秘密実験【完全版】
「……」
薄暗い天井を見つめる杏奈の目は、何も映してはいなかった。
魂を抜かれたような表情のまま、浅い呼吸だけを繰り返す。
痛いよ……。
痛みを感じるのは、ナイフで傷つけられた腹部でも、無理やり貫通された部分でもない。
ただ、胸の奥が痛かった。
悠介の顔が浮かんでは消える。
……何で、私を助けてくれなかったの?
それは恨み言でも泣き言でもなく、純粋な疑問だった。
悠介が助けに現れるだろうと、杏奈は歯を食いしばりながら信じていた。
“杏……。都合の良いときだけ、俺を利用する気?”
からかうような、悠介の声が耳を通り過ぎる。
実際は何も聞こえてなどいないが、杏奈の脳内では架空のやり取りが繰り広げられていた。
“嘘つき。守るって言ったよね?”
“……言ったけどさ。死んでるんだから、助けたくても助けられない”
拗ねたような言い方に、杏奈は思わずクスッと小さく笑った。
それもそうよね。
悠介は死んでるんだった。
彼の姿が消えて、今度は耕太郎の顔が脳裏に浮かぶ。
そうだ……。
何で私を助けに来なかったのかしら?
「……裏切り者」
思うままに小さく呟く。
もう、“コウちゃん”なんて呼んであげないんだから!
杏奈の胸に、奇妙な感情が芽生え始めていた。
──私は汚された。
今もまだ、体の中にあの男の鼓動を感じる……。
芹沢真は死ぬほど憎いし、大嫌いだ。
しかし、その一方で彼の存在が絶大なものに変わっていく予感に、胸の高鳴りが止まらない。
身がよじれるほどの矛盾を感じながらも、自分ではどうしようも出来なかった。
そのとき扉が開いた。
ドクンッ……!
芹沢真の姿を認めるなり、心臓の鼓動が乱れ始める。
杏奈は軽いパニックに陥った。
身体が鉛のように重く動けない。
芹沢は珍しく、大きな荷物を従えていた。
……今度は何?
ふわふわとした甘い目眩と疲労感に包まれながら、杏奈は瞬きもせずに彼を見つめる。
不思議と、次第に恐怖心が薄れてきた。