この思いを迷宮に捧ぐ
…が、その低い声の返答に、事態の急変を察知することになる。

「いい度胸だね」

囁く声が低く艶っぽく、鼓膜を打つ。

千砂は、まだ聞き間違いだと思いたかった。

「全く劇を見ていなかった」

しかしその声は、明らかに怒気を含んでいて、ようやくさっきの台詞が現実のものだと、千砂にも理解ができた。

目の前の男は、どう見積もっても20歳代。

先日までの50歳代の女性座長はどこへ行ったのか。

千砂の元に、彼女から座長交代の知らせはなかった。

それは、つまり。



「誰の差金でここへ?」

次の瞬間にはすでに、手首のリングに加工してあった刃物をその首筋に突きつけていた。

男の体格は大柄で、背の高い千砂にも、羽交い絞めになどできそうになく、片腕を捻ってこうするしか他なかった。

坡留は静かに入口に鍵をかけ、室内に男の他には誰もいないことを確認しているが、いつの間にかその白く細い手にも物騒な刃物が握られている。

大臣や将軍、司祭に、城出入りの業者…、自分に対して悪意を持ちそうな人間を、思い浮かべてみると一瞬では終わらず、その事実に千砂は愕然としながらも、その手を緩めることなく、視線を上げて男の顔を確認した。

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