今日は良い日だ
怒りなのか、それとも哀しみなのか、キリクには分からなかった。黒と紫と青のような感情が一瞬で噴き出して、キリクは自分で気が付かない内に腰に差した短剣を抜き、部屋の中に飛び込んでいた。キリクの目には失望したイーコしか映っておらず、その反対側にあるドアの近くに立っていた人売り達の怒声が飛ぼうが刀を抜かれようがそんな状況は頭には入ってこなかった。
「キリクさ……っ」
窓から突然飛び込んできた荒くれ者がキリクだと気付いたイーコが驚愕の表情で声を上げる、キリクは短剣を手にイーコに駆け寄るとすぐさま足の縄を切った。
キリクの目には入っていなかったが、部屋の中に居た三人の人売りの内二人はガタイの良い屈強そうな男だった。おそらくイーコを連れ去った大男だろう。その二人は実行犯であると共にガードマンでもあった。突然現れたキリクに焦りながらも腰につけた長い剣をすらりと抜いてキリクに迫る。
「そんな眼すんじゃねえよイーコ……!」
イーコの足を縛っていた縄を切ったキリクはすぐさまイーコの後ろに回り彼女の腕を縛っていた縄に短剣を当てる。しかしその瞬間、
「キリクさん!」
部屋に入ってから初めてキリクが聞き取った音だった。今にも泣きそうなイーコの叫び声に顔を上げる。
「このドブ鼠が……!」
長い剣を振り上げた屈強な男が目の前に立っていた。キリクは見上げる。動けない。イーコの腕の縄を切らなければ。彼女を解放しなくては。そんな思いが頭を過ぎる、そして男の太い腕がキリク目掛けて振り下ろされた。
左のこめかみの辺りが、一瞬にして燃えた。いや、燃えたように感じられた。それほどに熱かった。剣が当たった衝撃で後ろに吹っ飛んだキリクの後頭部に壁の痛烈な一打。頭がぐらぐら揺れた。
(……なんだこれ。熱いし揺れるし前が見えねえ)
とにかく切りつけられた箇所が熱かった。イーコの叫びが遠くに聞こえる。
(イーコ。イーコを助けなきゃ。そんで言うんだ、言わなきゃいけないことがあるんだ、お前に)
思考回路が鈍っていく。
やがて、キリクの意識は闇の中に放り込まれた。
何も見えない、真っ暗闇の中に。