B級彼女とS級彼氏
第5話~正しい彼の呪い方~
「いらっしゃいま……、あ、慎吾さん! おはようございます」
「おはよう、望月さん。歩(あゆむ)ちゃんいる?」
突然の想い人の登場に、輝ちゃんの声が半音上がる。
「ええ、さっきから雑誌コーナーで難しい顔して本をあさってます」
「?」
今日は慎吾さんはお休みのはずだと言うのに、何故か店にやって来た。
恐怖の昼休みを過ぎ、一気にがらんと静まり返った店内。扉が開いた時に鳴る音が聞こえて一瞬だけ仕事モードに戻ったが、すぐに慎吾さんの姿が見えたので私はまた目の前の雑誌に視線を戻した。
店での慎吾さんは縞々の制服の下にネクタイを締め、髪もセットして割とキッチリとしている方だが、流石に休日ともなるとネクタイはしていなかったし、髪も自然に下ろしていた。そして、一体何ヶ月くらい洗ってないんだろうと見るたびに思ってしまう、慎吾さんお気に入りのLeevis501のジーンズと黒のパーカーのジッパーを半分位まで下げ、白いTシャツをのぞかせていた。
そんな慎吾さんの出で立ちを見ると、そこらにいる二十七歳の若者となんら変わりは無いのだなと言うことを改めて思った。
ヒタヒタと床を踏みしめるスニーカーの音がだんだん近づいて来る。店の本を立ち読みするなんて慎吾さんもやっている事だし怒られるなどとは微塵も思っていない私は、慎吾さんに目もくれずひたすら本を読んでいた。
「歩ちゃん、また親父が無茶言ったんだって?」
「はぁ。別に大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃないでしょ。昨日も夜勤明けだったじゃんか」
「そうなんですけどね」
慎吾さんの問いかけに対して顔も向けず、読書にふけっている私が物珍しいとでも思ったのか、手にしている本の表紙を信吾さんがかがんで覗き込んだ。
「占い? 歩ちゃんって占いとか好きなんだ」
「いえ、占いは特に興味はないんですけどね。呪いの掛け方とか載ってるかなーと思いまして」
「え?」
「ああ、いえ、気にしないで下さい。こっちの話なんで」
一度ならず二度までも小田桐にしてやられた私は、何とか自分の手を汚す事無く奴を陥れる方法は無いものかと策を練っていた。
私の恋愛経験値が低いと言う事を学生時代に熟知していた小田桐は、わざとらしく輝ちゃんの前であんな素振りをして見せたのだ。直前まで私の方が有利に事が進んでいたというのに、結局、小田桐の思惑通り、最後の最後に巻き返されてしまった。
年齢を重ね、以前よりもエロくなった小田桐の視線に射抜かれながら、髪をほんの少し撫でられただけだというのに。たった、それだけだと言うのに……。
パタンッと勢い良く本を閉じると、横で立ち呆けている慎吾さんにキッと視線を向けた。
「慎吾さん! 洋風と和風、どっちがいいですかね!?」
「え? 良く判ったね。僕がお詫びにご飯誘おうと思ってたって」
「は?」
「え? 違うの?」
「……いや、違やしませんが」
慎吾さんはホッと胸を撫で下ろし、『良かった。恥かいたかと思ったよ』と呟いた。
本当は全然違うけども、ご飯を食べに連れて行って貰えるのは正直嬉しい。慎吾さんと食事に行くと、必ずと言っていいほどお金を出さなくていいのだ。
廃棄の弁当はもらえるし、慎吾さんはご飯をおごってくれるしで、何ともいいバイトを見つけたもんだと切に思う。正直、今朝輝ちゃんに言われた哀れみの言葉もあながち間違っておらず、コンビニのアルバイトだけでは例え夜勤だとしても稼げる金額はたかがしれており、家賃や毎月掛かる生活費を差っ引くと残っているお金は雀の涙にしかならない。
