砂の国のオアシス
第二章

「おはようございます、ナギサ様」
「おはようございます、ドクター。あのー、“様”はいらない・・・」
「さあ、採血しますよ。腕を出してください」

・・・また無視ですか。

私はため息をつくと、「またですか」とつぶやいた。
そして腕は出さなかった。
反抗の意を込めて。

私はブスッとした顔で、いつも無表情を決めこんでいる初老のドクターを睨みながら、「なんで毎朝採血するんですか」と聞いた。

「解毒はちゃんとできたものの、ナギサ様は異世界から来たお方。だから、それが効いているのか、血液検査をしています」
「あ・・・・・・そぅ、ですか」
「ですからこれは、ナギサ様のために行っていることですよ。もちろん、リ・コスイレのご意向でもありますし」

来たよ「リ・コスイレ」!
又の呼び名を「国王様」!!

でも・・・。
その言葉を言われなくても、ドクターからそう言われれば仕方ない。
私は素直に腕を差し出した。

「体調はいかがですか?」
「普通・・・良い方だと」
「どこか痛むところはありますか?」
「ありません」
「今まで通り歩けますか?体は今まで通り動きますか?」
「はい。歩くときに噛まれた右脚が痛むのもなくなりました」
「そうですか・・・はい、終わりました。では良い一日を・・・」
「ドクター!」
「何でしょう、ナギサ様」
「採血はいつまで続けるんですか?」
「ナギサ様のお体が大丈夫だと確信できるまで。では」

ドクターは、後片づけの手を休めることなくそういうと、私に一礼してスタスタ歩いて行った。

私がドクターの後姿に「Have a good day too」とつぶやいたとき、ドアが静かに閉まった。





結局、採血は1週間行われた。
もう血を抜かれずに済むとホッとしたのもつかの間。
翌日から生理になった・・・。

まぁ、そろそろ来る時期だったし。
異世界に来ても、時間の流れや日付けの単位は同じだし。

でも時差はあると思う。
気づいたらイシュタールの森に迷いこんでいたときは昼間だったけど、そのとき日本は夜だった。

気候も日本とは少し違う。
イシュタールも今は2月だけど、日本より温かい。
お気に入りのコートも、日中は必要ないくらいだ。
とはいっても、私はまだ、あれから一度も部屋から外へは出ていない。
採血をしている間は、「まだ結果が分からないので」、それが必要なくなってからは、「リ・コスイレのご意向で」、部屋から出ないよう、言われてしまった。

三度の食事は、ヒルダさんという、私のお母さんくらいの年齢と思われる、恰幅の良い女の人が、部屋まで持ってきてくれる。
そのときヒルダさんと少々会話をするのが、私の楽しみのひとつになった。

ヒルダさんは、「ヒルデガルド」というのが本当の名前だ。
でも「長すぎるでしょー?ですからヒルダと呼んでくださいましっ!」とヒルダさんに言われて、現在に至る。

陽気なヒルダさんは、異世界から来た私のことを怖がることもなく、ごくフツーに接してくれる(まぁ、こっちの人間もあっちの人間も、見かけは同じだし)。
だけど、ヒルダさんは自分から話すことは天気のことといった、無難なことしかしゃべらない。
どうやら自分からあれこれしゃべるなと、リ・コスイレ・・イシュタールの国王であるカイルから言われているみたいだ。

その代わりなのか、私が質問をすると、喜んで答えてくれる。
「この部屋にあるものは自由に使っていいと、リ・コスイレがおっしゃっておりましたよ」と、ヒルダさんから言われたので、壁一面にある本棚にズラーッと並んでいる本を、片っ端から読み漁っている。

ただ、身長153センチの私には、上の方にある本は届かない。
それでも今は、下の方にある本を、まだ読み終わってないからいいとして。
本は、地理や歴史、経済といった硬い分野もあれば、恋愛や料理といった女子向けのもの、心理学など、多種多様な本がたくさん揃えられている。
ここだけでも小さな図書館みたいだ。
読書が好きな私にとっては、非常にありがたい。

