秘密実験【完全版】
その顔は異様に青白く、しかし神々しいまでに美しかった。
耕太郎が女だったら、あるいは惚れていたかもしれない。
それほどの魅力──いや、魔力があった。
彼に出会ったことで、人生が変わったのだから。
良い意味でも、悪い意味でも。
「……赤がない」
「え?」
ふいに、真がポツリと呟いた。
虚を衝かれた耕太郎は、戸惑いながら聞き返した。
赤が……ない?
頭の中で反芻するうちに、その言葉の意味が何となく分かってきた。
「赤い絵の具がないんだ。……手を貸してくれるか? 森」
真は長い髪の隙間から覗く顔に、背筋も凍るような冷たい笑みを浮かべていた。
一瞬、目の前が真っ暗になる。
耕太郎は何も言えず、ただ呆然と立ち尽くした。
恐れていたことが現実となってしまった。
ここ数日、予感はしていた。
“借金肩代わり”の代償を払うときが来たことを……。
「くくッ……。何でそんな顔をしている? 心当たりでもあるのかな」
真が喉を鳴らしながら、楽しげに言う。
最近の彼は、こんなふうに“笑う”ことが多くなった。
この“実験”によって、心境の変化があったのかもしれない。
目新しい玩具を見つけた子供のように──。
「……っ。真さん、気づいてたんですね?」
「何のことだ」
「ぼ、僕がそのっ……杏奈さんに。差し入れをしたことです」
耕太郎は拳を握りしめながら、震える声で観念した。
勘の鋭い彼が気づかないはずがないのだ。
それでも、後悔はしていない。
全ては愛しい人の為……。
──なんて、恋人でもないのにおこがましいよな。
耕太郎はわずかに自嘲の笑いを浮かべると、涙を溜めた目で杏奈を見つめた。
一瞬目が合ったような気がしたが、彼女は頑なに口を閉ざしている。
壊れかけた人形のように。
「さて……。時間だ」
ゆらりと立ち上がった真にビクッとして身構える。
扉は開いているが、逃げるつもりはなかった。
耕太郎は小動物のように怯えた目で、獲物を追い詰める黒豹のごとく静かに迫り来る真を見つめた。