砂の国のオアシス

「座ろうか」とエイチさんに言われた私は、コクンとうなずいて近くにあったベンチに腰掛けた。

「すまないな。おまえを泣かせるために言ったのではないのだが」
「わ、分かってる。私こそ・・・ごめんなさい。ただ泣くことしかできなくて・・・」

私はエイチさんに手渡されたハンカチで涙を拭くと、人目につかないようにうつむいていた。

「敵国に着いた私は、そこで捨てられた。壊れた私の子宮は使い物にならんと言ってな」
「ひど・・ひどいよ、そんな・・・」
「まあそうだな。あの時殺してもらったほうが良かったのかもしれないと、今でも・・・時々だが思うときもある。だが私は生き永らえた。あの場に何日か蹲(うずくま)ったままの私を助けてくれた人のおかげで。私から見たらとてつもなく大男に見えたその人は、干からびた私を軽々と抱き上げて、自分の家へ連れて行った。あの時は・・・次はこ奴の“奴隷”になるのかと思った」

と言ったエイチさんは、渇いた声でクスッと笑った。
でも遠い目をしていながら、どこか懐かしむような和やかさをエイチさんから感じた私は、ちょっとホッとした。

「その人は私に水と食べ物を与えてくれた。体が癒えるまで看病をしてくれた。新しい服とベッドもくれた。そして体が癒えた私に、勉学と剣術をはじめとした武術全般を教えてくれた。敵を倒すためではない、自分自身と自分の大切な者を護るための術だと言って」

私はグシャグシャにしたハンカチを握りしめたまま、鼻をすすってコクコクうなずいた。

「それから2年後に、恩師・・・ベルセルクと呼ばれていた男の薦めで、私はSU(エスユー)の北部支部へ入隊した。ベルセルクはSUの元北部支部大元帥だ」
「ぅわ・・・!」
「SUでの訓練は、きつくて厳しかったが楽しかった。それから12年経ったある日、ベルセルクから弟子をそっちに送り込むからビシビシ鍛えてやってほしいと頼まれてな。それが紫龍だ」
「あ!もしかして・・カイルが剣術を教わった師匠って、ベルセルクさん!?」
「そうらしいな。なぜか“王子(プリンス)の護衛”と名乗る奴までついて来てたが」
「あーっ!それ、トールセンでしょ!」
「知っていたのか」
「コードネームのことは、カイルから聞いたことあるよ」

つい“ブラックウィドウ”を思い出した私は、クスッと笑ってしまった。

「紫龍は国と民を護るため、己を鍛えてもっと強くなりたいとよく言っていた。あれの志はプリンスの頃から変わっていない。そしてその志は反映されている」
「そうだね」
「紫龍は国が繁栄することよりも、イシュタールがずっと平和な国であり続けること、イシュタールで生まれ育った者たちの故郷として存在し続けることのほうが重要だと思っている。結果的にその思いは国の繁栄にも繋がる。私の祖国であるバーシュを滅ぼした敵国は、戦争から10年後、クーデターによって滅ぼされた。私欲を追求し続け、国土を広げることを良しとし、それこそが国の繁栄だと盲信した結果だ。だからこそ私は、一国の王として国を統治する紫龍を尊敬している」と言ったエイチさんに、私はうなずいて賛同した。

「あれの手腕は見事だし、生まれ持った力、威厳と言い換えても良いが、とにかくそれを正しく使っている。だからこそ私はおまえの護衛を引き受けた。他ならない私の元部下から頼まれたことでもあるしな」
「ありがとう」
「礼を言いたいのは私の方だ。おまえを護衛するのは楽しい。それに私は小学校も卒業してないからな。女子大生に扮して若人たちと一緒に勉強するのも楽しいことだ」
「そっか。でもエイチさんって勉強する必要ないくらい、めちゃくちゃ頭いいよね」
「記憶力が良いだけだ。だが欲を言えば、おまえには英文科ではなく、体育学科に入ってほしかった。講義を聴くのは時に退屈だ。体を動かす授業があれば良いのに」

