私雨。1
私雨。12
「あの時………私の病院は閉鎖寸前だった………」
話し出した。
「共同経営者の杜撰な経営………私が気が付いた時には手遅れだったの。それに………その人の医療過誤と自殺………」
「でも……それは乗り切れた、と聞いた……」
「えぇ……助けてくれたのが添島よ。添島は大学のサークルの仲間だったから。相談に行ったの………当時厚生省の副大臣だったからね。
資金を援助してくれる、そう言ったわ」
「……………」
「ただし、条件が付いた………」
添島の息子の肝臓移植に協力して欲しい、と言うことだった。
「ドナーは用意するから執刀して欲しい。そう頼まれて………」
「あんたは外科医として名が知られている。不思議はない」
「手術が終わって、暫くして……
添島が……告白すると言い出したの………私の名前も出すって………」
「……………?」
「そのドナー………脳死判定のデータが改竄されていて……」
「………!」
つまり………移植の為に殺人が行われた可能性がある。
「私にも一緒に警察にいく様に言って来たわ」
「なんでそんな事を………」
「私はそんな事を知らなかったのよ!知ってれば断ったわ!」
それなのに………
「良心の呵責とかなんとか言ってね。
私は反対した………
自分の息子は助かったからって言って……
でも……私はどうなるの?
私の事は庇う、と言っても無事に済むわけはないじゃあないの!」
親父は……………
「親父をどうして撃った……」
「警官馬鹿ね………あんたの父さんは」
「……………」
「まさかね………添島が私の事を秘密裏に調べて、あんたの父さんを知り、反対する私を説得させようとした………」
「あの日……親父が調べていたのはその改竄されたデータだったのか?」
「渡してくれと頼んだけど………」
「親父は拒んだ、それで………」
銃を持つ大志田の手が小刻みに震えている。
「手が、震えてるよ………それで、私を撃てるの?」
「頼む!俺に撃たせるな!銃を棄てて、俺と一緒に来てくれ!」
「だから………刑事なんかになるなって、言ったのに………真行寺はね、ゆすってきたわ。バラすってね」
死ぬ前に清算したい………
「冗談じゃあない!そう思ったわ。
少しづつヒ素を飲ませて殺そうとしたんだけどね。
あと……少し、だったのに。
あいつがいた病院とこの病院の院長は私の知り合いよ………移すのは簡単だったわ。
あいつは………あいつは、元大学の教授。大学時代あいつの噂を聞いてね、知ってたわ計画屋のガン………て………」
「もういい……お願いだ、俺と一緒に来てくれ………俺と一緒に来てくれ!」
マスクを外し、右足の靴を脱いで座り………猟銃の銃口を喉元につけ両手で押さえ、右足の指を引き金に掛けた。
「やめろ!やめてくれ!……あんたは俺の………」
言葉に詰まった。
「俺を一人にしないでくれ!頼む………俺を一人ぼっちにしないでくれ!」
「あんたには……ちゃんと家族がいるじゃあないの……………」
「やめろ!」
「………健吾…………」
「やめてくれ!」
銃声が響くのと大志田が、その倒れそうになった身体を支えたのは同時だった。
首から吹き出る血を大志田は押さえた。
「なんでだよ!なんで……」
喚き、叫んだ。
部屋に飛び込んで来た、片桐と大垣は立ちすくむしかなかった。
私雨。13
雨は未だ降っていた。
「大志田、大丈夫か?」
島貫が声を掛けた。
「……………」
「椎名と警官の堂本……命に別条はないそうだ」
「……………」
「………規則だからな………車でお前の家まで送らせるよ。
明日こっちが連絡する迄家にいてくれ。
カウンセリングを受けてもらう。
それから………その後、査問委員会だからな」
「………………」
「……俺も呼ばれるが……お前の先走った捜査を非難する声もあるが……俺はお前を弁護する。当たり前だがな」
「………………」
「大垣に家まで送らせる」
「……いえ……大丈夫ですから。お願いします。一人で帰らして下さい。電車で……帰ります」
「傷は?」
「大丈夫です……」
島貫は迷ったが、
「分かった………許可する」
そう言った。
「せめて着替えろ。ジャケットとズボンを用意させる」
「……………」
大志田は電車に乗った。
ほんの少し電車が揺れただけで倒れそうになる。
だから、座席に座った。
平日の昼間で人はまばらで、大志田の前の座席には親子連れらしい三人が座っている。
雨が降る。
身体を傾け外を見た。
雨がどうしようもなく、降っていて、過ぎ去る景色が雨に濡れて行く。
身体が電車の床に落ちた。
(このまま……眠りたい……頼むから……眠らしてくれ……)
子供の声が聞こえて来た。
「ママ……あのおじちゃん、どうしたの?……」
雨は………未だ降っている。
駅に着き大志田は降りた。身体がふらついた。
改札を出て家に向かったが傘はなく、身体が濡れたがそのまま家に向かい歩いた。
歩いた。
足がもつれ、つまづき倒れた。
(このまま………眠りたい………)
手に泥が付いた。
「この手で………俺は…………」
誰かに呼ばれた様な気がした。
声の方を見た………そこには娘の舞がいた。
その横には妻の雅江がいる。
「………課長さんから連絡があって………迎えに………」
雅江の声は震えている。
「迎えに………」
もう一度言おうとした時に、傘を落とし両手で顔を覆った。
大志田は雅江が落とした傘を拾い、
「ただいま……」
声を振り絞った。
そして………
「ただいま……」
もう一度言った。
雨は既に止んでいた。
完