この思いを迷宮に捧ぐ
「ふっ」


緊迫した場面だったにも関わらず、千砂は思わず噴き出した。

「なんて顔なさるの」

唖然、という言葉が、これほどぴったりな表情はないだろう。男は腕の痛みも忘れて、ぽかんと口を開けて千砂を見下ろしているだけだった。舞台俳優として立派にやっていけるはずの顔立ちが台無しだ。


「君、こそ…、別人みたいだった」

まだ信じられない、という顔でまじまじと千砂を見つめるから、ようやく千砂は刃物を仕舞い、男の腕を離してやった。

「あなたがこんなところで、私を脅すからよ。てっきり、座長のふりをして紛れ込んだ反対派の一味だと思ったわ」

しかし、いくらなんでも、こんな間抜けな刺客はいないだろう。さすがに千砂にもそれはよくわかる。

「俺が?まさか。反対派のやつらなんか、見るだけで反吐が出る」

彼が心底嫌そうな顔になるから、またしても千砂は笑いが堪えきれなかった。

「それにしても、座長が交代したなんて聞いてないけど」

生き生きとして舞台を動き回る彼に、千砂とて全く見覚えがなかったわけではない。

「いや、ちゃんと報告したはずだけど」と呟きながら、男は困った様子で千砂をちらりと見やった。

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