でも、私はこの仕事が好きだし、何より私には近い将来やりたい事があるから、型にはまった正社員での仕事を望んでいるわけではなかった。私はその為にもまずはお金を貯め、いつでも動けるようにアルバイトの枠から抜け出さずにいた。
それはそうと、小田桐をどうすれば苦しめる事が出来るのかというのが、今現在の私のもっぱらの悩みだ。
「じゃあさ、駅前に新しいお店が出来たんだけどそこに行ってみようか? 確か、イタリアンのレストランバーだったと」
私が関係の無い事ばかりを考えて居るとは露知らず、慎吾さんは呑気にお店の提案をしている。
「イタリアン!? 洋風ですか?」
「え? あ、でもイタリアンが嫌なら、和食の創作料理の店でも……」
「あ~、やっぱり和風も捨て難いですよねー。でも私、白い着物とか持ってないし、しかも丑三つ時ともなると大抵バイト中だから抜けられないしな。やっぱ黒魔術の方が手っ取り早いか……」
「え??」
「や、こっちの話です」
「??」
ダメだ。現実と頭の中がごっちゃになりだした。きっと、これも極度の睡眠不足と疲労と、小田桐によるストレスと言う名の怨念から来るものだろう。
「……。――お?」
ふと、店内の時計に目をやれば退勤の時間が迫っている事に気付き、体が一気に脱力した。後もうひとふんばり頑張ればこの連勤地獄から抜け出せると共に、ご褒美のおいしいご飯を食べさせて貰えるのだと思うと、ゲンキンな私は俄然元気が出てきた。
「? いらっしゃいませ!」
いつにも増してハキハキと挨拶をしたと言うのに、入ってきたのは客ではなく店長の奥さんで慎吾さんのお母さんである宮川さんだった。
「母さん、店ほったらかしてどこほっつき歩いてんの?」
「あら? 慎吾来てたの? 休みの日にまで店に来るなんて、あんたはほんっと仕事が好きね」
「あのね……」
あまりの宮川さんのマイペース振りに、息子でさえもお手上げの様だ。いや、むしろ息子だからかもしれない。私や輝ちゃんにとってはいつもの宮川さんだった。
「今ね、今度向かいに出来るビルの関係者の方の所へ挨拶に伺ったんだけど、工事の人しか居なかったわ」
「え? ちょ、何しに行ったの?」
「是非、うちの店に来てくださいねって言おうと思って。ああ、勿論、工事の人にもちゃんと宣伝して来たわよ? それでね、その工事の人に聞いたんだけど、かなり高いビルになるんですって。しかも、半分位は色んな企業が入るらしいわ」
「……」
呑気な人だと思いきや、水面下でやる事はしっかりやっている宮川さんに、慎吾さんは何も言わなかった。しかし、少し店が混んだだけで裏に引っ込むような人が集客に精を出してるのって何だか矛盾してて笑える。
「あら、もうこんな時間ね。芳野さんも望月さんももう上がっていいわよ。もうすぐお父さん来るだろうから」
「「はーい」」
「ああ、母さん。今日、俺外でメシ食ってくるから」
「あら、やだ。彼女でも出来たの?」
その返答に慎吾さんはパキッと顔を固まらせた。すぐ後ろで輝ちゃんも顔を固まらせている。
「ち、違うよ! 歩ちゃんと食べに行くの! ……親父がまた迷惑掛けちゃったお詫びに」
「へ~」
「な、なんだよ」
宮川さんの意味深な顔と少し頬を染めている慎吾さんを見て、そういうのは本当に面倒なんでやめて貰えないだろうかと目を細めた。輝ちゃんの顔もどんどん強張っていくし、私は一体どう対応すれば何事も無く上がれるのかと考えあぐねいた。
結局、店長が登場した事で何とかその場は丸く収まった。休憩室と言う名のロッカーが四つ並べてあるだけのバックルームで、私と輝ちゃんは帰り支度を始める。その後ろで慎吾さんは私が準備を終えるのを待ち構えていた。
