熊と狩人
あの日の朝、妹がまだ寝ているうちに、狩人は猟銃をもって家を出た。
森の中に入り、あてもなく歩きまわる。うつむきながら進んでいると、うっかり木にぶつかってしまった。そのまま木の幹に額を押しつけて、狩人は唇を噛んだ。
数日前、夕食の片付けをしていた妹がとつぜん血を吐いた。あわてて病院につれていって、医者に診てもらった。妹は重い病気にかかっていた。ほおっておくと、命が危ないという。手術には、とんでもない額の治療費が必要だった。
狩人は絶望した。
なんで自分の家族ばかりに、不幸が降りかかるのか。
ただでさえ、火事のせいで狩猟の仕事がうまくいってないというのに、そんな金を用意することなどできるわけがなかった。妹にはこのことはだまっておくことにした。すぐに治る病気だと嘘をついて、家で寝かせつけた。
それから毎日、狩人は森中を駆けずりまわって獲物を探した。しかし、とれたのは兎一匹と野鴨二匹だけだった。狩人は獲物を食用肉として人里に売りさばいていたが、これでは治療費の十分の一にも満たない。
「どうすりゃいいんだ」
狩人は木の幹にもう一度頭をぶつけた。額に傷ができ、木の幹に血がついた。家を出る前に見た妹の寝顔は昨日よりも青ざめていた。病気は着実に妹の体をむしばんでいる。
しばらくしてから、狩人は熊が住む洞穴へむかった。やりきれない思いを、熊に聞いてほしくなったのだ。
洞穴に着くと、狩人は無言で中にはいった。奥の方で、雌熊が横たわっているのを見つけた。熊の姿はなかった。どうやら出かけているようだ。雌熊は狩人が目の前に立っても何も反応しなかった。見たところ、かなり弱っているようだった。かすかな呼吸音が、闇の中でひびいている。
ふと思った。
この雌熊を剥製にして売れば、かなりの金が手にはいるのではないか。
小さい頃、両親に都会へ連れていってもらったことがあった。そこで何回か動物の剥製を目にした。たいしたことのない動物でも、高額の値段がつけられていた。
いままで狩人は剥製には手を出さなかった。食用肉として売るため以外の狩猟は、みんな無意味な虐殺だと思っていた。
しかし、妹を助けるためなら。
猟銃を雌熊に向けた。こいつなら、剥製にすれば高い値段がつきそうだった。銃口をこめかみにに当てた。熊の顔が脳裏に浮かんだが、それをふりきって、狩人は引き金をひいた。
銃弾を頭に撃ちこまれても、雌熊は体をまったく動かさなかった。ただ、かすかな呼吸音だけが完全にやんだ。
狩人は雌熊の死体を縄でしばった。そしてそれをひきずって洞穴から出た。こうしている間にも、妹の病気は悪くなっていると思い、急いで川沿いをくだった。
そしてそこで、妹の死体を口にくわえた熊に会った。