秘密実験【完全版】
「……実は今、僕が監視役なんです。だから本当は部屋から離れちゃいけないんだけど……」
男は言い淀み、視線を落とした。
杏奈のただならぬ様子に、心配して駆けつけてくれたのだろう。
単純でお人好しな彼に感謝しなければ。
「ありがとう。……名前、訊いてもいい?」
水で濡れた唇をつり上げ、ニッコリ微笑む杏奈。
こんな状況で心から笑えるわけがない。
演技よ、演技。
今の私は、無理やり舞台に立たされた名もなき女優なの──。
「え……っと、僕の名前は。あ、秘密ですよ? 約束できますか」
「もちろん。私、他の人たちとはまともに話もできないんだよ?」
「……そうですね。僕、森耕太郎って言います」
男は複雑そうな表情を浮かべて、聞き取れるのがやっとの声でそう口にした。
森 コウタロウ
杏奈は心の中で繰り返して、この名前を頭に叩き込んだ。
「こうたろう……。コウちゃんって呼んでもいい?」
大きな目を輝かせながら訊くと、耕太郎は恋する乙女のように頬を染めた。
「そ、そんな。僕、敵ですよ?」
「あなたは敵じゃない。……悪い人には思えないから」
「……」
杏奈の言葉に、耕太郎はやや薄い唇を噛みしめて俯く。
「悪くなかったら、こんなことしてませんよ」
「……」
「じゃあ、僕そろそろ行きますね? 他の仲間に見つかったらマズいんで」
耕太郎は真顔を作りながら言うと、バスルームの扉を開けようとした。
「……待って! コウちゃんは、何歳なの? 私と同じくらいに見えるんだけど……」
「え、そんなに幼く見えます? って僕もまだ、大学一年だけど。……あ」
口に手を当て、しまったと言う顔をする耕太郎。
そして、そそくさと逃げるように部屋から出て行った。
大学生か……。
とすると、他の奴らも?