そうだ、輝ちゃんも……。
「あー、あの」
「慎吾さん、私も今日お食事をご一緒しても構いませんか?」
私が言うまでも無く、輝ちゃんは自分から立候補した。言葉遣いが少し硬いのはご愛嬌。
輝ちゃんが慎吾さんに向かい、私は輝ちゃんの背中越しに慎吾さんに向かって何度も、うん、うんと首を縦に振る。なのに、当の慎吾さんは何を血迷ったか、
「あ、ごめん。望月さんはまた今度ね」
満面の笑みで断った。
あの癒しの笑顔も、放つ言葉が冷たいと何の効果も持たないのだなと、生まれて初めて知ることとなる、二十五歳の春だった。
「おはよう、望月さん。歩(あゆむ)ちゃんいる?」
突然の想い人の登場に、輝ちゃんの声が半音上がる。
「ええ、さっきから雑誌コーナーで難しい顔して本をあさってます」
「?」
今日は慎吾さんはお休みのはずだと言うのに、何故か店にやって来た。
恐怖の昼休みを過ぎ、一気にがらんと静まり返った店内。扉が開いた時に鳴る音が聞こえて一瞬だけ仕事モードに戻ったが、すぐに慎吾さんの姿が見えたので私はまた目の前の雑誌に視線を戻した。
店での慎吾さんは縞々の制服の下にネクタイを締め、髪もセットして割とキッチリとしている方だが、流石に休日ともなるとネクタイはしていなかったし、髪も自然に下ろしていた。そして、一体何ヶ月くらい洗ってないんだろうと見るたびに思ってしまう、慎吾さんお気に入りのLeevis501のジーンズと黒のパーカーのジッパーを半分位まで下げ、白いTシャツをのぞかせていた。
そんな慎吾さんの出で立ちを見ると、そこらにいる二十七歳の若者となんら変わりは無いのだなと言うことを改めて思った。
ヒタヒタと床を踏みしめるスニーカーの音がだんだん近づいて来る。店の本を立ち読みするなんて慎吾さんもやっている事だし怒られるなどとは微塵も思っていない私は、慎吾さんに目もくれずひたすら本を読んでいた。
「歩ちゃん、また親父が無茶言ったんだって?」
「はぁ。別に大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃないでしょ。昨日も夜勤明けだったじゃんか」
「そうなんですけどね」
慎吾さんの問いかけに対して顔も向けず、読書にふけっている私が物珍しいとでも思ったのか、手にしている本の表紙を信吾さんがかがんで覗き込んだ。
「占い? 歩ちゃんって占いとか好きなんだ」
「いえ、占いは特に興味はないんですけどね。呪いの掛け方とか載ってるかなーと思いまして」
「え?」
「ああ、いえ、気にしないで下さい。こっちの話なんで」
一度ならず二度までも小田桐にしてやられた私は、何とか自分の手を汚す事無く奴を陥れる方法は無いものかと策を練っていた。
私の恋愛経験値が低いと言う事を学生時代に熟知していた小田桐は、わざとらしく輝ちゃんの前であんな素振りをして見せたのだ。直前まで私の方が有利に事が進んでいたというのに、結局、小田桐の思惑通り、最後の最後に巻き返されてしまった。
年齢を重ね、以前よりもエロくなった小田桐の視線に射抜かれながら、髪をほんの少し撫でられただけだというのに。たった、それだけだと言うのに……。
パタンッと勢い良く本を閉じると、横で立ち呆けている慎吾さんにキッと視線を向けた。
「慎吾さん! 洋風と和風、どっちがいいですかね!?」
「え? 良く判ったね。僕がお詫びにご飯誘おうと思ってたって」
「は?」
「え? 違うの?」
「……いや、違やしませんが」
