私雨。1
私雨。5
「健吾!あ、いや班長!これを見てくれ」
寝屋川は小瓶を二つ手にしていた。
小瓶の先にはノズルが付いている。
「調べる必要はあるが、臭いからしてアルコール消毒液だ」
それから………
「どうも分からないな………気付いてるとは思うが………」
「…………」
「この部屋の中の物だよ。全部、(対)、になってる。二つづつ揃えてる」
「強迫観念の一つ、ですかね?」
本棚の本を手にしていた大垣が、
「これ、本も同じ本が二つづつありますよ。普通の人が見たら、単なる無駄ですけどね。しかもこれも消毒液の臭いがしますよ」
家の模型を見ていた大志田が、
「でも………何故………家の模型だけ、一つなんだ?別な場所で作って、そっちにあるのか?」
「…………」
「…………」
「作るのが大変だから………いや、違うか。強迫観念の持ち主なら、何が何でも作りますね」
「大垣!強迫観念の持ち主なら【大変】なんて言葉はないよ。まず物証を探せ!絶対に何かあるはずだ!こんな狭い世界に暮らしてたんだ。
何かある筈だ……が、それにしても、どう言う性格してんのかな。
この部屋の住人は?指紋も無ければ、体液も全て拭き取りながら生活してたのか?」
「まるでA型人間の極みですね」
「………?」
「………?」
大志田と寝屋川は怪訝な顔をした。
「なんだ、それは?」
大垣は大志田と寝屋川の目の光にたじろいだ。
二人に余計な事を言って咎められたと思ったからだ。
「あ、いや、すみません、警部。余計な事を言って………」
「そんな事はいい。それより、なんだそれは?」
「あ、いや、さっき椎名さんに電話をした時に、血液型だけは分かったと………A型……だ、そうです」
大志田と寝屋川の目がつり上がった。
「おまえ…………」
大志田が怒鳴ろうとした先に、寝屋川の罵声が飛んだ。
「こいつ!お前は新人か!どんな些細な情報でも、班長に上げろ!そんな初歩的な事も忘れたのか!」
「すみません。迂闊でした」
「ネヤさん、もういい。大垣も分かってる筈だ。
大垣!同じ失敗を二度とするなよ!」
「………はい!申し訳ありませんでした」
「それで、大垣、そのA型の極みって言うのは?」
「あの………」
「だから、そのA型の極みって言うのはなんだ?聞かせろ」
「血液型占いです。一時流行りましたよね。………」
大志田は苛立だしそうに、眉間に皺を寄せた。
「お前は、バカか!さっきの続きを言えってんだよ!」
「…………!」
大志田は口は悪いが意味のない事では怒らない。
大垣にもやっと事態がのみこめた。
大志田の言いたいのは、民間の血液型占いではあるが、これは一種のプロファイルなのだと。
「いいから続けろ!それで?」
大垣は気を取り直した。
「A型は極限の地で発達したと聞いた事があります。
例えば、極寒、ジャングルなどです。
食い物を探し、敵も早く見つけなければならない。部族(チーム)の為に、如何に早く見つけ、捉えるか。
如何に合理的に動くか……
生き残る為に必要性があり特化、又は進化したんではないか?
そう言う人もいます。
会社の経営者、又は大きな組織の人間にA型の人間が多い、と言う、物好きな統計学者もいますね。尤も……」
「尤も?………なんだ?」
大垣は皮肉な笑いを浮かべ、
「尤も、世界には通用しませんけどね。だって、たかが血液型ですから………」
「それで?」
「それでって?」
大垣は諦めた。
大志田の、
何故?
それで?
、が始まったら切りがない。
「いや、その、つまり………」
「つまり?つまり、なんだ?」
大志田は敵でも、場合によっては味方でも追い詰めて行く。
追い詰めて、そこから「何かを」掴もうとする。
「いや、だから、ですね、つまり、その為には完璧な計画を立てなければなりませんからね。完璧主義者なんですよ。A型って言うのは!」
大垣の言葉に、多少の(剣)が入っているのは仕方なかった。
「………!」
だがその言葉に、大志田の奥深く眠っていた何かが本体(心)に囁いた。
(何処かで……誰かに聞いた………誰かに何か、大事な事を………
オヤジ………か?
