耳に残るは
花火大会が終わると、帰るために会場内の人々がゆっくりと動きだす。
会場には沢山の人がいるので、ブロックごとに退場することになっている。
まだ退場できるまで時間はありそうだったけど、私はざわめきの中、立ちあがった。
長時間固い床に座っていたお尻を労わるようにさすりながら、
スカートの裾を直していたら、
大きく伸びをしてから立ちあがった川田さんの声が斜め上から聞こえてくる。
「あれ?山野さん、なんか、ちっちゃくない?」
「え?」
打ち上げ花火の音の残響があるのか、隣に立つの彼の声は少し遠く聞こえる。
「いや、なんか、会社で隣に並んだときよりもなんとなく・・・あ、靴履いてないからか」
私の足元をチラっと見る彼の顔は、合流したときよりも赤い。・・・お酒に強くはないみたいだ。
私のあたまに視線を戻した彼が笑いだした。
「ハハッ、小っさ! 普段はヒールで嵩増ししてんのか」
「川田さん、酔ってます?」
「ん?酔ってないよ、たぶん。なんで?」
「そんなの見てればわか・・・ちょっ、川田さん!髪の毛がボサボサになるから!」
はじめは頭をポンポンと軽く叩くだけだったのに、私の頭をぐりぐり撫でてくる。
大きな手の動きに合わせて頭がグラグラするし、髪の毛もぐしゃぐしゃになるし。
その手を振り払って彼を睨んでも、彼はニコニコしながら私を見下ろしたままだった。
川田さんのことはよく知らないけど、さっきまでとキャラ変わりすぎじゃないか?
酔うとはしゃぐタイプか。
絶対酔っぱらってる。
「ハハ、山野、アタマおもしろいことになってんぞ」
・・・誰のせいだと!
っていうかいつの間にか呼び捨てだし。
「だいたい、私が小さいんじゃなくて川田さんが大きいんですよ。
身長だって160センチは無いけど、会社の女性の中じゃ平均くらいですから!」
髪を整えながら怒っていると、美緒がトントンと私の肩を叩いた。
「ね、今、伝言が回ってきたんだけど。奥田さんがこのあと飲みに行きたい人は一緒に行こうって。
私、行こうと思ってるけど山ちゃんどうする?」
「うーん、これから? 明日も仕事あるしなぁ…」
「あ、そっか。山ちゃん明日は出勤かぁ」
「そうなの。しかも明日は受付の掃除当番もあるから早いし」
私は会社で、営業担当が使う書類のチェック関連が主たる業務の部署にいる。
だから営業課が稼働している日は出社なのだ。
美緒は、経理関連の部署なので銀行が動かない土日が休みだ。
同じフロアにいても休日体系が異なるのだ。
「そっかぁ。じゃ、仕方ないね。あ、今の、川田さんにも回しといて。
行くなら入り口のとこで9時10分前まで待ってるから合流してねって言っておいてね」
「わかった」
トイレに寄るからここでバイバイ!と言って足早に人ごみの中へ入って行った美緒を確認し、
川田さんのほうを向いて声をかけた。
「川田さん、今の話、聞こえ…てないですね」
彼は相変わらず少し赤い顔のまま、真面目な表情で眉間に少し皺を寄せたまま俯き、
スマホを操作しているところだった。
「え?ごめん聞いてなかった。何の話して・・・あ、退場だ」
さきほどより酔いがさめたのか、口調がシャンとした状態。
私が口を開きかけたとき、退場アナウンスが聞こえて周囲がいっせいに動きだした。
「とりあえず動かないとダメだな」と言う彼に頷き、人の流れに沿うようにして歩いた。
彼の背中を見ながらしばらく歩き、二人横並びで歩けそうな通路に出たところで
軽く振り向きがら彼が歩幅を縮め、私の隣に並ぶ。
「ごめんな。さっき、何だった?」
「いえいえ。奥田さんが『飲みに行ける人だけで入口に集合しよう』って言ってるそうです。
9時10分前まで待ってるって伝言が回ってきてて・・・」
「あ、そういう話ね」
「ハイ。川田さん行きますか?」
「いやー、俺、今日はパスだわ。『明日、朝9時に八王子の客先アポ入った』
って課長から今メール来た」
「うっ、八王子に9時ですか? 川田さん、ご自宅どこですか」
「北品川。明日のアポさえなければ飲みたいとこだけど・・・
電車だけで1時間半以上かかるっつーのに朝9時集合なんて言われて、さすがに酔いも吹っ飛んだよ。
しかも八王子着いてそれで到着じゃないからなー。駅から更に移動あるからもっと早く出ないとだし。
飲んでる場合じゃないわ」
「それは・・・おつかれさまです」
「山野さんは?行くの?」
いつの間にか、呼び捨てから元の呼び方に戻ってる。
「あ、いえ。私も明日はどうせ出社ですから。受付の掃除当番もあるし、今日は帰ろうかなって」
「そっか。まったくお互い土曜に仕事ってツイてないよな」
「ですねー」
苦笑いをしながら、ゆっくりと進む人の流れのまま、出口をくぐった。
たぶん川田さんと私の行く方向は逆方向になるはずだ。
「私、地下鉄なのであっちなんです。川田さんはJRですよね? 明日、早起き頑張ってくださいね」
軽く会釈をして、体の向きを変えようとしたところで彼が言った。
「え?駅まで送るよ。すぐそこだろ?」
「いえ、一人で大丈夫で」
ギャハハッ!!
私の「大丈夫です」の「す」は、数メートル先を歩く、学生らしき集団の笑い声にかき消される。
大きな声に、体もびくっとしてしまった。
「・・・平気じゃないだろ」
彼は怪訝な顔で、笑い声の方向を睨んだ。
「え?いえいえ。明日、早起きするんですよね?私は大丈夫ですよ。それより早く帰って寝てください。
まだ人も多いし、一人で帰れますから。おつかれさまでした!」
私は再び会釈をして、彼に軽く手を振ると今度こそ体の向きを変えた。
「いや、ちょっと、山野さ・・・」
彼が再び声をかけてくれていたのに、私は気付かないまま歩きだした。
ほんとは手前を歩く集団(たぶん酔っ払い)が少しイヤだなと思ったけど、
彼氏でもない人にわざわざ遠回りして送ってもらうのも微妙だ。
そんなふうに思っていたはずなのに。