今日は良い日だ
人攫いがイーコを捕らえることに成功したとして、人通りの多い道は通れない。誰一人として見られてはいけない。だとすると、人通りのまったく無い路地へと逃げることが考えられる。
「こっちだ……!」
キリクは咄嗟に荷台に乗せられていた短剣を手に取り、店のすぐ傍の細い路地へ足を向けると男性の制止の声も聞かずに走り出した。
人がやっと一人通れるような細い道だ。誰かに見られることなんてまず考えられない。イーコを攫うことにさえ成功すれば、あとはこの路地に入り込めばいいだけだ。
走りながらキリクは舌打ちした。少女と言ってもイーコは角族だ。余程気を抜いていない限りまず攫われるようなことは無い。大の男でも敵わないだろう。だが今のイーコはまさに"気を抜いている状態"だったに違いない。毎日の仕事で疲れていたのだ。ピンと張った緊張の糸をやっと緩めた瞬間だったのだ、そこを狙われたのだ。
細い路地を抜けると静かな住宅街に出た。道を歩く人が少なく、寂しい印象を受ける。家も建てられていない空き地がいくつか見えた。
「なあちょっと、この辺で見慣れない男とか、見なかったか」
キリクは息を切らしながら、傍を歩いていた婦人に声を掛けた。婦人は「え?」と振り返る。
「見慣れない……? ああそういえばさっき、私の家の傍を見たことのない大男が二人歩いていてたわね。大きな袋を抱えていたかしら」
「それだ! 奥さん、あんたの家ってどっちだ」
「え、っと……向こうの、赤い布を干しているところよ」
聞くが早いか、キリクは全速力で走り出した。全身の血が波打っているような気がした。