幸か不幸か、読む時間はたくさんあるし・・・。
この部屋にある本は、全て英語で書かれているけど、2歳から15歳までを英語圏で過ごした私は、英語の本を読むことが苦じゃない。
でも、できたら日本語の本が読みたいなとは思う。
毒蛇に噛まれた体は、元通り元気になったけど、心はホームシックにかかっている。

私はため息をつくと、本をパタンと閉じた。
そして、座っていた椅子を一脚持ち上げると、窓辺へ持って行った。

それを中継地点にすると、私は高い窓辺によじ登って腰かけた。

ここに来て今日で2週間経った。
みんな私のことを探しているかな。
バイトも大学も無断で休んでるから、私がいなくなったこと、みんな知ってるよね?
それとも、元いた世界には、「私じゃない私」がいるとか・・・。

だったら「私」がいなくなったことなんて、誰も気づいてないよね。
「私」がいなくなっても、元いた世界は今まで通り動いていて・・・。

あぁ、そういうこと考えちゃったのは、さっきまでそんな感じのストーリーのSF本を読んでたせいかな。

私がいても、いなくても、世界は回る。
そうそう。私がいてもいなくても、世界が終わるわけじゃない・・・。

ハハハとむなしい笑い声を上げながら、私は外の景色を見た。

王宮という場所が元々郊外にあるのか、周囲にあるのは木ばかりだ。
木々の向こうに小さく見える街並は、一体どんな感じなんだろう。


そのとき、ドアが開いた音が聞こえた私は、そっちを見ると・・・カイルが立っていた。

「な・・・」

お互いその場で2・3秒見つめ合った、と思った次の瞬間、カイルが「ナギサーッ!!」と大声で叫びながら、窓辺にいる私の方へ突進してきた。

いきなり名前を叫ばれた私は、体をびくつかせた拍子に、右手で鉄柵をギュッとつかむ。
それでもカイルの「突進」は止まることなく、私に向かって来た。

「ぎゃああはいっ??」
「ナギサッ!そこから降りろ!」
「は?えっーと・・・」
「今すぐだ!今すぐ降りろ!!降りなさい!!!」
「わわわ分かった!分かったから、ちょっと黙ってよ」

カイルの勢いに押された私は、つっかえながらブツブツつぶやいて、両足を中継地点にしていた椅子につけた。
途端、カイルがまた一歩近づいて、私を担ぎ上げた。

「ぎゃーっ!なんっ、何すんですかーっ!下ろしてよ!」と、今度は私が叫んでも、カイルは完全に無視している。

カイルは私を米俵のように、右肩にひょいと乗せたまま、スタスタと歩くと部屋を出た。
ドアのすぐそばで待機していた女の人・・・あの人は確か、私が睡眠薬の注射を打たれたときに、カイルに「お時間です」と言いに来た美人さん・・・に、早口で何か言っていた。

英語じゃない、私も聞いたことがない言葉。
ということは、イシュタール語?みたいな言葉で、「命令」していたと思う。

美人さんは返事をすると、一礼して行ってしまった。
私たちとは反対方向へ。

行くとき、美人さんの視線が冷たい気がしたのは、カイルに担がれて、頭が下になってるせいかな、と思いたい・・・。



「下ろしてよ!」
「Not yet」
「頭に血が上る!」
「ならば頭を上げていろ」

叫ぶ私とは反対に、カイルはいたってクールな口調でそう言い放つと、最後はフンと鼻で笑った。

な・・・なにこれ。
ていうか、これからどこ行くんですか・・・?












庭に着いたとき、カイルは私を下ろしてくれた。
カイルの様子から、「処刑」でもされるんじゃないかとヒヤヒヤしていた私は、首がまだつながっていることに、心の底から安堵した。

でもカイルはまだご立腹のようで、私を立たせた途端、二の腕に大きな手を置いて、睨み顔をグッと近づけてきた。

怖い。
と思ったけど、それ以上に鼓動がドキドキ激しいのは、別の理由のような気が・・・。


< 5 / 57 >

この作品をシェア

pagetop