B級彼女とS級彼氏


 そんな風に思っていた事に気付いたからには、あの女性は誰なのかと気軽に聞くことが出来ない。返事次第では、それなりにダメージを受ける様な気がする。でも、そうやって無かった事にしてしまうのもそれはそれでちょっと不自然だ。小田桐とはこの先付き合っていくつもりはないんだし、くだらない優越感を断ち切る為にもすっぱり割り切った方がいいに決まってる。

「何一人で百面相やってんだよ」

 それに、そうだ。小田桐だって、とっとと出てってくれとしか思っていないだろう。優越感だの劣等感だのと何だかぐるぐるしていたが、小田桐には何の関係もない事じゃないか。二人きりになったからと言ってまさかあの小田桐に対して意識してしまっていた事に、別の意味で恥ずかしさが増した。

「あ、のさ」
「だから、なんだよっ!?」

 強い口調で返事をする小田桐に、言い淀んでいた自分が馬鹿らしくなった。

「――っ、さ、さっきの人! 誰なのかなって!」
「はぁっ!?」
「だからっ……。――さっきの綺麗な女性(ひと)よ!」

 言いたい事を言わない私が余程鬱陶しかったのか、小田桐がイラついた口調に変わる。よせばいいのに、またもや逆切れをしてしまった私も売り言葉に買い言葉で突っ慳貪(つっけんどん)な物言いになってしまった。
 少し間が空き、小田桐は何か考えている様子だ。

「なんで?」

 すると、先程までとは違い、比較的冷静な声で聞き返してきた。

「し、質問に質問で返さないで下さい」

 私は相変わらず小田桐に背を向けたまま、もうどうにもならないとわかりきっているスライムを手持ち無沙汰にひたすら擦り続けている。またしばらく間が空くと、慎重に言葉を選ぶようにして小田桐が話し始めた。

「……あれは、梨乃(りの)、ってんだけど、あいつは俺の専属日本語教師。喋りはまぁ大丈夫なんだが、読み書きがまだ苦手だからさ。特にビジネスでの日本語の表現はありえないにも程がある」
「へ、へぇ? 随分綺麗な先生ですこと」

 少々嫌味っぽく言ってみたが、当然この小田桐にそんなのは通じない。

「まぁ、日本語を教えるだけのただのおっさんよりかは、プラスアルファがあるやつの方がいいしな」
「……っ」

 その言葉にスライムを擦る手がピタリと止まる。

 ――プラスアルファがある?
 それはつまり、二人はイケナイ関係だと言う事を遠まわしに言いたいのだろうか。互いの欲望を満たす為だけの割り切った大人の関係なのだと。
 多分、このセリフを慎吾さんが言ったとしてもそんな風には思えないのだろうが、まるで色気が服着て歩いている様な小田桐とフェロモン駄々漏れのあの女性を見ると、イケナイ妄想がどんどん湧き出てくる。

 ――不潔だ、不潔過ぎる!
 しばらく見ない間に、小田桐は見た目どおりのエロ魔王になってしまった事を知り、私は開いた口が塞がらなかった。それと、同時にもうあの頃の小田桐では無いのだとわかり、少し寂しくも思えた。

「どした? さっきから手が止まってんぞ?」

 鏡越しに人影が映った事に気付き、私は少し身体をずらしてその人影を見た。

「……っ」

 黒を基調にした大きなベッドの縁に腰を落とし、組んだ足の上に肘を付きながらじっとこっちを見ている彼と鏡越しで目が合い、咄嗟に目を逸らしてしまった。そこで止めておけばいいのに、ベッドに座っているであろう小田桐を私はまた鏡越しに覗き込んでしまった。

 ――まだ、……見られてる。
 次に目が合ったときは、視線を逸らす事が出来なかった。肘をついた手で顎を支え、何か言うでもなくただ無表情で私を見つめている。もしかすれば、その視線の先は私ではなく、単に髪についているスライムへと注がれているだけなのかも知れないが、仮にそうだったとしてもその小田桐の視線は私の胸の音を早めさせるのには十分なものであった。

 何か言葉を返さなければ変に怪しまれる。そう思いながらも、丁度いい言葉が浮んでこない。髪を拭く手を止め、私はその場で俯いていた。

「……? ――っ!」
「お前さ、もしかして」

 頭の上で突然小田桐の声が聞こえ、いつの間に隣に来たのかも気付かなかった私は、思わず肩を竦める。左手の前腕部分をクローゼットに押さえつけながら、まるで囲むようにして上から覗き込んでくる。
 その距離感に驚き、そのまま私は身体を硬直させた。
< 32 / 53 >

この作品をシェア

pagetop