………完璧主義者………
完璧主義者?………そうだ!)
大志田の脳裏に父親の言葉が蘇った。
「完璧主義者!それだ!」
「…………」
「…………」
大志田の叫ぶ声に大垣と寝屋川は驚きはしない。
一見奇矯にも思えるが大志田の頭の中の数百語の中から選び出された言葉だと言うのを知っているからだ。
聞き手は次の言葉を待てばよかった。
「そうだ!こいつは、計画屋だ!」
「計画屋?」
「健吾、あ、いや班長、ここの住人、真行寺がか?」
寝屋川にも計画屋が何なのかは分かる。
「可能性はある。証拠は親父の実家の模型だ。今考えれば不審な点が幾つかあった。………例えば………」
当時大志田の家の周りでは、家に誰かがいれば、鍵を掛ける家は少なかった。だが、もし、鍵が掛かっていたら?
「鍵を壊す音を聞いたら親父も身構える時間もあっただろうしな」
それに………
「あの時、うちでは家に誰もいない時は流石に鍵は掛けた。
だけど、俺も親父も時々鍵を失くす事があった。それで、何時も玄関先の鉢植えの三つのうちの一つ、一番左の鉢植えの下に予備の鍵を置いていたんだ」
大志田はそう言って目の前にある家の模型の玄関先にある三つの、一番左の鉢植えの模型をめくった。
鉢植えの下から、大志田は小さな鍵の模型を指で掴んで二人に見せた。
「………!」
「………!」
それに………
「あの時、親父は偶然早く帰って来た。
だけどそれは偶然じゃあなかったんだ!」
「待ってくれ。健吾の……親父さん警官だよな。警官なら特別な事情がない限り、時間通り帰れる。だけど親父さんは警らや、住民からの苦情、ちょっとした通報でも出ていたんだよな。その日早く帰ったのは偶然だろう?それを予測するのは困難だろう」
あの日………
「親父のオヤジ、つまり爺さんの祥月命日だったんだよ。この日だけはいつも早く帰って来てた。しかもその日はいつも遅くまで居間にいるんだよ」
それに………
「犯人は表に車を停め、親父のいる居間まで、迷いもなく行ってる。家の内部が分からなければ出来っこないよ。捜査資料によれば足跡は迷いもなく居間に行ってるしな………まだある………あの時………」
あの時………
「何故犯人はクラクションを鳴らしたのか?………
もしかしたら………俺が二階に居るのを確かめたのか?
俺はあの時、あの時間いつも部屋に居た。………だとしたら、俺を殺す気はなかったのか?」
それに………
「雨だ……………」
「雨…???」
「あの日、一度止んだ雨が夕方から激しく降り始めた。あの辺りは雨の日は人通りは絶える。昼間の雨が上がった時、人の流れはあったが【あの】雨でまた人通りが絶えたんだ。
それに車のタイヤ痕も雨で残っていなかった」
あの日………
「俺も刑事になってからあの事件を調べ始め、あの日の天気も調べた。
予報では雨は夕方には止む、とあった。
だが………あの時間急に激しい雨が降ってきた。それは天気予報にはなかった。
もし………もし、あの時間の、雨を予測していた、としたら………」
流石に寝屋川はそこまでは賛同出来なかった。
「まさか………天気予報はともかく、そこまで予測するのは無理だろう」
「ネヤさん、俺はあの家に15年住んでいた。物心付いたのは7つか八つ、あの地域は時々、【あんな】雨が降る事があったんだよ。思い出したよ………」
「だけど………
それをこの部屋の、真行寺が調べた、と言うのか?