と言って大げさにため息をつくエイチさんを見た私は、「ごめんねー」と言いながら、クスクス笑った。

「まあ良い。しかし紫龍は変わった部分もある」
「はい?どこが?」
「おまえにはデレデレしてるだろう」
「えー?そうかなぁ」

カイルってかなーり俺様だよ?
それに偉そう・・てか、実際偉い人だった。ははっ。

「レッドもそうだ。愛する者の前では、威厳もどこかへ飛んで行くらしい。その点は昔と変わったと思う」と言うエイチさんの口調も顔も、決して彼らを責めてはいない。

むしろ、とても喜んでいるように見える。

「あれらを見て一つ学んだことがある」
「なになに?聞きたい!」
「誰かを愛すると自分は弱くなると思っていたが、実際は逆なのだと」
「それは・・・強くなるってこと?」
「そうだ。誰かを愛すると、私の存在意義というのか、それは強くなる。そしてその相手から愛されていると実感すると、それはとても強くなる。結局は信頼の問題なのかもしれないな。“愛してる”と言う相手が本当に私を愛しているのか。それは相手を信じるか術はない」

と言ったエイチさんは、私にというより、自分自身に言い聞かせているように見える。
そしてエイチさんが言ったことは、私も分かる。

「ってことはエイチさん、誰かいい人いるんだ!」

「誰!?教えて!」と詰め寄ってみると、エイチさんは「そのうち分かる」と言って微笑んだ。

その微笑みが、私には聖母のように美しく見えた。




王宮に着いた私たちは、部屋へ行く途中、ウィンとイングリットさんを見た。

「あれ・・ウィンだよね。カイルは今日、公務が休みじゃないのに。護衛をしなくていいのか、わぅ」

ブツブツ言ってる私の口をエイチさんは塞ぐと、「大声でしゃべるな」と囁いた。
そのままウンウンとうなずいた私を見たエイチさんは、口から手を離してくれた。

そして私たちは、ウィンとイングリットさんから見えないところへ、コソコソ移動する。
私は「なんで?」と思いつつ、エイチさんに従った。

「ナギサ」とエイチさんに囁かれた私は、エイチさんに倣って「はい」と囁き返した。

「あの二人のことはどこまで知っている」
「どこまでって、えっとー、ウィンはカイルの護衛をしてて、イングリットさんはカイルの秘書で。そして彼らは親子でしょ?」
「そうだな。今ここで話しているのも、ごく“自然”に見える、“仲の良い母と息子”だな」と言うエイチさんの言い方に引っかかりを感じた私は、視線を二人からエイチさんへ移した。

私の視線を感じたのか。
エイチさんは、二人を見ながらニヤッと笑った。

う。美人なエイチさんだからキマる顔だ!
でもエイチさんは、それからすぐ真顔になると、二人を見たまま衝撃的なことを告げた。

「イングリット・デルボーを信頼するな」
「・・・は?なんで・・」

「それからルシファー、いや。ウィン・デルボーのことも。特にイングリット・デルボーと二人きりになるな」





なぜにエイチさんはそんなことを言ったのか。
悶々と悩みつつ、カイルが来るのを待っていた私は、いつの間にか眠っていた。


「ん・・・・・・カイル。おかえりなさい。ごめん、眠ってた」
「構わん。もう日付は変わる時刻だ」
「あ、そう?」

そこまで遅い時間だったら、いつもは私を起こすことなく自分も眠るのに。
珍しい・・というより、この部屋に移ってからは、起こされたの初めてじゃない?

話したいことがある・・・あ、もしかして。

「ねえカイル。ウィンとイングリットさんって何かあるの?」
「・・・アルージャが昔、独裁的に国を統治していたことは、おまえも知っているな?」
「は?あ・・うん」

カイルの声と顔を見る限り、そのこととウィンたちは関係がある・・・みたい。

「アルージャの元シークであるルイ・バンドムは、現在カーディフの独房にいる」
「あぁ。昔してきた罪諸々で」
「そうだ。だがバンドムの家族、妻子に罪はないと言うことになり、牢獄には入っていない。奴らは一市民としてカーディフで暮らしていたが、他の者たちからの風当たりが強かったのだろう。現在は北にある国へ移り住んでいる」
「それは・・・彼らがバンドムの妻子だったから?」
「それもあるが、実際は奴らもルイの“恩恵”を受けていたからだ」
「あ、なるほど・・」
「王宮を追い出され、王妃と王子という身分を失い、自分で金を稼いで生活しろと言われても、今まで周囲からちやほやされ、人を顎でこき使うだけで自ら動くこともなく、過剰に贅を尽くした暮らしが当たり前だった奴らには、現実を直視できないのだろう」

カイルが言うことはすごく分かりやすくて、私にも理解できた。

「とにかく、自分たちがこうなったのは、俺のせいだと奴らは思っている」
「はあ!?なんでよ!なんでそこであなたが出てくるわけ?それ全然分かんない!」

もう眠気もぶっ飛んだ私は、カイルに向かってムキに叫んでいた。




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