秘密実験【完全版】
男は座り心地の良い黄色の椅子に深く腰掛け、静かに佇んでいた。
肘を張り、長い脚を組んだ姿からは異様なほどの落ち着きが見て取れる。
無機質な白い部屋に、ただ一人……。
ヒトリ?
男は身じろぎもせず、ゆっくり目を閉じた。
全神経を集中させて瞑想する彼の耳に、微かにすすり泣く声が届く。
まだ泣いているのか、アイツは……。
男は苛立たしげに息を吐くと、床を蹴って椅子から立ち上がった。
左手から右手に拳銃を持ち替えながら、泣き声のする方へ歩いて行く。
「……!」
ふいに何かに反応して、男は立ち止まった。
その視線の先にあるのは、ペンキを塗り重ねたような真っ白な壁。
無表情だった男は口元を歪めて、一瞬不器用な笑みを作った。
──サイレン?
真の耳に、パトカーのサイレンが鳴り響く。
地下室に聞こえるはずもないのだが、彼の脳裏には別荘を取り囲む複数のパトカーの姿が浮かんでいた。
……やっと、俺を捕まえに来たか。
無表情だった真は口元を歪めて、不器用な笑みを作った。
そして、金庫の方を振り返る。
「……ゲーム・オーバー」
それは誰に向かって言った言葉なのか。
自分でも分からない。
真は椅子に座り直し、大きく深呼吸して肩の力を抜いた。
あいにく、俺はそう簡単には捕まらない。
すでに家の中に侵入しているであろう、姿の見えない警官に心の中で話しかける。
彼の耳には、階段を降りてくる無数の靴音が届いていた。
もう時間がない。
真は右手を上げて、こめかみに銃口を押し当てた。
ゆっくりと目を閉じる。
“正義”を名乗る連中はすぐそこまで迫っている……。
「──さよなら」
真はわずかに口を動かし、小さく呟いた。
瞼の裏に浮かぶのは、両手を広げながら微笑む母親の姿。
天国に逝ったら会えるだろうか?
お母さん
もし、犯罪に手を染めた息子を受け入れられないなら……
そのときは、あなたの手で地獄へ突き落として下さい。
真は人差し指に力を込め、躊躇なく引き金を引いた。
パン!!
一発の銃声の後、辺りは不気味なほどに静まり返った。
黄色い椅子にぐったりと倒れ込み、こめかみから血を流す男……。
その死に顔は、自殺とは思えぬほど穏やかなものだった。