砂の国のオアシス
4
カイルは2・3歩歩いたところで立ち止まって、私の方をふり向いた。
「なかなか似合っていたぞ」
「ん?何が、ですか?」
「イシュタールの服」
「あ・・・」
この2週間、ヒルダさんは食事の他に、服と靴も持ってきてくれていた。
でも最初の1週間は、ドクター以外の人とは会うことがなかったんだけど。
たぶん、細菌みたいに私から何か移ると困るという配慮だったのかもしれない。
ドクターはいつも、顔に大きなマスクつけて、手袋をはめていたし。
だから最初の1週間、食事と服と靴は、いつもドアの向こうに置かれていた。
「イシュタールの服」とは、ヒルダさん曰く、「イシュタールの国民が着る」服、つまり民族衣装のようなものだそうで、ここの気候に適した素材とデザインで作られているそうだ。
確かにこの気候だと、私のおめかし服よりイシュタールの服と靴のほうが、快適に過ごしやすいと思った。
「ありがとう」とお礼を言うと、カイルがニヤッと笑った。
それだけでまたドキッとする私!
「ナギサ」
「はい」
「明日からイシュタール語を学べ」
驚いて、無言で目をパチパチさせながらカイルを見た。
「今のおまえは、イシュタールに住むしか生きる術はない。おまえは英語も分かるようだし、イシュタール(ここ)の公用語は英語だが、イシュタールに長期滞在する者は、イシュタール語を習得するという義務がある。俺の女だからといって、異世界から来たおまえを例外扱いにするつもりはない」
いつまで滞在するのかは分からないけど、カイルの言うことはもっともだ。
・・・ていうか、「俺の女だからといって」の部分は、余計じゃないですか?!
とにかく、たとえ短期の滞在になっても、そこに住む言葉を覚えることは役に立つ。
私はコクンとうなずくと、「分かりました」と言った。
「これからはヒルダをおまえにつける。イシュタール語はヒルダから習え。俺がヒルダに言っておく」
「はい」
「ヒルダのことは信頼しても良い。それからジェイドのこともな」
ヒルダさんのことは、すでに信頼している。
ジェイドさんは・・・どうなのかな。
美人な顔立ちとスラッとした体型、優雅で知的な物腰とは裏腹に、ズバズバと物言うタイプだと思う。
でもそこに悪意はなかった。
じゃあ信頼してもいいのかな。
カイルの幼馴染で、カイルの彼女なら・・・信頼してもいいんだよね。
コクンとうなずいた私に、「ジェイドから何か言われたのか」とカイルが聞いてきた。
「えっ!っと・・・あなたとジェイドさんは幼馴染だと」
「他は」
「う・・・この2週間、ハンパない仕事量にブチ切れたとか・・・」とつぶやいたら、カイルがクスクス笑った。
「確かに、この2週間は公務のペースを上げたからな。キレたジェイドに何度クビを言い渡したことか」
「だっ、だから・・」
その様子が想像できちゃう!
カイルにつられて笑いそうになった私に、カイルが一歩だけ近づいた。
「妬く必要はない」
「・・・は?」
「確かにジェイドとは幼馴染だが、あれは非常に有能な秘書だから俺の手元に置いている。それだけだ」
「あ・・・あ、そう・・・」
「それに加えて、お互い利用し合っていると言ってもいいかもしれんな」
「何を・・・?」
仕事のこと?
