B級彼女とS級彼氏

 第5話~過去の悪習から逃れるために~



 薄暗い部屋の隅。大きなクローゼットに組み込まれた鏡の前で、私は何度も自身の髪を濡れたタオルで拭いている。せっかく大きな鏡があると言うのに、こう薄暗いとスライムが取れたのかどうなのかも良くわからない。もう少し明るくしてと言って見たものの、これが限界だとあっさり断られた。
 部屋の中央に大きなベッドが鎮座していると言う事は、あえて聞かなくともここが小田桐の寝室なのだと言う事がわかる。きっと、寝室用に元から明かりがぐっと絞られている照明を使っているのであろう。これが限界だと言う小田桐の言い分は、納得せざるを得なかった。

 しかし、照明一つでこうも場の雰囲気が変わるものなのかと思わず感心してしまう。
 リビングよりも狭いこの空間と、じっと見なければ相手がどんな表情をしているのかすらわからない絶妙なライティング。それに付け加え、この大きなベッドの存在が私に妙な感情を抱かせた。
 視界には入っては来ないが、衣擦れの音などで小田桐がベッドに座っているのがなんとなくわかる。こっちを見ているかどうかもわからないのに、何となく見られているんじゃないかと感じて思わず背筋をピンと伸ばした。

「あの、さ。向こう行ってていいよ?」
「いや、別にいい」
「いや、そうじゃなくて。後ろで待たれてると思うと何だか落ち着かないし」
「気にするな」
「いや、だからさ。あ、まさかとは思うけど、私が何か悪さするとか思ってるんじゃ?」
「――まぁ、そんなとこだな」

 薄暗いベッドルームに二人っきりと言うこの状況が嫌で、さり気なく出て行って貰う様に言ってみたが、私の信用が無い所為であっさりと拒否された。

「……こんな事になるんだったら、あんな変な実験しなければ良かった」
「実験?」
「い、いや、何でもない! こっ、こっちの話だから、うん」
「ふーん?」

 再び沈黙が訪れる。何か話さなきゃ間が持たない。こういう時、一体何の話をするべきだろうか。小田桐に対して聞きたい事は山ほどあるが、果たして今このタイミングで聞くべき内容なのかと考えると少し違う様な気がする。いつ日本に帰ってきたのかとか、いつまで日本に居るつもりなのか。今は何の仕事をしていて、父親とは上手くやれているのかとか。そして、何故あんなにも“から揚げちゃん”に執着するのか、とかも問い質してみたい所ではある。……まぁ、これは“好きだから”って返答が返って来るのは間違いないのだろうけども。
 それともう一つ。どうしても確認しておきたい事があった。

「あのさ、さっきの」
「ん?」
「あ、いや。……やっぱいい」

 次に自分が何を言おうとしているのか冷静に考えてみて、思わず口を噤んだ。先程の女性とは一体どういう関係なのかだなんて、部外者の私にはどうでもいい話だ。下手に聞いてしまって、それこそ偉そうに自慢されたりでもしたら腹が立つだろうし。

「……」

 それでも、気になってしょうがないのは、小田桐の事なら何でも知っていると思っていたあの頃の気持ちが、今の小田桐の事は何も知らないという事を受け入れたくないと拒絶反応を起こしている所為だ。
 高校生の頃の私は、小田桐の事なら何でも知っていたし彼の一番の理解者なのだと思い込んでいた。周りの女子がキャーキャー言う中、本当の小田桐はみんなが思うほどクールな王子様でも何でもなく、私の家に来るなり制服を脱ぎ散らかし、何も言わなかったらパンツ一丁で平気で居座る様な男だった。その内、体が冷えてくると勝手にタンスをあさり、私の服を着る事もしばしば。百七十センチある私が着る服だとは言え、流石に百八十センチ以上ある男の小田桐が着るとお笑いにしかならない。一度その姿をカメラに収めようとこっそり準備していたら、胸座を掴まれて本気で威嚇された事もあったりした。
 友達にそんな小田桐の本性を話しても誰も信じないだろう。小田桐は学校では比較的大人しくしていたから、そんな事を言えば最後、私が何かひがんで言っているとか、小田桐の気をひこうと思って言っているのだとか言われるのがオチだと思った。
 だから、私は二人の関係を誰にも話さなかったのだ。自己保身の為にしたこととはいえ、そうする事でどうやら私は優越感と言うものを覚えてしまったらしい。
 あの女性を見た時、あの頃と違って“私だけが知っている本当の小田桐”ではなく、“彼女しか知らない本当の小田桐”が存在しているという事を知った今、自分がそんな優越感を抱いていたという事に気付かされた。
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