この思いを迷宮に捧ぐ
一瞬の間をおいて、翠が自分の手を叩き、持っていたグラスまで落としたのだと言う事実は、千砂にも理解することができた。

「何をするの?」

沸き上がる怒りを何とか抑えて、冷静に話すよう努めた。



「あんた、死にたいの?」

だけど、翠から、内容の重さとは裏腹に、そう軽く問い返されたら、千砂の怒りは立ち消えた。

「何か入っているのね。あなたは平気?」

飲み込んではいないようだが、口に含んだだけで、危険な薬物もあると聞く。

「らしいね」

千砂は、ワインの瓶に直接口をつけた。


「お、おい!」

上品な所作で、千砂には到底似合わない行為なのに、瓶から直接酒を煽る、その白い首筋に翠はどきりとした。そのまま死ぬのではないかと。

千砂はしばらく口に含んだワインを、静かに皿に吐き出した。

「飲み込まなければいいのでしょう?味も香りも変わらないのに、どうして毒に気が付いたのか、説明して」

千砂のそう問う眼差しが厳しく、翠は一気に冷静になった。つまりは、俺が、千砂に疑われてしまったらしい。


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