花に言葉を、君に思いを
†スイカズラ†
半ば引きずられるようにして、わたしは素早く半径5メートル圏外へと避難させられた。離れていくわたしを名残惜しそうに見つめる彼女に、頑張れと目で伝える。
直前の笑顔と打って代わり、わたしと入れ替わりに真っ正面に座る彼の前で彼女は項垂れる。まるで悪戯を叱られる子犬のよう、飼い主と目を合わせない所などそのままだ。
「これから僕が言おうとすることは、分かってるよね」
静かながらも周囲の空気をピリピリと張り詰める声に、わたしも彼女もピンと背中が伸びる。彼女が是の返事をすると彼は溜め息を吐いて姿勢を正す。
彼が彼女の右腕を取って袖を捲れば覗く白い包帯。せっかく隠してたのに、と今度は彼女が大きく息を吐いた。大したことはないの、弁解した所で彼がはいそうですかと引き下がる訳もなく。
「さっき隣のおばさんから聞いたよ。散歩の帰り道に深い溝に落ちて身動きの取れなくなった猫を助けようとして、君が腕を擦りむいた。自分も一緒にいながら申し訳無い、って謝られちゃったよ」
僅かな鳴き声に唯一気付き、おばさんにわたし達を預けて溝から這い上がって来た彼女の手には猫と“うっかり”にしては派手な擦り傷のお土産。
また怒られるだろうな。苦笑しながら猫の頭を撫でる彼女の予感は数時間後に的中することとなる。
「…体が勝手に動いたの。周りには他に誰もいなかったし、私が行かなきゃって思って」
「それも毎回聞いてる。でも、僕だって何度でも言わせてもらうよ」
彼が真っ直ぐに見据えて大きく息を吸うと、彼女はおずおずと顔を上げた。
「理由はどうあれ君が危ない目に遭ってほしくないんだ、それが小さなアザでも切り傷でも。咲も梓も奏も同じことを思ってるよ。皆、君が大好きで心配なんだから」
彼の言葉はわたし達が言いたいこと全くそのままだ。わたしを速やかに連れ出し、後ろで同じく成り行きを見守るアズサもあの場にいた。繊細な彼女は怪我の心配や必ず訪れるこの説教への不安のために、水もご飯も喉を通らないでいる。
わたしが見上げると、アズサは困ったふうながらも優しい眼差しを返してくれた。
「子供の時、近所の子供達に苛められていた蛇を助けたことがあったよね。その蛇の傷が心配で、治るまで家でこっそり飼ってたって。結局毒蛇だって分かったのは放した後で。君は何でこうも昔から自分から危ない目に遭おうとするんだろうね」
「小さかったからとはいえ、危険なことだった。でもやっぱり私は自分が間違ってるとは思わないし、後悔もしてないよ」
「僕だって君のしたことが間違いだとは思ってないよ。でもね、何が正しいか正しくないかのことじゃなくてさ」
彼女の前髪を掻き分けると、ひきつれたような一本線が白い額に不釣り合いに居座っていた。それは子供が振り上げた枝から蛇をかばって付いたもので、結局消えずに残っている。
「愛する人と少しでも長く一緒にいたい、それが一秒でも一瞬でも。ねえ、僕たちは怖いんだよ。君がある日突然パッと消えてしまうんじゃないかって」
そうよ、貴女がいなくなるのが怖いの。彼女の消失はわたしの生きる意味すら失うこととなる。想像するだけで浮かびかけた涙を、口元をぎゅっと噛み締めてこらえる。
道路の真ん中で立ち往生するバッタ、ベランダから今まさに落ちそうな鉢植え。貴女は誰にでも何にでも、その手を差しのべてしまう人。
分け隔てなく無償の愛を与え、自分が傷つこうと構わない。どうして貴女は何かと“そういう”状況に居合わせてしまうのかしら。
「…ごめんなさい」
「だからといって、君を止めることはできないんだよね。だって怪我よりも見て見ぬふりをする方が君は苦しむでしょ。ホント、君の不思議な宿命にも困ったものだな」
