私雨。1


私雨。10

大志田は時計を見た。
S区三郷迄通常40分。病院の場所は確認している。
が………緊急車両に変えても、
(この渋滞で30分を切れるか……)
事故は絶対に起こせなかった。

椎名は救急車を追っている。
救急車と病院に着く時間を予測した。
(10時前に着く………急げば……間に合う)


無線が入る。
本部だった。聞き慣れた島貫の声が聞こえてきた。
「こちら遊軍12……」
大志田は覆面パトカーに乗った時の、自分の通称名を言った。

「何処にいる!場所を言え!」
「三郷の手前です」

「片桐から話しは聞いた!
椎名が追ってる。警官も既に一人病院に行ってる筈だ!まだ事件性はないぞ!これ以上勝手な真似はするな!」
「……………」

「お前は三郷署に寄って片桐達と合流しろ!部長の許可は取れた。必要な物は片桐達が持ってる!」
必要な物とは拳銃の事である。

「未だ公に動くわけにはいかないんだよ!片桐達と合流したら指示を待て!」

「時間がないんですよ!このまま行って間に合うかどうかです。行かせて下さい!」
「大志田!……ああ、クソッ!遊軍12!これは命令だ!三郷署に寄れ!」

大志田は島貫の言葉を無視した。
たとえ懲罰があっても、この事件の犯人逮捕への道筋が付けられれば悔いはなかった。
(俺はこの事件を自分の手で解決する為に刑事になったんだ)
今、この時しかなかった。

車は三郷に入り、宮坂町に進む。

フロントガラスにいきなり強い雨足が叩きつけてきた。
一瞬にして視界は真っ白になり、慌ててワイパーのスイッチを入れた。

嫌な予感がした。
あの時と………同じだ………
あの時………

大志田の脳裏にいつも浮かんでは消える………あの時の………
そうだ!あの時も……
あの時、薬品の匂いがした……
真行寺の部屋でも………

あの時も………手袋を脱いで俺の頭を触った時も………薬品の匂いがした。
あれは、なんだったのか………
何処かで……あの薬品の匂いを、俺は……いつも、身近な所で………

大志田の脳裏に朧に人の顔が浮かんできて、そして消えた。


宮坂病院の外観が見えた。
救急車が反対車線に見え、そのすぐ後を赤色灯を回しながら付いて行く車が見えた。

無線を入れた。
「間に合ったか?」
これだけで椎名に通じる筈だった。
椎名の車の、クラクションが一度鳴った。


救急車は病院の角を曲がり、椎名の車も病院の角に消えた。
(救急搬入口は、裏か?)

急ごうとした時に、大志田の車は横から乗用車に追突された。
急な豪雨での事故は良くある事だった。
酷い事故ではない。
(大丈夫……だ)
が、頭を何処かで打った。

外に出ようとした時に、追突した車の中から誰かが出て来た。レインコートを着ている。
そのレインコートの裾から何かが見えた。
(………銃身?)
豪雨の中に一瞬だけ立ち止まり、大志田を見て、何かを言った。
「………!!!」

レインコートの人物は、救急車の消えた方に走り出した。
大志田は車を降り、豪雨の中を同じ方角に走り出した。
足がもつれて倒れた。
いや、雨で滑った。
そう思った。
気が焦るがまた走り出そうとして、足がもつれ倒れた。
(脳震盪か………足も……)

ズボンの左足外側が切れている。
助手席に置いてあった傘の先が衝突の瞬間、左足に直撃していた。
触ってみた。
指が黒く染まったが雨ですぐに流された。


既にレインコートを着た人物の姿は見えない。
足が思う様に動かない。

豪雨の中で一度で立ち止まり、息を調えた。

アスファルトに叩きつける強烈な雨が跳ね返り、視界を「白い」世界に変えている。
走った。
走るしかなかった。

救急車が病院の庇の下に着いて、椎名の車がその後ろにいる。
搬入口に医師と看護士の姿が見え、警官の姿もある。
顔は確認出来なかった。

救急車の後部からストレッチャーが降ろされるのが見え、椎名も車から降りるのが見えた。

「あれか!………何処だ?」
レインコート姿を探した。

雨足が更に強くなり、川が空から流れてるのかと錯覚させるほどだった。
滑り、また倒れた。
足が痛んだ。
その豪雨の中を建物の影から飛び出した、レインコート姿を大志田の目は捉えた。

「椎名!!気をつけろ!」
叫んだ。
レインコート姿の「男」は豪雨の中を走り、救急車に近付く。
大志田も走る。
「椎名!警官に銃を抜かせろ!」
椎名も拳銃を所持してはいない。

大志田の声に気付いた椎名が、警官に向かって何かを叫んでいたが、何を言ったのかは大志田には分からなかった。

「男」はストレッチャーの前に立ち、真行寺を見下ろしていた……様に、大志田には見えた。

銃声が響いた。
椎名が「男」に飛び掛かったが、もう一度銃声が鳴り響き、椎名が倒れる姿が見えた。
「やめろ!」
大志田は叫んだ。

男の向かいにいた警官は拳銃のホルスターに手を掛けていたが腕が震えているのが大志田にも見えた。

男は………銃を折り曲げ、薬莢を取り出しポケットに入れ、ゆっくりした動作で、更に二つ弾を込めた。

警官の顔が大志田にも確認出来た。
(………堂本?)