それとも・・・欲望、とか。
ていうか私、ジェイドさんに妬いてたのかな。
あれこれ頭の中で考えている私に、カイルは「そのうち分かる」とだけ言った。
はぐらかされた。
ううん、「私だから」知る必要はない、のかな・・・。
と思ったら、またのけ者になった気がして、ちょっとだけ悲しくなった。
「おやすみ、テンバガール」
「“テンバ”って、どういう意味ですか?」
「イシュタール語だとだけ言っておこう」
「ぐ」
「だからナギサもそのうち分かる」
願わくば、良い意味であってほしいです、はい・・・。
私はカイルの後姿に向かって、「おやすみなさい、カイル」と言うと、カイルは前を見たまま右手を上げて応えてくれた。
もう。どこまでも俺様国王なんだから・・・。
でもその姿がサマになっているのは、やっぱりカイルだからだもんね。
2週間ぶり、今夜会ったのが4度目のカイルのことを、すでに国王様(リ・コスイレ)だと受け入れてると、私は気がついた。
新しい部屋のテーブルに、私のバッグとその中身全部が置いてあった。
そしてタイツ以外のおめかし服と靴は、クローゼットに置かれていた。
バッグと靴は新品のように磨かれていて、服はアイロンがかかったようにピシッとキレイな状態だったのが、とても嬉しかった。
案の定、スマホはもうバッテリー切れで使えないけど。
それでも、スマホはもちろん、服も靴も学生証やお財布も、全部捨てずに持っておこう。
まだ使えるのに、捨てるなんてもったいないことできない!
それに、元いた世界に帰ったら、これらはまた使うから。
いつ帰れるのか分からないけど。
という心のつぶやきは極力無視して、私は真っ黒な画面のスマホをバッグに入れると、バッグをクローゼットに置いて、広々としたベッドへもぐりこんだ。
翌日から、王宮での私の生活が本格的に始まった。
部屋から出れなかったときは、読書とヒルダさんとのおしゃべり、そして窓から外の景色を眺めることが、ささやか、かつ私の3大楽しみと化していた。
でも今は、それらに庭の散策と、カイルからもらった種を育てること、そしてイシュタール語の勉強も、私の楽しみに加わった。
3度の食事は、今まで通りヒルダさんが部屋に持ってきてくれるのを、部屋でいただく。
イシュタール語の勉強は、部屋でヒルダさんから教えてもらう。
午前中か午後、マックス2時間ほどを毎日。
「どれくらいの時間をかけてお勉強をしたかより、短くても毎日続けることが大事でございます」というヒルダさんの意見に、私も賛成だ。
驚いたことに、イシュタール語には文字がない。
だからイシュタール語を文字で説明するときは、アルファベットを使っている。
「建国以来、長い年月をかけて語り継がれているイシュタールの誇りでございます」と言っていたヒルダさんの顔は、イシュタール人としての誇りに満ちていた。
ラッキーなことに、イシュタール語の中には、英語と全く同じ単語もあるし、冠詞が人称で変化するとか、ややこしいルールもない。
日本語と英語の通訳を目指して、すでに1年近く勉強していた私としては、イシュタール語を習得することは、比較的苦ではないと言える。
あのときカイルが言っていた「テンバ」の意味も、すぐ分かったし。
「どうしたナギサ。“俺に会えてとても嬉しい”という顔をしているが」
「私のどこが“テンバ”なんですか!」
カイルの嫌味はひとまず無視して、挑むように顔を突き出してカイルに聞くと、カイルはフッと不敵な笑みを、カッコいい顔に浮かべた。
国王としての威厳や、セクシーなオーラに、思わず怯みそうになった私だけど、そこはがんばってその場に踏ん張った。
「窓によじ登っていただろ。しかも高いところにある。落ちたらどうするんだ」
「鉄柵がついてたから、そう簡単には落ちません・・・ってまさか、それで私の部屋を変えたとか・・・」
見晴らしの良かった3階から、最下の1階に。
「それもあるが、あそこは元々病棟として使っている場所でもある。とにかく、あんなアクティブすぎることは二度とするな」
「・・・はぁい」
「何がおかしい」
「ぅんっと・・・日本語にも“お転婆”って言葉があるんですよ。“テンバ”と意味も同じです」
「ナギサのためにある言葉だな」
あ。カイルが笑った。
不敵な笑みじゃなくて、心底面白いとか楽しいって感じの笑い顔をしているように見える。
・・・もっと見たい。
国王という役割を外したこの人の素を。
カイル・マロークという、男の人の部分を。
それ以上に、カイルにはもっと・・・私の前ではくつろいでほしいと思った。
国王としての責任とか重圧とか、周囲の思惑やしがらみといった余計なことを、私といるときは忘れてほしい。
ううん、私といることで、そういう余計なことを考える必要がないとカイルが思ってくれたら、すごく・・・嬉しいと、強く思った瞬間だった。
「なかなか似合っていたぞ」
「ん?何が、ですか?」
「イシュタールの服」
「あ・・・」
この2週間、ヒルダさんは食事の他に、服と靴も持ってきてくれていた。
でも最初の1週間は、ドクター以外の人とは会うことがなかったんだけど。
たぶん、細菌みたいに私から何か移ると困るという配慮だったのかもしれない。
ドクターはいつも、顔に大きなマスクつけて、手袋をはめていたし。
だから最初の1週間、食事と服と靴は、いつもドアの向こうに置かれていた。
「イシュタールの服」とは、ヒルダさん曰く、「イシュタールの国民が着る」服、つまり民族衣装のようなものだそうで、ここの気候に適した素材とデザインで作られているそうだ。
確かにこの気候だと、私のおめかし服よりイシュタールの服と靴のほうが、快適に過ごしやすいと思った。
「ありがとう」とお礼を言うと、カイルがニヤッと笑った。
それだけでまたドキッとする私!