右腕を労るようにして彼が彼女をそっと抱き締めた。彼女の横顔は本当に幸せそうで、ほうっと息が漏れた。
いつもながらの仲直りの合図、これで一件落着。瞬間、物陰で事態を見守っていたカナデ達がわたしの横を駆け抜けていった。
大きく尻尾を振ったり体を擦り寄せたりと、各々が二人に大好きの気持ちを伝えている。皆かつて彼女に愛をもらって救われた命、わたしだってそうだ。
わたしも行かなきゃ。ヨタヨタと歩き出すわたしにアズサがピタリと寄り添う。杖代わりにフサフサの尻尾をつかんでも怒られたことはない。種族は違えどアズサは優しいお姉さんなのだ。
「咲、おいで」
ゆっくりながらも辿り着いたわたしを包み込む彼女の温もりに思わず目を閉じる。ああ、あの時も貴女はこうしてくれたっけ。
もう、痛くないだろうか。わたしも彼女の額に触れて確かめる。わたしのために負った、その傷を。あれから長い年月が経つのに消えてくれないのかと、胸が苦しくなる。
あの頃は無かった物を、今のわたしは手にすることができた。しかし抱きしめ返すこの手はまだまだ小さく、足取りは覚束なくて走ることもできない。
そしてアズサやカナデにも無いものを、今のわたしはまだ使いこなせないでいる。
早く、大きくなりたいな。そしたらやっと貴女を守れる。もう貴女を危険な目に遇わせない、そのためにわたしは会いに来た。
それは額の傷への負い目ではなく、助けてもらった恩返しでもない。ただ貴女が大好きで、一緒にいたくて。咲として生まれる前から、初めて貴女に会ったあの頃からずっと。
この気持ちが少しでも伝わればと、彼女の額に自分の額を寄せる。ふふ、と彼女が笑った。
「ねえ、咲。大好きよ」
ほら、やっぱり貴女は愛を囁いてくれる人。ねえ、わたしもね、
スイカズラ
花言葉:愛の絆
無償の愛
(「まま、だいすき」伝えたい愛を胸に、今日も貴女の傍にいる。)
直前の笑顔と打って代わり、わたしと入れ替わりに真っ正面に座る彼の前で彼女は項垂れる。まるで悪戯を叱られる子犬のよう、飼い主と目を合わせない所などそのままだ。
「これから僕が言おうとすることは、分かってるよね」
静かながらも周囲の空気をピリピリと張り詰める声に、わたしも彼女もピンと背中が伸びる。彼女が是の返事をすると彼は溜め息を吐いて姿勢を正す。
彼が彼女の右腕を取って袖を捲れば覗く白い包帯。せっかく隠してたのに、と今度は彼女が大きく息を吐いた。大したことはないの、弁解した所で彼がはいそうですかと引き下がる訳もなく。
「さっき隣のおばさんから聞いたよ。散歩の帰り道に深い溝に落ちて身動きの取れなくなった猫を助けようとして、君が腕を擦りむいた。自分も一緒にいながら申し訳無い、って謝られちゃったよ」
僅かな鳴き声に唯一気付き、おばさんにわたし達を預けて溝から這い上がって来た彼女の手には猫と“うっかり”にしては派手な擦り傷のお土産。
また怒られるだろうな。苦笑しながら猫の頭を撫でる彼女の予感は数時間後に的中することとなる。
「…体が勝手に動いたの。周りには他に誰もいなかったし、私が行かなきゃって思って」
「それも毎回聞いてる。でも、僕だって何度でも言わせてもらうよ」
彼が真っ直ぐに見据えて大きく息を吸うと、彼女はおずおずと顔を上げた。
「理由はどうあれ君が危ない目に遭ってほしくないんだ、それが小さなアザでも切り傷でも。咲も梓も奏も同じことを思ってるよ。皆、君が大好きで心配なんだから」
彼の言葉はわたし達が言いたいこと全くそのままだ。わたしを速やかに連れ出し、後ろで同じく成り行きを見守るアズサもあの場にいた。繊細な彼女は怪我の心配や必ず訪れるこの説教への不安のために、水もご飯も喉を通らないでいる。