おまえ………疲れてるのか?あぁ、いや、疲れてるのは分かるが、考え過ぎじゃあないのか?」
「病院に運ばれたのが計画屋本人かはまだ分からないが、少なくとも何か知ってる可能性はある。
計画屋なんて、最近は聞かないけどな。手っ取りばやく押し込んで、金を掴めばいいって言う連中ばかりだからな。
だけど、今もいる事は確かだ」
大志田は子供の頃、父親から「計画屋」の話しを聞いた事があった。
大志田の父親は息子を刑事にしたかった。
「警官」ではない、「刑事」にしたかった。
自分が成れなかった、と言う事もあったが、何より息子にその素質を認めたからだ。
大志田健吾は子供の頃、父親から聞かされた事があった。
「優れたスポーツ選手は、物心つく前から厳しいトレーニングをこなす。
他の職種だってそうだ!素質のある奴が子供の頃からトレーニングすれば必ず一流になる。お前には俺にはなかった、鋭い観察眼と優れた洞察力がある」
だから………刑事に向いている、と大志田は父親から嫌と言うほど聞かされた。
そして、手に入る犯罪学の資料を読ませ、又は聞かせ、あるいは警察資料迄読ませたこともあった。
警察資料を親族とはいえ読ませる事は、もちろん違法であり、露見すれば何かしら罰則があったろう。
しかし、そんな事でひるむ様な人間ではなかった。
「変わり者」と所属部署からは陰口を叩かれてもいた。
大志田健吾は父親からの教育で最初に学んだのは、
(元々、オヤジは警察官に適応していなかった)
これだった。
息子に対する偏った愛情も人間性から来ていたのかもしれなかった。
裏を返せばそれだけ大志田の息子に対する肩入れは大きかった、と言えるが………
子供心に理不尽、と思った事もあるが、今となってはそれも良かったか……そう思う様にしている。
その父親の話しの中に「計画屋」があった事を思い出した。
「計画屋」
その名の通り計画を立てる人間の事を指す。たんにヤサグレがコンビニを襲うのとは訳が違う。
例えば銀行なら、建物の設計図を手に入れ、1時間毎に配置されてる警備員と銀行員の数を調べ、警報の数、場所も調べ、何処に何があるか、誰が何処にいるか調べ、金のある場所の位置を事細かに調べ上げる。
更に、警察に通報が行った場合の警察のレスポンスタイムも調べあげ、逃走経路を考える。
決行日の天気はもちろん、襲う側の人数、その一人ひとりの性格迄、計画に組み込み、襲う遣り方も考え抜く。
そして、完璧な計画を立てる。
「計画を立ててそれを売る訳ですね。本人が実行する場合もあるんですか?」
「いや……それは殆どないな」
「………………」
「プロの計画屋なら表の顔を持っている。自分で動く程の暇はないはずだ。それに実行は素人に近い、と見ていい」
父親からの教えでもあった。
「売る相手は……玄人ですか?」
「あぁ、大概はな。その方がきっちり金を払うし、しくじった時も口を割らない……ただ……」
「ただ……?」
「………素人に売る場合もあるだろうな。……状況にもよるがな」
「それは例えば、殺人の計画もあるんですか?」
「あぁ………それを今から調べる。
オヤジの話しの中に計画屋の名前が出て来たんだ。
中学生だった俺は、ただ、聞き流しただけだったんだ。真行寺武夫………なのかどうか、分からない………
一人いたんだ、名前を聞いた筈なのに………クソッ!思い出せない」
大志田の父親は一人の計画屋の話しをした事があった。
父親は、
「犯罪者を褒めるわけじゃあないがな、一人………いるんだよ。俺の側に………」
俺の側に?
「オヤジは………確かに言ったんだ。俺の側にと。名前を言った筈なのに……!クソッ!思い出せない!」
「こうなったら………」
、と寝屋川が言う。
「病院にいる真行寺武夫、何がなんでも調べる必要があるな」
「あぁ、そのためにも物証がいる。捜査本部を立てられるだけの物証が………」