秘密実験【完全版】



「……実は今、僕が監視役なんです。だから本当は部屋から離れちゃいけないんだけど……」


 男は言い淀み、視線を落とした。


 杏奈のただならぬ様子に、心配して駆けつけてくれたのだろう。


 単純でお人好しな彼に感謝しなければ。



「ありがとう。……名前、訊いてもいい?」


 水で濡れた唇をつり上げ、ニッコリ微笑む杏奈。


 こんな状況で心から笑えるわけがない。


 演技よ、演技。


 今の私は、無理やり舞台に立たされた名もなき女優なの──。



「え……っと、僕の名前は。あ、秘密ですよ? 約束できますか」


「もちろん。私、他の人たちとはまともに話もできないんだよ?」


「……そうですね。僕、森耕太郎って言います」


 男は複雑そうな表情を浮かべて、聞き取れるのがやっとの声でそう口にした。


 森 コウタロウ


 杏奈は心の中で繰り返して、この名前を頭に叩き込んだ。



「こうたろう……。コウちゃんって呼んでもいい?」


 大きな目を輝かせながら訊くと、耕太郎は恋する乙女のように頬を染めた。



「そ、そんな。僕、敵ですよ?」


「あなたは敵じゃない。……悪い人には思えないから」


「……」


 杏奈の言葉に、耕太郎はやや薄い唇を噛みしめて俯く。



「悪くなかったら、こんなことしてませんよ」


「……」


「じゃあ、僕そろそろ行きますね? 他の仲間に見つかったらマズいんで」


 耕太郎は真顔を作りながら言うと、バスルームの扉を開けようとした。



「……待って! コウちゃんは、何歳なの? 私と同じくらいに見えるんだけど……」


「え、そんなに幼く見えます? って僕もまだ、大学一年だけど。……あ」


 口に手を当て、しまったと言う顔をする耕太郎。


 そして、そそくさと逃げるように部屋から出て行った。


 大学生か……。


 とすると、他の奴らも?


< 80 / 176 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop