B級彼女とS級彼氏
◇◆◇
「どうもありがとうございました」
葬儀に参列してくれた最後の人を親戚一同で見送り、そのままの流れで今後の事について話し合われた。議題は両親が作った借金をどうやって返すべきか、と、一人取り残されてしまった私の受け入れ先について、だ。
自分の将来に関わる事だと言うのに、まだ子供だからと私は席を外すように言われた。
親戚のおじちゃん、おばちゃん達の為に私はお茶を淹れようと台所に立つ。突然の出来事でこの大人数に揃いの湯のみなど準備出来ず、仕方なく普段使いのマグカップをいくつか混ぜて何とか人数分を用意した。
「うちは年頃の息子がいるからねぇ」
「俺のとこは来年受験を控えてるから、ちょっとな。そうだ、姉さんところは? 丁度ヨシ君も、のりちゃんも片付いたんだろ?」
「えー? いやぁよ! ……縁起悪い」
――縁起悪い。
その言葉が居間から聞こえてきて、急須を持つ手がピクリと震える。こういう扱いになる事はこの葬式の間にあらかた予想はついてはいたが、これほどまでとは思ってはいなかった。
「まぁ、確かにそりゃそうだよな。誰が好き好んでそんな厄介者を……ってのはあるわな」
心無い言葉に、「そうだ、そうだ」とみんなが賛同する。
――縁起の悪い、厄介者。
私は震えの止まらない手で一旦急須を置くと、台所に両手をついて必死で倒れまいと自分の身体を支えていた。
結局、借金に関しては家と土地を売り払い、親戚一同で分担してお金を出し合った事でなんとか返済する事が出来た。一体いくらの損害を出したのかは最後まで教えてもらえなかったが、両親は私の為に貯めていた貯金共々全財産を使い果たし、それを取り戻すために金融機関にお金を借りてさらにつぎ込んでいた様だった。借りた金額が意外と少なかったので、親戚一同はホッと胸を撫で下ろしていたが、借入額を聞いた時にはまた「たったこれだけの為に死ぬなんて」と皆が口々に零していた。
もう一つの厄介事である“私”はと言うと、都会に住む親戚のおばちゃんの一人が面倒を見てくれる事になった。だが、私が一人で生活する事を望んだので、そのおばちゃんはさも、それは有り難いと言わんばかりに必死で今のボロアパートを探し、手続きから何からしてくれた。
そんなこんなで紆余曲折を経て、晴れて高校生となった私は近所のスーパーでレジ打ちのバイトを始めた。収入と言えば、そのアルバイト代と毎月月末に各親戚から一万円ずつ振り込まれる生活費。そのお陰で、私はさほど不自由せずに過ごす事が出来た。
「ただし、期限は高校卒業までの三年間、返済は不要とする」と、生活費と言う名目の言わば絶縁状とも取れる様な決め事をきちんと書面で交わし、高校三年生の三月にはちゃんとその通りに振り込みはピタリと止まった。
そしてとうとう私には完全に身寄りと呼べるものがなくなった。だから、私がいなくなっても困る者は居ない。負い目を感じて生きてきたこの三年間に比べると、私は幾分気持ちが楽になった。
◇◆◇
こんな辛気臭い話を、高校生の時いつも家に遊びに来ていた小田桐につい零してしまった事があった。泣いてはいけないとずっと我慢してきた私は、当時の事を思い出して不覚にも小田桐の前でまるで子供のように声をあげて泣いてしまった。そんな私を小田桐は自分の胸に抱き寄せ「一人でずっと我慢してたんだな」と言いながら何度も頭を撫でてくれた、と、そんな思い出さなくてもいい小っ恥ずかしい記憶までもがよみがえってきてしまった。
――、……うぅ?
小田桐の胸の中で泣いていた事を思い出していると、急にお腹の奥をぎゅっと掴まれるような痛みが走った。締め付けられるような感覚と共に、もやっとしたこの感じの正体が判らず身悶える。
レジカウンターに両手をつきながら頭を項垂れ、先程食べた廃棄弁当がよろしく無かったのかと頭を悩ませていると、床掃除に励んでいた深町君が私に声を掛けてきた。
「芳野さん? 頭に埃がついちゃってますよ?」
「え?」
モップの柄を手にしたまま、私に埃がついた場所を教えようと自分の頭をつんつんと指し示す。だが、上手く排除出来ない私に焦れた深町君は、自ら手を伸ばしてその埃を取り除いてくれた。
「――」
「いーよっと……。はい、取れましたよ」
「あ、ありがとう」
カウンターを挟んで行われたその行為に、私は何処か懐かしいものを感じた。
――つい最近にもこんな事あった様な?
