを持っていた。
それをサイドテーブルに置くと、「汗をかいている」と言って、私のネグリジェとパンツをサッと脱がせる。
逆らう力がない私は、屈んでいるカイルの両肩に両手を置いて、カイルに従った。
私の全身をタオルで拭き終えたカイルは、自分が着ていたシャツを脱いで、それを私の首に通した。
両腕は自分で通す。
優しい手つき。
シャツから微かに香るオレンジの香り。
今ここにいるカイルは、本物なんだよね・・・?
私は思わずカイルの白いシャツをギュッと握りしめた。
「ゴライブ(ありがとう)」と言う私に、カイルはいつもどおりフッと笑うと、「解熱剤を飲んでおけ」と言った。
「あ、うんんっ!」
カイルが錠剤とお水を飲んだのは、私に口移しで飲ませたからだ。
と分かったのは、実際そうされたからで・・・。
ご丁寧に、カイルってば私の口から溢れたお水まで吸い取ってくれたし。
全く。この人のやることって、よくわかんない。
と思いながら、ズボンと下着を無造作に脱ぐカイルを、私はじっと見ていた。
まだ微熱はあったものの、体は動くので、ヒルダさんへ大学に連れて行ってもらった。
解熱剤には眠くなる成分が入っているとかで、まだ飲むわけにはいかない。
試験中にグーグー寝てしまったら、ここまできた意味もないし。
それこそにシャレにならないじゃないの。
試験会場の広い教室は、私の他に5人ほどいた。
カンニング防止のために、それぞれ離れた場所に座らされる。
この人たちとはイシュタール大学のキャンパスで再会できますようにと思いながら、試験は始まった。
試験は3時間ほどで終わった。
カイルやジェイドさんが言ったとおり、試験問題は比較的簡単だった。
過去の試験問題を解いてきた甲斐があったとも思う。
テオやヒルダさんやコウさんの教え方も上手だったし。
合格か不合格かはまだ分からないけど、ひとまずホッとする。
できることはやったと思うし。
でも・・・花壇のレンガで打った右腰と、美人さんに掴まれた左手首周辺は、まだズキズキ痛む。
帰りたい。
でもその前に、大事な用を済ませないと。
と思っていたら、コウさんが教室へ来てくれた。
「試験はどうでしたか?」
「コウさんが教えてくれたところがバッチリ出たし。とにかくできたって手ごたえはあります」
「それはよかった」
「あの・・・」と私は言いながら、あたりをキョロキョロ見渡した。
誰もいないことを確認した私は、コウさんと教室の隅へ自然に移動した。
「どうしましたか、ナギサさん」とコウさんは日本語で囁く。
「これを」と私は言いながら、コウさんにスマホを渡した。
「これは・・フォンですか?」
「スマートフォンと言います。私はスマホって言ってるけど」
「まさかこれは、あっちの世界の・・・」
「はい」
「そうですかー。前に携帯電話を見せてもらったときも驚いたが。フォンより少し大きくて厚いですねぇ」とコウさんは言いながら、スマホをひっくり返したりしてまじまじと見ている。
「これがあっちへ帰る手助けをしてくれるかもしれません」
「な・・・んですと・・・!」
「今夜これを持ってデューブ・フォラオイゼ(黒い森)へ行ってください。前私が言った場所、覚えてますか?」
「はい」
「そのあたりを中心に、ピピッという音が鳴る方向へ行けば、帰れるかもしれない」
コウさんは驚きの眼差しで、私を見ていた。
「でもこれは、あくまでも可能性で、確かなことじゃないんです。だからあまり期待しないでほしいんですけど」
「ナギサさんも一緒に行きましょう」
「私はいいんです。私は・・・私はここにいます」
私は決然とした顔でコウさんを見ると、コウさんは「そうか」と言って2・3度うなずいた。
「あ!あと、これも持って行ってください」と私は言うと、バッグから財布を取り出して、日本円を全額コウさんにあげた。
「先立つものがこれだけしかないのは申し訳ないんですけど、多少の足しにはなるかと・・」
「ありがとう・・・ありがとう、ナギサさん」と言うコウさんの目からは涙が出ていた。
「あっちへ戻れなかったときは、スマホとお金は必ず返します」
「そうならないことを願ってます。あの・・・一つだけお願いしてもいいですか?」
「何なりと」
「もし・・・もしコウさん・・・荒木さんがあっちの世界へ戻れたら、スマホに登録されてる誰か・・・私の友だちでも家族でもいい。一人でいいからその人と連絡を取って、私は元気だと伝えてください。おねがいします・・・」
私はそう言うと、荒木さんに頭を下げていた。
期待と不安、いろいろな気持ちが合わさって、涙が出てくる。
荒木さんは私に頭を上げさせると、泣きながらニコッと笑った。
「お安い御用です。必ず伝えますよ」
