この思いを迷宮に捧ぐ
晁登は、その短い千砂の台詞にどこか重みを感じて、いくらか平常心を取り戻す。


「悪い、君のせいじゃなかった」

は、と短くため息をついて、天井を仰いだ晁登は、ようやく千砂の知っている彼に戻ったかのように思えた。



千砂は今でも時々、夢に見るのだ。

細部はあやふやで、その都度変わるのだけれど、最後には岳杜の驚いた顔で目が覚める。

彼に対して、淡い恋心を抱いていることなど、父はお見通しだったのかもしれない。古い慣習で、臆病な私が傷つかないよう、最大の配慮をしてくれたにもかかわらず、その計らいは泡となって消えた。

坡留が、代々続く家業である乳母を継ぐ前に、護衛の訓練を受け始めたのは、責任を感じてのことだろう。あの時、立会人である祖母の失敗に気がついたのは、身内では彼女だけだ。


波留の祖母が私の部屋に連れて来たのは、岳杜の叔父で、現在の外務大臣だった。


今ではもう亡くなっている波留の祖母は、生まれつき視力が弱いうえに、すでに聴力も衰えて始めていた。

血が繋がっているだけあって、岳杜と外務大臣は、背格好も声もいくらか似ているところがある。波留の祖母が違いに気が付かない可能性に付け込んだのが、外務大臣であることは明白だった。



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