「ナギサ」
「はい」
「明日からイシュタール語を学べ」
驚いて、無言で目をパチパチさせながらカイルを見た。
「今のおまえは、イシュタールに住むしか生きる術はない。おまえは英語も分かるようだし、イシュタール(ここ)の公用語は英語だが、イシュタールに長期滞在する者は、イシュタール語を習得するという義務がある。俺の女だからといって、異世界から来たおまえを例外扱いにするつもりはない」
いつまで滞在するのかは分からないけど、カイルの言うことはもっともだ。
・・・ていうか、「俺の女だからといって」の部分は、余計じゃないですか?!
とにかく、たとえ短期の滞在になっても、そこに住む言葉を覚えることは役に立つ。
私はコクンとうなずくと、「分かりました」と言った。
「これからはヒルダをおまえにつける。イシュタール語はヒルダから習え。俺がヒルダに言っておく」
「はい」
「ヒルダのことは信頼しても良い。それからジェイドのこともな」
ヒルダさんのことは、すでに信頼している。
ジェイドさんは・・・どうなのかな。
美人な顔立ちとスラッとした体型、優雅で知的な物腰とは裏腹に、ズバズバと物言うタイプだと思う。
でもそこに悪意はなかった。
じゃあ信頼してもいいのかな。
カイルの幼馴染で、カイルの彼女なら・・・信頼してもいいんだよね。
コクンとうなずいた私に、「ジェイドから何か言われたのか」とカイルが聞いてきた。
「えっ!っと・・・あなたとジェイドさんは幼馴染だと」
「他は」
「う・・・この2週間、ハンパない仕事量にブチ切れたとか・・・」とつぶやいたら、カイルがクスクス笑った。
「確かに、この2週間は公務のペースを上げたからな。キレたジェイドに何度クビを言い渡したことか」
「だっ、だから・・」
その様子が想像できちゃう!
カイルにつられて笑いそうになった私に、カイルが一歩だけ近づいた。
「妬く必要はない」
「・・・は?」
「確かにジェイドとは幼馴染だが、あれは非常に有能な秘書だから俺の手元に置いている。それだけだ」
「あ・・・あ、そう・・・」
「それに加えて、お互い利用し合っていると言ってもいいかもしれんな」
「何を・・・?」
仕事のこと?
それとも・・・欲望、とか。
ていうか私、ジェイドさんに妬いてたのかな。
あれこれ頭の中で考えている私に、カイルは「そのうち分かる」とだけ言った。
はぐらかされた。
ううん、「私だから」知る必要はない、のかな・・・。
と思ったら、またのけ者になった気がして、ちょっとだけ悲しくなった。
「おやすみ、テンバガール」
「“テンバ”って、どういう意味ですか?」
「イシュタール語だとだけ言っておこう」
「ぐ」
「だからナギサもそのうち分かる」
願わくば、良い意味であってほしいです、はい・・・。
私はカイルの後姿に向かって、「おやすみなさい、カイル」と言うと、カイルは前を見たまま右手を上げて応えてくれた。
もう。どこまでも俺様国王なんだから・・・。
でもその姿がサマになっているのは、やっぱりカイルだからだもんね。
2週間ぶり、今夜会ったのが4度目のカイルのことを、すでに国王様(リ・コスイレ)だと受け入れてると、私は気がついた。
新しい部屋のテーブルに、私のバッグとその中身全部が置いてあった。
そしてタイツ以外のおめかし服と靴は、クローゼットに置かれていた。
バッグと靴は新品のように磨かれていて、服はアイロンがかかったようにピシッとキレイな状態だったのが、とても嬉しかった。
案の定、スマホはもうバッテリー切れで使えないけど。
それでも、スマホはもちろん、服も靴も学生証やお財布も、全部捨てずに持っておこう。
まだ使えるのに、捨てるなんてもったいないことできない!