わたしが見上げると、アズサは困ったふうながらも優しい眼差しを返してくれた。
「子供の時、近所の子供達に苛められていた蛇を助けたことがあったよね。その蛇の傷が心配で、治るまで家でこっそり飼ってたって。結局毒蛇だって分かったのは放した後で。君は何でこうも昔から自分から危ない目に遭おうとするんだろうね」
「小さかったからとはいえ、危険なことだった。でもやっぱり私は自分が間違ってるとは思わないし、後悔もしてないよ」
「僕だって君のしたことが間違いだとは思ってないよ。でもね、何が正しいか正しくないかのことじゃなくてさ」
彼女の前髪を掻き分けると、ひきつれたような一本線が白い額に不釣り合いに居座っていた。それは子供が振り上げた枝から蛇をかばって付いたもので、結局消えずに残っている。
「愛する人と少しでも長く一緒にいたい、それが一秒でも一瞬でも。ねえ、僕たちは怖いんだよ。君がある日突然パッと消えてしまうんじゃないかって」
そうよ、貴女がいなくなるのが怖いの。彼女の消失はわたしの生きる意味すら失うこととなる。想像するだけで浮かびかけた涙を、口元をぎゅっと噛み締めてこらえる。
道路の真ん中で立ち往生するバッタ、ベランダから今まさに落ちそうな鉢植え。貴女は誰にでも何にでも、その手を差しのべてしまう人。
分け隔てなく無償の愛を与え、自分が傷つこうと構わない。どうして貴女は何かと“そういう”状況に居合わせてしまうのかしら。
「…ごめんなさい」
「だからといって、君を止めることはできないんだよね。だって怪我よりも見て見ぬふりをする方が君は苦しむでしょ。ホント、君の不思議な宿命にも困ったものだな」
右腕を労るようにして彼が彼女をそっと抱き締めた。彼女の横顔は本当に幸せそうで、ほうっと息が漏れた。
いつもながらの仲直りの合図、これで一件落着。瞬間、物陰で事態を見守っていたカナデ達がわたしの横を駆け抜けていった。
大きく尻尾を振ったり体を擦り寄せたりと、各々が二人に大好きの気持ちを伝えている。皆かつて彼女に愛をもらって救われた命、わたしだってそうだ。
わたしも行かなきゃ。ヨタヨタと歩き出すわたしにアズサがピタリと寄り添う。杖代わりにフサフサの尻尾をつかんでも怒られたことはない。種族は違えどアズサは優しいお姉さんなのだ。
「咲、おいで」
ゆっくりながらも辿り着いたわたしを包み込む彼女の温もりに思わず目を閉じる。ああ、あの時も貴女はこうしてくれたっけ。
もう、痛くないだろうか。わたしも彼女の額に触れて確かめる。わたしのために負った、その傷を。あれから長い年月が経つのに消えてくれないのかと、胸が苦しくなる。
あの頃は無かった物を、今のわたしは手にすることができた。しかし抱きしめ返すこの手はまだまだ小さく、足取りは覚束なくて走ることもできない。
そしてアズサやカナデにも無いものを、今のわたしはまだ使いこなせないでいる。
早く、大きくなりたいな。そしたらやっと貴女を守れる。もう貴女を危険な目に遇わせない、そのためにわたしは会いに来た。
それは額の傷への負い目ではなく、助けてもらった恩返しでもない。ただ貴女が大好きで、一緒にいたくて。咲として生まれる前から、初めて貴女に会ったあの頃からずっと。
この気持ちが少しでも伝わればと、彼女の額に自分の額を寄せる。ふふ、と彼女が笑った。
「ねえ、咲。大好きよ」
ほら、やっぱり貴女は愛を囁いてくれる人。ねえ、わたしもね、
スイカズラ
花言葉:愛の絆
無償の愛
(「まま、だいすき」伝えたい愛を胸に、今日も貴女の傍にいる。)