私雨。1
私雨。4
大志田は、
ドアを開けた。
ドアを開け、最初に部屋全体を見廻した。
畳み6畳、角部屋だから右と正面に窓があり、カーテンは閉まっている。
左に襖がある。そこが押入れ、と思われた。
薄暗い。
「ネヤさん、カーテンは、しまってたのか?」
「あぁ、此処のオヤジがドアを開けた時には閉まっていたよ。だからそのままにしてある。聞いたら、この部屋、カーテンが開いている所を見たことがないって話しだった」
「………………」
大志田は部屋の匂いを嗅いだ。
そして、この部屋に溶け込もうとした。
(…………?)
微かに薬品の匂いがした。
(消毒液?)
部屋は老人の一人住まいと言うことだったが、大志田は部屋の中が、綺麗過ぎる事に、何か違和感を覚えた。
(たんなる綺麗好きか?それとも薬袋でもあるのか?)
部屋の真ん中に小さな丸型の座卓があり、その上にコップ、湯呑み、急須があり、茶筒があった。
トイレ、炊事場は共同、だが部屋の片隅に小さな冷蔵庫が二つ。クーラーはなく、小さな扇風機が二つ。
本棚があり、棚には凡そ30冊。
座卓がもう一つ部屋の片隅にあり、その座卓に50cm四方の家の模型があった。
「………?」
大志田はその模型に見入り、驚きを隠さなかった。
「ネヤさん、あれか?」
「……やっばりな。俺の記憶も間違っていなかった、と言うことだな」
「あぁ、間違いない。ネヤさん、このまま部屋に入るぞ。何か問題は?」
「この部屋はまだ、捜査対象外だ。そのままで構わんよ。手袋だけはしてくれ。後は俺が責任を取る」
大志田は可笑しかった。
寝屋川は普段冗談ばかり言うが、こんな時には、妙に生真面目になる。
「責任は俺が取るさ。それに、一応課長の了解もあるしな。ネヤさんに迷惑は掛けないよ」
大志田は手袋を嵌めた。
休むと決めた日でも、常に手袋はポケットに入れてある。
大志田と寝屋川の見た家の模型は、大志田の生家だった。
「20年前………そう言えば、あの日もこんな日だった。夜だったがな……」
昼間激しく降り続いた雨が、夕方には上がり、
「学校から帰った俺は、久しぶりに早く帰宅した親父の作った飯を食った後……お袋は警官バカの親父に愛想を尽かし家を出ていたからな。
飯を食った後、俺は二階の自分の部屋に入り、ラジオを聞いていた。親父は下の居間で………確か………本を読んでいた。……いや、何か、調べ物をしていたのかもしれない」
ラジオをつけてはいたが、表に車の止まる音が聞こえた。そして、クラクションの音が一度短く響いた。
「俺はカーテンを開けて外を見た。雨が……
止んだ筈の雨がまた激しく降り始めていたんだ。
まだ、外は闇に包まれていたわけではなかった。
だが、
雨に気を取られた。
雨だけを見て………
車は見なかったんだ。
俺はカーテンを閉め、椅子に座り、またラジオを聞き出した。
そのすぐ後だった」
人の争う声がして、銃声が聞こえた。
「親父の声は分かったが、相手の声はくぐもった声だったので、男とも女とも言えない。
後で分かったがマスクをしていたからだろうな」
激しい音が聞こえた。
「俺は………部屋を飛び出し、下の階に続く廊下を走り降りた。階段を降りた先に玄関があって、奥の居間から猟銃を持った奴が飛び出して来たんだ。
俺は、訳も分からず夢中でそいつの腕を掴んだ。
そいつが……俺の腕を振り払い、振り返った時に頭に衝撃を受けた。多分銃身で殴られたんだろうな」
「……………」
「あの時………そのあと………ぼんやりと、俺の目の前に銃口が見えた気がしたんだ………俺をも撃とうとして、やめたのかもな。
………顔を見たのは一瞬だったし、マスクも掛けていた………」
「それで、気が付いた時には病院だったんだな」
寝屋川はその時の様子は捜査資料で読んでいた。
「あぁ、親父は即死だった。左胸に一発………」
その時の犯人の足跡が玄関から部屋まで残っていた。
「足跡………靴の大きさは25・5cm、軒下にあった土の上の足跡の沈み具合を検証した結果は、体重は凡そ60kg。
ただ、それから男女の判別は難しい。
犯人は鍵の掛かっていなかった玄関から土足のまま入って来た」
「鍵は掛かってなかったんですね」
大垣が手袋を嵌めながら、口を開いた。
「あぁ、町外れだったしな。泥棒なんて聞いたこともなかったよ。
当時はのんびりしたもんだっ た」
「その足跡が、添島正臣殺害現場にあったのと一致したんだよな」
、と寝屋川。