「だめだ!堂本!逃げろ!」
更に、
「やめてくれ!」
叫んだ。
「男」に言ったのか………

警官……堂本は拳銃を抜き、「男」に何か言おうとした時に銃声が鳴り、足元をふらつかせながら仰向けに倒れた。
「堂本!」


大志田は男と向かい合った。素手だった。
銃口が大志田に向いている。
「どうしてなんだ?………どうして………」
大志田は「男」に囁いた。
「男」は踵を返し、病院の搬入口から病院の中へ走り込んだ。

大志田は倒れた堂本に近寄り拳銃を堂本の身体から外した。
肩に被弾していた。気は失っているが大丈夫だと判断した。

椎名が顔を上げ、何か言おうとしたが、
「喋るな!すぐ手当を頼む」

大志田は犯人が二人の急所を外したのを悟ったが真行寺は胸に穴が空いている。
(無理だろう………)

建物の影から成り行きを見守っていた、医師と看護士に大志田が叫ぶ、
「先生!怪我人を頼む!
それから警察に電話して、状況を話してくれ!俺は警視庁の大志田だ!」
大志田は「男」の逃げた方角を見た。
搬入口から入り右に曲がった。

「先生!出来るだけ多くの人を避難させてくれ!」

大志田は追った。
搬入口を入って右に曲がる。
雨の滴を追った。
突き当たりを左………

左に曲がり、そして突き当たり………

その突き当たりのドアの上に非常口を示す案内板があったが………

そのドアの前に大きく、「豪雨の為締め切り」、と言う案内板が立てられていた。
案内板は壁に寄りかかっている。外には出てはいない。

(ここから逃げる積りだったか……)

これまで雨を味方に付けて来ていたが、ここで雨に裏切られ逃げ道を阻まれたことになる………

ただ、それが大志田にとって良かったかどうか、と言うのは別の問題になる。

足の痛みは忘れていた。

廊下の両側にドアは四つ。
雨の滴は突き当たりの、左側の手前のドアの前で消えていた。
ドアは引き戸。
四つの部屋にはリネン室と、資材置き場の標札がある。
鍵穴はない。
犯人の逃げ込んだ部屋も錠はない。
四つの部屋は建物の内部に隣接している。
窓もない筈だった。
逃げ道はない。

大志田は壁に半身で寄り添い、右手に銃を持ち、左手を引き戸の取っ手に掛けた。

大志田の髪からは雨の滴が垂れ、その滴が頬を伝い床に落ちた。
滴が床に落ちた「音」が聞こえた様な気がした。

引いた。
正面に相手がいる。
そう確信していた。
(ここまで来て逃げるわけがない)

身体を部屋に入れた大志田は、自分の胸にぴたりとつけている銃口を見た。
大志田の右手の銃も相手の胸に向けられている。

相手の猟銃を構えたその姿は微塵のぶれもない。
猟銃が身体の一部になるまで練習しただろうことは想像出来た。

「思い出したよ………あんた、クレー射撃のチャンピオン………だったよな………親父から聞いた事があったよ………」

「………だから、言ったのに……あれほど……刑事にはなるなと、言ったのに………」
「……………」

「いつか、こうなると思ってた。……違う……怯えてたのかもしれない……いつ、私だと分かったの?」

「俺の車にぶつけた時に言った、あんたの言葉………あの時も、あんたは同じ事を言ったんだ。思い出したよ」

親父が殺された時…………
「あんたは俺の掴んだ手を振りほどき銃身で殴った。その後……俺の頭を触って………あんたは言ったんだ!」

大志田の額からは雨の滴ではなく、生暖かい汗が流れ落ちてきた。
「あの時、あんたは………【じっとして】……俺にそう言ったんだ。それにあんたはいつも薬品の匂いがしていた。………あんた………医者だしな」

「だから言ったのに………刑事なんかになるなって………いつかこうなると………」

「どうしてだ?どうして親父と添島を撃ったんだ!」
「手紙を………残した。読んで………」

「……だめだ!何を考えてる?……銃を棄てて俺と一緒に来てくれ。頼む……あんたの口から聞かせてくれ!俺は真実を知りたいんだよ!」

「あの時………私の病院は閉鎖寸前だった………」
















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