秘密実験【完全版】
女は抱き起こすフリをして、杏奈の柔肌に長く伸ばした爪先を食い込ませた。
「痛っ……!」
「あら、ごめんなさい。痛かったよね? ごめんね?」
言葉とは裏腹に、その声には嬉々とした響きが含まれていた。
爪が食い込んだ肌は、うっすらと鬱血している。
──意地悪で陰湿な女!
お返しに噛みついてやりたいわ。
女を睨みつける杏奈の心もまた、女と同じように荒んでいた。
それは監禁生活のせいなのか、元々の気質なのかは自分でも分からない。
しかし、これほどまでに性格が悪かったのかと思い知らされ、杏奈は複雑な気持ちになった。
女が持ってきた白のコットンワンピースに袖を通すと、再び手錠をかけられた。
その際、どさくさに紛れてまたしても爪先で二の腕の内側を傷つけられた。
今度は先ほどよりも深く。
「いったぁ……」
「大丈夫? ごめんね、引っかかっちゃった! それじゃあバイバーイ」
女は口を歪めて笑いながら、軽やかな足取りで部屋から出て行った。
抉られた部分がズキズキと痛む。
下手したら、痕になってしまうかもしれない。
あのクソ女……死ねばいいのに。
杏奈は立ったまま俯いた。
今まで、人に対してこんな感情を抱いたことがないのに。
やはり監禁されてから、心が蝕まれてしまったのかもしれない。
そして、それこそが犯人──リーダーの狙いなのではないか?
「……分かった」
杏奈はほとんど口を動かさずに、小さく呟いた。
殺さず、生かさず──。
そんな神経が擦り切れそうな生活の中で、人間は正常なままでいられるのか。
なるほどね。
狂気のメカニズムを知るための“実験”ってわけか……。
杏奈は、乾ききっていない髪を振り払いながら顔を上げた。
その瞳は綺麗に澄み渡っているように見えて、漆黒よりも暗い色を湛えていた。