「あぁ、靴底の傷跡まで一致していた。結局それが連続殺人としての唯一の物証だったんだ」
だけど………
「未だに動機が分からない」
大志田はもう一度部屋を見廻した後、家の模型を見た。
大志田の生家は既にない。しかし忘れる訳もなかった。
外観はまるきり同じだった。庭まで精密に作られていた。
「この模型、内部まで作り上げてる。それに外観が動く………ネヤさん、外すぞ」
「あぁ……」
寝屋川は家の模型に見入っていた。
家の内部は細かに撮られた捜査資料の写真を見て隅々まで覚えている。
大志田は短く叫んだ。
「同じだ!クソッ!全部同じだ!あの当時の親父の家と同んなじじゃあねえか!」
「どう言うことなんだ?」
寝屋川も驚きを隠さなかった。
「あの後、俺は伯母の家に引き取られ、親父の家は伯母の計らいで、一年後に解体されたんだ。結局俺も事件の後あの家に入れたのは荷物の整理で、一回入れただけで、殺害現場を一度も見ることはなかったんだ。伯母にも警察にも止まられたしな」
うちには客は殆どなかった、と大志田は言う。
「あの親父だからな………」
変わり者の家に尋ねて来る者も、そうはいない。
「俺を引き取ってくれた、親父と仲の良かった伯母さえ、親父の家に来た事はなかったんだ。
荷物の整理で俺が行った時、ついて来たのが始めてだったんだよ」
だから……と、大志田は言う。
「あの家の内部まで知ってる人間なんて何人もいないんだ。この模型を作ったのが、病院に運ばれた老人なら、どこで作ったかはまだ分からないが、絶対に何かを知ってるはずだ」
大志田は改めて部屋を見廻した。
「真行寺武夫か………聞いたことはない……な………ところで、ネヤさん、この部屋、薬品の匂いがしないか?」
「あぁ、微かに臭うな。アルコール消毒液かな?」
「この部屋……バカに綺麗過ぎないか?」
「まぁ、そういう奴がいても不思議じゃあないがな」
「…………!」
大志田の目が部屋の真ん中の座卓のコップに目が止まった。
大志田はコップを掴み、手袋を嵌めた右手の人差し指と中指を中に入れ、自分の目の前で回した。
そのあと部屋のガラス製品、調味料、ガラスの人形の置物、窓のガラス、金属……を、携帯用の拡大鏡を出し、目を皿の様にして見た、そして匂いを嗅いだ。
「………!!!」
「どうした?」
寝屋川が大志田の行動を訝しんだ。
「指紋が……ないんだよ」
「指紋がない?」
「あぁ……おそらく湯呑みや急須にも指紋はない筈だ」
「どう言う事だ?そんな馬鹿な事があるか!生活感はあるのに………」
「ああ、生活感はあるのに指紋がない、おまけに手垢まで拭いてる。生活用品は一度使う毎に拭いてる」
精神の病か?
それとも………逃亡者か?
おかしい………
「何者なんだ?………ネヤさん、指紋が何処かで取れるか確かめてくれ。あと……気が付いた事は言ってくれ。
それとここの住人、刑事が付いてるんだったな?」
「片桐班の椎名って奴だ」
「連絡先は?」
「これだよ」
寝屋川はポケットから椎名の名刺を出した。
「大垣、椎名に連絡して意識が戻ったか聞いてくれ。それと、指紋を採って犯罪者データベースに紹介してくれ!医者が何か言ったら、緊急事態を強調しろよ!
あとは、血液のサンプルも手に入れる様に言ってくれ。
今はそこまでだな。
どっちにしても俺達も後から行くからな」
「了解!」
寝屋川は携帯のジュラルミンのケースから道具を取り出し「仕事」を始めた。
「大志田班長。これであの事件が動くかもしれないな」
「………ネヤさん、何時もの様に名前でいいよ」
「そうはいかないよ。班長は班長だからな」
寝屋川は笑っていた。
「それよりタヌキ(島貫課長)の方に連絡しなくていいのか?」
「ああ、後でいいさ。どのみちこれだけじゃあ、チームを動かす許可は出ないしな」
電話を掛けてる大垣の声が大きく聞こえた。
「警部!真行寺武夫の名前、偽名の可能性が高いそうです。
それと、血液のサンプルも指紋も医者が患者から採るのを拒否してるそうです。意識は戻ってないそうです……それに………」
「なんだ?」
「どうしても、と言うなら令状を取ってくれ、と言うことです」
「クソッタレ!」
大志田は吐き捨てた。
「今の時点では無理押しは出来ないな。騒がれたら俺達の手から「こいつ」が離れちまう。椎名に患者から目を離すなと言っといてくれ。片桐には俺から言っておく」
「了解!」
「ネヤさん!大垣!何でもいい!捜査本部を立てられるだけの(物)を探してくれ」
寝屋川と大垣は頷いた。