B級彼女とS級彼氏
いや、別に食器並べるくらいやりますよ、って心の中で思っていてもどうにもそんな事言えそうな雰囲気ではない。一体この二人の間に何があったと言うのか今にも喧嘩をおっぱじめそうなこの雰囲気に、私はただうろたえるだけだった。
「勿論、おっしゃってる意味は判っておりますよ?」
「ならちゃんと俺の言う事を聞け。ほら、どれを運んだらいいんだ?」
「――お言葉を返す様ですが。聖夜さんの方がやけに歩さんにこだわっている様に見えますが。それに、私の雇い主は聖夜さんではなくあなたのお父様、トレス氏です。トレス氏に信頼して頂いて、聖夜さんの身の回りの事に関しては全て任されております。私がトレス氏に雇われている限り、貴方の一存で私を動かす事は出来ないのです。よって――」
「ああ! もう、いい! わかった!」
「……わかって頂けて良かったですわ」
小田桐は舌打ちをしながらダイニングテーブルへと向かうと、足と腕を組んで座り、面白く無さそうな表情を浮かべている。一方、勝者の余裕か、梨乃さんはそんな小田桐に向かってにっこりと微笑を返していた。
「あーあ、兄さんったら。梨乃相手に勝てるわけないのにね?」
ジャッ君が私の隣に来ると、耳元でそう呟いてから小田桐の向かいに腰をかけた。
――梨乃さんって何気に凄い。あの、しつこい小田桐をあっさり言い負かすなんて。
すっかり梨乃さんにやりこまれてしまった小田桐を見て、私は驚いたと同時にしてやったりな気分になる。いつも傲慢な態度の小田桐がギャフンと言わされているのを見るのは結構、いや、かなり気持ちがいい。
「歩さん? いいかしら?」
「あ、ああ、はい!」
何だか、ちゃんとしないと私まで怒られそうな気がする。変に緊張しながら梨乃さんの後に続いてキッチンへと入った。
「ごめんなさいね。こんな事お願いして」
「あ、いえ! でも、すいません、私自炊とかあまりしないので手際が悪くて……」
梨乃さんと二人でキッチンに立つと、今日のメニューを教えられる。そして、その料理に必要なカトラリーとお皿を人数分用意して欲しいという指令と同時に、食器棚を指差した。カトラリーというものが一体何なのかがわからず、あたふたしている私を見て梨乃さんがクスッと笑う。どうにもこうにも役に立たないと思われたのか指令内容は変更し、冷蔵庫の中からシャンパンを出してそこにある銀色のバケツに氷と水を張ってテーブルに持っていってくれと言われ、私はその任務を今完了して再び梨乃さんの居るキッチンへと舞い戻ってきた。
「……あ! グラス、ですよね? この長細いのでいいですか?」
「正解。お願いします」
――良かった。こういうのなら何度か飲んだ事があるからわかったよ。料理も出来ない、酒も飲まないだったら、何の手伝いにもならない所だった。
見るからに高級そうなグラスをそーっと食器棚から出していると、
「所で、少しお聞きしたい事があるのですけれども」
「ひゃいっ!?」
突然、耳のすぐ側で声がして身体が大きく揺れる。軽くグラスの縁が棚に当たってしまい、私までジャッ君と同じ扱いをされてしまったら梨乃さんに免疫の無い私は食事どころではなくなる。すぐに割れていないかを確認し、無事なのがわかるとホッと胸を撫で下ろした。
いつの間に近くに来ていたのかすぐ後ろに梨乃さんが立っていて、口の横に手をあてがいながらなにやらヒソヒソと話し掛けて来る。
「な、何でしょう??」
「貴方は聖夜さんの?」
「聖夜さんの?」
――しまった。つい、つられて私まで聖夜さんとか言ってしまった。気持ち悪い。
梨乃さんは一度耳を澄ませて、小田桐とジャッ君がお喋りしているのを確認すると、身体をより一層屈めた。その事で自然と距離も縮まり女性らしいフレグランスが鼻孔を掠め、艶やかな赤い口紅が上下に動くのが間近で見える。自分より背の高い女性などそうそう会う事が無かったが、この梨乃さんはヒールを履くと多分小田桐と同じ位かそれ以上あるだろう。でかいだけの私に比べ、うんと女性らしさを感じる梨乃さんの事が、とても羨ましく思えた。
「え? なんですか?」
梨乃さんが何を言おうとしているのかがわからず、思わず聞き返してしまったが、私はその事をすぐに後悔する事となった。
「歩さんは、聖夜さんとは身体だけのお付き合いなのかしら?」
「……はっ?」
――って! いやいやいや、にっこりと微笑みながら聞くことじゃありませんよ! やっぱり、この人……いや、この人達、言ってる事が毎回毎回おかしすぎる。もう素人はとてもじゃないですが太刀打ちできません。
「ち、ちちちち違いますっ!!」
「そう?」
「はいっ! あ、当たり前じゃないですかっ! 何でそんな事聞くんですか!?」
食器棚にびたっと背中を貼付けながら、ひっくりかえった声で取り乱した。そんな私を見て嘘を吐いているのでは無さそうだと思ったのか、梨乃さんは安堵の表情を浮かべた。
「いえ、ならいいですの。ほら、聖夜さんってあんなですから、一応念の為、ね」
――ちょっとちょっと! あんなだから一応念のためって、妙にぼかすのやめて貰えないでしょうか。
百戦錬磨の梨乃さんからすれば、こう言えば通じるって思ってるのかも知れませんが、ズブの素人の私にはその言葉の裏にある、本来意図するものが何なのかがさっぱりわかりません。
「いや、あの!」
「あ、じゃあそのグラス持って行ったら、もうそのまま座って下さってて結構ですわ」
その事を誰にもばれずに確認するためだけに手伝わされた感が漂って、私はなんだか釈然としなかった。