「ありがとう・・・」
「こちらこそありがとう、ナギサさん。あなたは私に希望を与えてくれた」
私たちは涙を流しながら、ニッコリ微笑んだ。
漂流者で日本人という共通点があるせいか、荒木さんとは同志のような絆で結ばれている気がする。
だから笑顔で別れの挨拶を済ませたい。
どうやら荒木さんも私と同じと思いを抱いているようだ。
「ではナギサさん。お元気で」
「荒木さんが奥さんと息子さんに会えますように」
先に荒木さんを見送った後、教室から出た私を、テオが待っていてくれた。
壁に寄りかかって腕を組んでたテオは、私を見つけるとニコッと微笑んで近づいた。
そして私の肩に手を回すと、促すように歩き出した。
「試験どうだった?」
「できたと思う。合格してるといいな」
「ナギサならダイジョウブ」
「テオ」
「ん?」
「スマホ・・・コウさんにあげちゃった。ごめん・・・ね」
さっき泣き止んだばかりなのに、また涙が出てきた。
テオは私の泣き顔を見せないよう、さりげなく隠しながら歩いてくれる。
「なんで僕に謝るんだ?」
「だっ、て、あなたは、あっちの世界へ、行きたがってた・・・」
「あぁ。今はジェイドがいるところにいればいいと思ってるから、あっちの世界にはそんなに興味ないんだ。それにあのスマホは君のものだろ?君が誰にあげようと、僕の許可を得る必要はない」
「ん・・・ありがと・・・」
と言う私の頭に、テオは大きな手を乗せて私を引き寄せると抱きしめた。
「それよりいいのか?ナギサ。あれがなければ帰れないかもしれないんだぞ」
「いいの」
「それが君の望むことなら、僕は嬉しいよ」とテオは言うと、泣いてる私の背中と頭を優しく撫でてくれた。
試験が終わったこと。
荒木さんにスマホを渡せたこと。
そして荒木さんに願いを託せたこと。
色々な気持ちの中でも、安堵感がドッと出たのか。
私はテオの車に乗ってからすぐに目をつぶって・・・眠ってしまった。
『帰ろうなぎさちゃん。ほら、私の手をつかんで』
「や・・・」
『凪砂、ここはあなたがいるべき世界じゃないの。私たちと一緒に行きましょう。ね?』
「ん・・・ちが・・・」
お母さんが私の手を強引に掴んだ。
『急ごう。時間がない』
「な・・・」
私の片手は友だちのあっちゃんに、もう片方の手はお母さんに掴まれている。
しかも立ってるという感覚がなくなったと思って下を見たら、地面に穴が開いて真っ黒になっていた。
『なぎさちゃん・・・』
『凪砂・・・』
両サイドから手を引っ張られているのに、全然痛くない・・・え?みんながいない。
手・・・引っ張られてない。
良かった。
でも周囲が真っ黒なこの場にひとりぼっちって・・・なんで?
ここ・・・どこ?
カイル・・・カイルはどこ?
あれ?私・・・!
私の足元がない!
しかも私は足からどんどん消えていってる!
「・・て。カイ・・・ル!カイル!」
「ナギサ!」
「ぃやぁ!!」
「ナギサ」
「カイルだ・・・」
「やっと目が覚めたようだな」と言うカイルは、私の手を握ってくれていた。
「あ・・・・・・さっきの、夢、だよね。もちろん・・・」
ハハッと笑う私のしょぼい声がむなしく宙に響く。
カイルは私の手を握ったまま、もう片方の手で布団を剥いだ。
そして私を抱きかかえて、隣にあるカイルの部屋へ連れて行ってくれた。
「まだベッドに寝るな。そこに座って待っていろ」とカイルは言うと、私の部屋へ歩いて行った。
熱があるのかな。まだフラフラする。
だから私はカイルの言う通り、ベッドのふちに座らされたまま、大人しくしていた。
私の部屋から戻ってきたカイルは、タオルを数枚と、お水が入ったボウルを持っていた。
それをサイドテーブルに置くと、「汗をかいている」と言って、私のネグリジェとパンツをサッと脱がせる。
逆らう力がない私は、屈んでいるカイルの両肩に両手を置いて、カイルに従った。
私の全身をタオルで拭き終えたカイルは、自分が着ていたシャツを脱いで、それを私の首に通した。
両腕は自分で通す。
優しい手つき。
シャツから微かに香るオレンジの香り。
今ここにいるカイルは、本物なんだよね・・・?
私は思わずカイルの白いシャツをギュッと握りしめた。
「ゴライブ(ありがとう)」と言う私に、カイルはいつもどおりフッと笑うと、「解熱剤を飲んでおけ」と言った。
「あ、うんんっ!」
カイルが錠剤とお水を飲んだのは、私に口移しで飲ませたからだ。
と分かったのは、実際そうされたからで・・・。
ご丁寧に、カイルってば私の口から溢れたお水まで吸い取ってくれたし。
全く。この人のやることって、よくわかんない。
と思いながら、ズボンと下着を無造作に脱ぐカイルを、私はじっと見ていた。