私雨。1
私雨。6
当時厚生省副大臣、添島正臣は、早めに仕事を切り上げ、運転手の運転する車で帰路についた。
家に帰る途中本屋に寄り、注文していた母校K大学の恩師、川崎五郎の著書を受け取り、更に百貨店に寄り数点の買い物をした。
そして車は家に向かった。
添島正臣の自宅は神奈川県U市。
市内中心部からはだいぶ離れている、新興住宅街だった。
家に着く少し前、空はどんより曇っていたが雨の降る予報も気配もなかった。
午後4時半に家に着き、そして運転手は添島を降ろし帰った。
副大臣には原則警護は付かない。
添島は妻と二人暮らし。
その日添島の妻は、娘の嫁ぎ先に娘の出産準備の手伝いの為、留守だった。
隣家の住人は、同午後5時前に急に降り出した豪雨に慌て、ガレージのシャッターを閉めようと玄関のドアを開けた時に、隣家からの銃声を聞いた。
向かいの住人の一人も同時間帯に一回銃声を聞いたが、銃声かどうか分からなかった為、通報はしなかった。
そして警察に通報したのは隣家の住人。
警察が来た時には、添島は玄関の中で仰向けに倒れていた。
胸を散弾銃で撃たれていた。
ほぼ即死状態。
添島の死亡推定時刻は5時前後、隣家と向かいの住人の銃声を聞いた時間とも一致する。
警察は散弾銃の所持者を洗い出し、銃の「アリバイ」を調べるも、特定出来ず。更に散弾銃の所持者の捜査範囲を広めるも特定出来なかった。
犯人の目撃証言もない。
ただ、玄関前の足跡は採取出来た。
それが大志田の父親の殺害現場に残された足跡と一致。
不審な車が添島宅の近くに止まっていた、とあるも曖昧だった為、重要証言からは外れる。
「何故………その時雨が降ってきた?添島の行動も把握していたんじゃあないのか?奥さんが留守で、玄関に出て来るのが添島本人と分かっていた………」
「………?」
「犯人は、その時雨が降るのを知っていた」
「………?」
添島元副大臣の家は事件一年後、取り壊されて既にない。
「あの場所には俺も行った、何回もな、あの場所………何故急に雨が降ってきたんだ。
あの場所は新興住宅地で人通りは多いが、雨が降ると殆ど人通りは絶える。それが証拠にまだ遅い時間ではないのに目撃証言が少なすぎる。
親父の時と一緒だ。
その日のあの辺りの天気も調べた。
結局………俺は、局地的に降る雨までは調べられなかった。
犯人は………若しくは計画を立てた奴はそれを知っていたんだ。
今でこそ局地的に降る豪雨の予測の道筋は付いたが、20年前そんな事を正規の機関で予測した人間はいない。
………犯人は………雨を味方につけていたんだ」
大志田の話しを聞いていた片桐が口を挟んだ。
「飛躍し過ぎだよ。大志田、お前も大垣も疲れてるんだよ。一日ぐらい休めよ」
情報屋を捕まえた片桐が大志田達に合流していた。
「あぁ、もう少ししたらな。それより、まだ喋らないのか?」
情報屋、小池隼人。
「名前に住所だけだ。そんな事はこっちもとっくに知ってはいるがな、肝心な事は喋らん。もっとも………口が硬いのが奴らの信用、だからな。
うちの連中が当たってるから、少し待ってくれ。それより………」
他に問題がある、と片桐が言う。
「うちの課長に話しが行ってなかったよ」
、と言う。
「タヌキ(島貫課長)め、とんでもねえな!」
寝屋川が毒づいた。
「捜査本部が立った時、主導権を握りたかったんだろうな。北上管理官とは犬猿の仲だからな。だけど面倒だな」
「まぁ、大丈夫だとは思うがな、うちの課長も大志田には借りがある筈だからな。そんなには強く言っては来ないよ。ただ、今の時点ではどうにもならないな」
このままでは捜査本部が立たない、と言うことは片桐も考えていた。
それに………
「早くなんとかしないと、この事がもっと上の方に知られたら止められるな………一般市民の人権問題だからな」
「こいつが善良な一般市民なもんか!」
「あぁ、それは俺にだって分かるが、で、どうする?」
「情報屋とここの住人の接点、それに、病院に居る真行寺の身元………せめて指紋が欲しいな」
「分かった。指紋と身元は………任せろよ」
「片桐、違法な手段はまずいぞ」
「分かってるさ。こっちにはこっちのやり方がある。それで………この部屋からは他に、何か見つかったか?携帯電話かパソコンは?」
「今の所、家の模型だけだ。でもこれだけじゃあなぁ」
「警部」
大垣が一冊のノートを手に取りパラパラめくっている。
「本棚の間にあったんですが。なんでしょう?」
「一冊だけか?」
「はい」
大志田は大垣から受け取ったノートを見たが、数字とイニシャル、記号、時間だけだった。
大志田にも分からなかった。
「大志田、飯ぐらい食おうよ。この先に安くて美味い店がある。ネヤさんも?」
「いや、俺は下をもう少し見なけりゃあならん。こっちもまだ、調べてみる」
「ネヤさん、このノートも調べてくれ。気になる」
そう言い残し、
大志田、片桐、大垣の三人は簡易宿泊所を後にした。