切美
駅から電車に乗って、かなり遠くの街へ移動した。知り合いに会わないようにするためだ。
街に出ると、多くの視線が突き刺さった。夕刻の、仕事帰りの人々がたむろする中、ただでさえ着物という服装は目立つものだ。しかもそれを身につけているのは、美男であり、美女であるという、独特な雰囲気を持った人間なのである。すれちがう者は皆、その異様さに目を見張ってしまう。
視線の波を浴びながら、剛は全身を熱くした。女装に対する恥ずかしさと、切美が注目されていることに対する誇らしさが、複雑に入りまじり、頭の中がぼおっとしてきた。
すると、剛の姿勢がだんだんと変化してきた。背筋がのび、歩き方が清楚なものになっていった。緊張してこわばっていた顔から力がぬけ、おちついた表情になった。それはまたもや、剛の意思とは関係なく、ひとりでに起きていた。
切美に全身をのっとられたのだ。
唯一自由な意識の中で、剛はそう思った。
にぎやかな街の様子に感動し、彼女は自分で歩きたくなったのだろう。無理もない。いままでせまいアパートの光景しか知らなかったのだから。剛は最初少し怖かったが、すぐに冷静になった。切美はそのうち身体を返してくれるはずだ。だから心配することはない。剛は切美に対して、同じ身体を共有する者としての信頼感をいだいていた。
やがて、街は夕闇に染まっていった。空は暗い青色になり、まわりの建物の窓という窓から、電灯の明かりがもれた。雀の群れの鳴き声が、上空を通り過ぎる。道路は人間と車で混みあっており、足音と排気音がやかましかった。
歩道の隅を歩く切美は、そんな街の風景のひとつひとつに興奮し、さっきからずっといそがしくまわりを見渡していた。
剛は、意識の中で、そんな切美をかわいいと思った。恥に耐えながら、街に来て正解だった。好きな女のうれしそうな素振りを、意識の中からながめるというのは、普通の恋愛では得られない奇妙な快感があった。外に出なければ、このような体験を味わうことはできなかっただろう。
暗くなるまで街を見物したあと、切美はレストランで夕食をとって、満足げな表情を浮かべてアパートへ帰った。