私が変な顔をしていたのか、深町君が不思議そうな面持ちで私の顔を覗き込んでくる。
「どうしたんっすか?」
「……なんだろ、前にもこんな事あった様な気がするんだよね。こういうのって何って言うんだっけか? ドッペルゲンガー?」
「いや、それって自分の分身を見るってやつですよ。芳野さんが言いたいのは、デジャブじゃないっすかね?」
「ああ、それだ!」
私が納得したのを見届けると、深町君はターンしてモップを滑らせて行ってしまった。
デジャブ? 前に同じような光景を夢とかで見たのかな?
まだすっきりしない頭に幾分歳を感じつつも、私は埃がついていたであろう場所に手を置いた。
じわーっと目の前に何かが浮んでくる。もうちょっとで思い出しそうなのがわかると、頬を両手で覆いながら目を瞑って集中した。
『――、……あゆむ』
誰かが私を呼んでいる記憶が徐々によみがえってくる。あと、もうちょっとでそれが誰なのかがわかりそうな所まで来た。
「うーん……。――ああ」
バチッと目を見開き、完全に思い出した私はすっきりしたと同時にある事に気が付いた。
身に覚えがあると思ったのは、初めて小田桐がこの店にやってきた時にした、やりとりの一つだと言う事が判った。
恋愛経験値の低い私を懲らしめるために、わざと輝ちゃんの見ている前で私の髪を撫でる仕草をした小田桐。やつの思惑通り、一瞬にして身体を強張らせた私にあいつは満足そうに鼻で笑っていた事を思い出した。その時のカウンター越しに私の髪を撫でた小田桐の仕草と、今しがた深町君が私の頭についた埃を取ろうとした仕草がだぶって見えたのだ。
「んー、でもなぁ」
恋愛経験が少ないからこそ、異性に触れられただけで身体が言う事を効かなくなるのだとあの時の私は思っていたが、深町君ではそんな風にはならなかった。慎吾さんに押し倒された時も普通に接してたというのに、小田桐に触れられた時はなんで身体が硬直したのだろうか。
「うぅ、また」
また、お腹がぎゅっと痛くなる。
小田桐も慎吾さんも深町君も、れっきとした男性だと言うのに何故小田桐だけそんな事になってしまったのだろうか。
なんとも謎の多い男だ。昼間に会ったあの美女も一体誰なのか。
「……ぐぅっ」
今度は心臓が痛くなってきた。
小田桐があの女性の腰に手を置きながら、私の方へ振り返りもせず立ち去って行く場面を思い起こすと、心臓がぎゅっと鷲掴みにされた様な感じになる。
生まれて初めて味わう正体不明の痛みに耐えながら、今日もコンビニの夜は更けていった。
「どうもありがとうございました」
葬儀に参列してくれた最後の人を親戚一同で見送り、そのままの流れで今後の事について話し合われた。議題は両親が作った借金をどうやって返すべきか、と、一人取り残されてしまった私の受け入れ先について、だ。
自分の将来に関わる事だと言うのに、まだ子供だからと私は席を外すように言われた。
親戚のおじちゃん、おばちゃん達の為に私はお茶を淹れようと台所に立つ。突然の出来事でこの大人数に揃いの湯のみなど準備出来ず、仕方なく普段使いのマグカップをいくつか混ぜて何とか人数分を用意した。
「うちは年頃の息子がいるからねぇ」
「俺のとこは来年受験を控えてるから、ちょっとな。そうだ、姉さんところは? 丁度ヨシ君も、のりちゃんも片付いたんだろ?」
「えー? いやぁよ! ……縁起悪い」
――縁起悪い。
その言葉が居間から聞こえてきて、急須を持つ手がピクリと震える。こういう扱いになる事はこの葬式の間にあらかた予想はついてはいたが、これほどまでとは思ってはいなかった。
「まぁ、確かにそりゃそうだよな。誰が好き好んでそんな厄介者を……ってのはあるわな」
心無い言葉に、「そうだ、そうだ」とみんなが賛同する。
――縁起の悪い、厄介者。
私は震えの止まらない手で一旦急須を置くと、台所に両手をついて必死で倒れまいと自分の身体を支えていた。
結局、借金に関しては家と土地を売り払い、親戚一同で分担してお金を出し合った事でなんとか返済する事が出来た。一体いくらの損害を出したのかは最後まで教えてもらえなかったが、両親は私の為に貯めていた貯金共々全財産を使い果たし、それを取り戻すために金融機関にお金を借りてさらにつぎ込んでいた様だった。借りた金額が意外と少なかったので、親戚一同はホッと胸を撫で下ろしていたが、借入額を聞いた時にはまた「たったこれだけの為に死ぬなんて」と皆が口々に零していた。
もう一つの厄介事である“私”はと言うと、都会に住む親戚のおばちゃんの一人が面倒を見てくれる事になった。だが、私が一人で生活する事を望んだので、そのおばちゃんはさも、それは有り難いと言わんばかりに必死で今のボロアパートを探し、手続きから何からしてくれた。
そんなこんなで紆余曲折を経て、晴れて高校生となった私は近所のスーパーでレジ打ちのバイトを始めた。収入と言えば、そのアルバイト代と毎月月末に各親戚から一万円ずつ振り込まれる生活費。そのお陰で、私はさほど不自由せずに過ごす事が出来た。
「ただし、期限は高校卒業までの三年間、返済は不要とする」と、生活費と言う名目の言わば絶縁状とも取れる様な決め事をきちんと書面で交わし、高校三年生の三月にはちゃんとその通りに振り込みはピタリと止まった。
そしてとうとう私には完全に身寄りと呼べるものがなくなった。だから、私がいなくなっても困る者は居ない。負い目を感じて生きてきたこの三年間に比べると、私は幾分気持ちが楽になった。
◇◆◇
こんな辛気臭い話を、高校生の時いつも家に遊びに来ていた小田桐につい零してしまった事があった。泣いてはいけないとずっと我慢してきた私は、当時の事を思い出して不覚にも小田桐の前でまるで子供のように声をあげて泣いてしまった。そんな私を小田桐は自分の胸に抱き寄せ「一人でずっと我慢してたんだな」と言いながら何度も頭を撫でてくれた、と、そんな思い出さなくてもいい小っ恥ずかしい記憶までもがよみがえってきてしまった。
――、……うぅ?
