秘密実験【完全版】
「酷いっ……! どうしてこんなことするの?」
杏奈は画面を見つめたまま、怒りと悲しみを滲ませた口調で言った。
身体の自由を奪われた挙げ句、暴力を振るわれ、まともな食事を摂らせてもらえない。
あまりにも可哀想だった。
まともな食事を摂らせてもらえないのは、私も一緒だけど……。
「あなたの彼氏さんは強いですね。……僕なら挫けてしまいますよ、きっと」
覆面の男が腕を組みながら、しんみりした口調で言う。
この男は不思議な空気を纏っていた。
人が好さそうな気もするし、裏があるような気もする。
「……あなた、名前は?」
杏奈は画面から男に視線を移し、何の脈絡もなくそう訊いた。
一番話しやすいキャラクターだと思ったからだ。
「残念ながら教えられません」
「リーダーの指示?」
「えぇ、そうです。……本当はこういう会話も禁じられてるんですけどね」
男は口元に人差し指を当て、小声で答えた。
さすがに、敵だから簡単には崩せないか。
「リーダーのこと好きなの?」
「……え? まぁ、そうですね。恩人ですから……」
杏奈の誘導尋問に、男は思わず乗ってしまったようだ。
答えてから、少しバツの悪そうな顔をする。
「恩人? 犯罪者なのに」
「……」
「リーダーに伝えて? 早く会いに来てって」
「そんなことしなくても、この部屋の音声はバッチリ聞こえてますよ」
男が初めて歯を見せて笑った。
それは意地の悪い笑みではなく、自然なものだった。
杏奈もつられて笑う。
「……あなたのリーダーは、盗聴の趣味もあるのね?」
「ダメですよ、杏奈さん。彼の神経を逆撫でしたら……」
男にたしなめられ、杏奈はハッとして口を噤む。
自分の立場を忘れかけていた。
いつの間にか、テレビ画面は砂嵐に戻っていた。