それに、元いた世界に帰ったら、これらはまた使うから。
いつ帰れるのか分からないけど。
という心のつぶやきは極力無視して、私は真っ黒な画面のスマホをバッグに入れると、バッグをクローゼットに置いて、広々としたベッドへもぐりこんだ。
翌日から、王宮での私の生活が本格的に始まった。
部屋から出れなかったときは、読書とヒルダさんとのおしゃべり、そして窓から外の景色を眺めることが、ささやか、かつ私の3大楽しみと化していた。
でも今は、それらに庭の散策と、カイルからもらった種を育てること、そしてイシュタール語の勉強も、私の楽しみに加わった。
3度の食事は、今まで通りヒルダさんが部屋に持ってきてくれるのを、部屋でいただく。
イシュタール語の勉強は、部屋でヒルダさんから教えてもらう。
午前中か午後、マックス2時間ほどを毎日。
「どれくらいの時間をかけてお勉強をしたかより、短くても毎日続けることが大事でございます」というヒルダさんの意見に、私も賛成だ。
驚いたことに、イシュタール語には文字がない。
だからイシュタール語を文字で説明するときは、アルファベットを使っている。
「建国以来、長い年月をかけて語り継がれているイシュタールの誇りでございます」と言っていたヒルダさんの顔は、イシュタール人としての誇りに満ちていた。
ラッキーなことに、イシュタール語の中には、英語と全く同じ単語もあるし、冠詞が人称で変化するとか、ややこしいルールもない。
日本語と英語の通訳を目指して、すでに1年近く勉強していた私としては、イシュタール語を習得することは、比較的苦ではないと言える。
あのときカイルが言っていた「テンバ」の意味も、すぐ分かったし。
「どうしたナギサ。“俺に会えてとても嬉しい”という顔をしているが」
「私のどこが“テンバ”なんですか!」
カイルの嫌味はひとまず無視して、挑むように顔を突き出してカイルに聞くと、カイルはフッと不敵な笑みを、カッコいい顔に浮かべた。
国王としての威厳や、セクシーなオーラに、思わず怯みそうになった私だけど、そこはがんばってその場に踏ん張った。
「窓によじ登っていただろ。しかも高いところにある。落ちたらどうするんだ」
「鉄柵がついてたから、そう簡単には落ちません・・・ってまさか、それで私の部屋を変えたとか・・・」
見晴らしの良かった3階から、最下の1階に。
「それもあるが、あそこは元々病棟として使っている場所でもある。とにかく、あんなアクティブすぎることは二度とするな」
「・・・はぁい」
「何がおかしい」
「ぅんっと・・・日本語にも“お転婆”って言葉があるんですよ。“テンバ”と意味も同じです」
「ナギサのためにある言葉だな」
あ。カイルが笑った。
不敵な笑みじゃなくて、心底面白いとか楽しいって感じの笑い顔をしているように見える。
・・・もっと見たい。
国王という役割を外したこの人の素を。
カイル・マロークという、男の人の部分を。
それ以上に、カイルにはもっと・・・私の前ではくつろいでほしいと思った。
国王としての責任とか重圧とか、周囲の思惑やしがらみといった余計なことを、私といるときは忘れてほしい。
ううん、私といることで、そういう余計なことを考える必要がないとカイルが思ってくれたら、すごく・・・嬉しいと、強く思った瞬間だった。