小田桐の胸の中で泣いていた事を思い出していると、急にお腹の奥をぎゅっと掴まれるような痛みが走った。締め付けられるような感覚と共に、もやっとしたこの感じの正体が判らず身悶える。
レジカウンターに両手をつきながら頭を項垂れ、先程食べた廃棄弁当がよろしく無かったのかと頭を悩ませていると、床掃除に励んでいた深町君が私に声を掛けてきた。
「芳野さん? 頭に埃がついちゃってますよ?」
「え?」
モップの柄を手にしたまま、私に埃がついた場所を教えようと自分の頭をつんつんと指し示す。だが、上手く排除出来ない私に焦れた深町君は、自ら手を伸ばしてその埃を取り除いてくれた。
「――」
「いーよっと……。はい、取れましたよ」
「あ、ありがとう」
カウンターを挟んで行われたその行為に、私は何処か懐かしいものを感じた。
――つい最近にもこんな事あった様な?
私が変な顔をしていたのか、深町君が不思議そうな面持ちで私の顔を覗き込んでくる。
「どうしたんっすか?」
「……なんだろ、前にもこんな事あった様な気がするんだよね。こういうのって何って言うんだっけか? ドッペルゲンガー?」
「いや、それって自分の分身を見るってやつですよ。芳野さんが言いたいのは、デジャブじゃないっすかね?」
「ああ、それだ!」
私が納得したのを見届けると、深町君はターンしてモップを滑らせて行ってしまった。
デジャブ? 前に同じような光景を夢とかで見たのかな?
まだすっきりしない頭に幾分歳を感じつつも、私は埃がついていたであろう場所に手を置いた。
じわーっと目の前に何かが浮んでくる。もうちょっとで思い出しそうなのがわかると、頬を両手で覆いながら目を瞑って集中した。
『――、……あゆむ』
誰かが私を呼んでいる記憶が徐々によみがえってくる。あと、もうちょっとでそれが誰なのかがわかりそうな所まで来た。
「うーん……。――ああ」
バチッと目を見開き、完全に思い出した私はすっきりしたと同時にある事に気が付いた。
身に覚えがあると思ったのは、初めて小田桐がこの店にやってきた時にした、やりとりの一つだと言う事が判った。
恋愛経験値の低い私を懲らしめるために、わざと輝ちゃんの見ている前で私の髪を撫でる仕草をした小田桐。やつの思惑通り、一瞬にして身体を強張らせた私にあいつは満足そうに鼻で笑っていた事を思い出した。その時のカウンター越しに私の髪を撫でた小田桐の仕草と、今しがた深町君が私の頭についた埃を取ろうとした仕草がだぶって見えたのだ。
「んー、でもなぁ」
恋愛経験が少ないからこそ、異性に触れられただけで身体が言う事を効かなくなるのだとあの時の私は思っていたが、深町君ではそんな風にはならなかった。慎吾さんに押し倒された時も普通に接してたというのに、小田桐に触れられた時はなんで身体が硬直したのだろうか。
「うぅ、また」
また、お腹がぎゅっと痛くなる。
小田桐も慎吾さんも深町君も、れっきとした男性だと言うのに何故小田桐だけそんな事になってしまったのだろうか。
なんとも謎の多い男だ。昼間に会ったあの美女も一体誰なのか。
「……ぐぅっ」
今度は心臓が痛くなってきた。
小田桐があの女性の腰に手を置きながら、私の方へ振り返りもせず立ち去って行く場面を思い起こすと、心臓がぎゅっと鷲掴みにされた様な感じになる。
生まれて初めて味わう正体不明の痛みに耐えながら、今日もコンビニの夜は更けていった。