B級彼女とS級彼氏
 ◇◆◇

「それは恋の病だな、うん」
「はぁっ!?」

 朝早くにやって来た客人は自信満々にそう言うと、真っ赤なマニキュアが施された手でテーブルの上に置いたマグを握り締めた。

「恵美ちゃん、突拍子もないこと言わんでくれたまえ」

 先程、店で感じた痛みについて友達の恵美ちゃんに尋ねて見た所、全くもって見当違いの答えが返ってきて私は啜っていた夜明けのコーヒーを思わず噴出しそうになった。
 彼女の名前は大西恵美ちゃん。高校生時代のバイト仲間である。ケバい外見の彼女はこれでも二歳年下の二十三歳。彼女とは半年程しか一緒に仕事をした事が無いが何故か気が合い、今でもこうして仕事帰りに家へと遊びに来るのだった。
 恵美ちゃんは神様から授かったその美麗な容姿を余す事無く利用し、スーパーのレジ打ちよりもうんと割のいい夜のお仕事で生計を立てている。夜の蝶らしく夜な夜な男たちを翻弄しては、甘い蜜を吸う。吸う蜜がなくなればさっさと隣の畑へと移り、その場に留まる事は無い。平々凡々に生きている私からすれば、いつも華やかな彼女はまるで異世界の住民の様だった。

「いや、絶対そうだってば。芳野は鈍感だからわからないんだろうけど私にはわかる!」

 そう言って、まるで枝の様に細くて茶色いタバコを咥え深く息を吸い込むと、口元だけそっぽを向け、甘いバニラ香を漂わせながら白い煙を吐き出した。
 胸元のガバッとあいたセクシーな衣装に身を包み、金髪と言っていいほど明るく染めたゴージャスなウェービーヘアー。オゾン層破壊の危機が叫ばれている今の世の中と逆行して、ヘアスプレーをふんだんに撒き散らした私とは正反対な身なりのその友人は自身有りげにそう言い切った。

「それはそうと、美香ちゃんのお迎え行かなくて大丈夫なの?」
「あ、うん。今日は、親んとこ預けてるから」
「そっか! 仲直りできたんだね」
「……うん」

 恵美ちゃんには美香ちゃんと言う三歳の子供がいる。夜の仕事をする前に出会った十歳年上の男性と恋に落ちたのだが、子供が出来たと告げた途端、尻尾を巻いて彼女の元から去っていった。
 本気で好きになった人が、実は妻子持ちだった。良くある話だとは思ったが、知人でそんな目に遭ってしまった子がいたとは思いもよらなかった。
 実の両親からも見放され、一人で必死に子育てをしながら収入を得る為に藁をも掴む思いで夜の仕事を始めた。一人で頑張っている娘の話を一体どこで聞いて来たのかいつしか親御さんの耳に入り、この間保育所で待ち伏せされたと恵美ちゃんは言っていた。
 そして今、三年の月日が掛かったが、断絶状態だった親子は無事わかり合える事が出来たのだった。

 親子の間には目には見えなくとも、強くて固い絆で結ばれている。――だから、きっと小田桐も……。
 ――って、何でここで小田桐が出てくるのだろう?

「――、……うぅ、また」
「なぁに? また小田桐くぅんーの事思い出しちゃったの?」

 私がお腹を抱えたのを見て、恵美ちゃんは面白そうに赤い口元をキュッと上げた。

「いや、確かに今小田桐が頭を過ぎったけど、恵美ちゃんの言ってるのとは全然違うから!」
「へー? 一体どう何が違うの?」
「……だって、あいつは陰で私の事馬鹿にしてたんだよ!? 私には普通に友達みたいな素振りしておいて。ああ、思い出しても腹が立つ!」
「ペチャパイって言われたの、そんなにムカつく? 色気のいの字もない芳野が?」
「う、一応私も女ですからね……。そりゃまぁ、それなりに傷つきますよ、ええ」
「ふぅーん?」
「……」

 何だろう、恵美ちゃんのこの全部私にはお見通しよ、みたいな表情。何か言いたい事があるなら、ズバッとサクッと言ってもらえないだろうか。無言でニヤニヤとされると下手にしゃべってしまって墓穴掘りそうになる。

「……ま、いいや。きっとおバカな芳野でも、おいおいわかってくれるでしょう」
「はい?」
「こっちの話。――さてと」

 恵美ちゃんは悪戯っぽく笑うと、枝のようなタバコを灰皿にギュッとこすりつけた。

「あれ? もう帰るの?」
「うん、一緒に朝ごはん食べる約束してんだ。――家族で」
「あ、……うん! それがいいよ、早く帰りな!」

 秋の台風の様にして突如やって来た友人は、ヒールを鳴らしながらまた台風のように去っていった。
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