慎吾さんはホッと胸を撫で下ろし、『良かった。恥かいたかと思ったよ』と呟いた。
本当は全然違うけども、ご飯を食べに連れて行って貰えるのは正直嬉しい。慎吾さんと食事に行くと、必ずと言っていいほどお金を出さなくていいのだ。
廃棄の弁当はもらえるし、慎吾さんはご飯をおごってくれるしで、何ともいいバイトを見つけたもんだと切に思う。正直、今朝輝ちゃんに言われた哀れみの言葉もあながち間違っておらず、コンビニのアルバイトだけでは例え夜勤だとしても稼げる金額はたかがしれており、家賃や毎月掛かる生活費を差っ引くと残っているお金は雀の涙にしかならない。
でも、私はこの仕事が好きだし、何より私には近い将来やりたい事があるから、型にはまった正社員での仕事を望んでいるわけではなかった。私はその為にもまずはお金を貯め、いつでも動けるようにアルバイトの枠から抜け出さずにいた。
それはそうと、小田桐をどうすれば苦しめる事が出来るのかというのが、今現在の私のもっぱらの悩みだ。
「じゃあさ、駅前に新しいお店が出来たんだけどそこに行ってみようか? 確か、イタリアンのレストランバーだったと」
私が関係の無い事ばかりを考えて居るとは露知らず、慎吾さんは呑気にお店の提案をしている。
「イタリアン!? 洋風ですか?」
「え? あ、でもイタリアンが嫌なら、和食の創作料理の店でも……」
「あ~、やっぱり和風も捨て難いですよねー。でも私、白い着物とか持ってないし、しかも丑三つ時ともなると大抵バイト中だから抜けられないしな。やっぱ黒魔術の方が手っ取り早いか……」
「え??」
「や、こっちの話です」
「??」
ダメだ。現実と頭の中がごっちゃになりだした。きっと、これも極度の睡眠不足と疲労と、小田桐によるストレスと言う名の怨念から来るものだろう。
「……。――お?」
ふと、店内の時計に目をやれば退勤の時間が迫っている事に気付き、体が一気に脱力した。後もうひとふんばり頑張ればこの連勤地獄から抜け出せると共に、ご褒美のおいしいご飯を食べさせて貰えるのだと思うと、ゲンキンな私は俄然元気が出てきた。
「? いらっしゃいませ!」
いつにも増してハキハキと挨拶をしたと言うのに、入ってきたのは客ではなく店長の奥さんで慎吾さんのお母さんである宮川さんだった。
「母さん、店ほったらかしてどこほっつき歩いてんの?」
「あら? 慎吾来てたの? 休みの日にまで店に来るなんて、あんたはほんっと仕事が好きね」
「あのね……」
あまりの宮川さんのマイペース振りに、息子でさえもお手上げの様だ。いや、むしろ息子だからかもしれない。私や輝ちゃんにとってはいつもの宮川さんだった。
「今ね、今度向かいに出来るビルの関係者の方の所へ挨拶に伺ったんだけど、工事の人しか居なかったわ」
「え? ちょ、何しに行ったの?」
「是非、うちの店に来てくださいねって言おうと思って。ああ、勿論、工事の人にもちゃんと宣伝して来たわよ? それでね、その工事の人に聞いたんだけど、かなり高いビルになるんですって。しかも、半分位は色んな企業が入るらしいわ」
「……」
呑気な人だと思いきや、水面下でやる事はしっかりやっている宮川さんに、慎吾さんは何も言わなかった。しかし、少し店が混んだだけで裏に引っ込むような人が集客に精を出してるのって何だか矛盾してて笑える。
「あら、もうこんな時間ね。芳野さんも望月さんももう上がっていいわよ。もうすぐお父さん来るだろうから」
「「はーい」」
「ああ、母さん。今日、俺外でメシ食ってくるから」
「あら、やだ。彼女でも出来たの?」
その返答に慎吾さんはパキッと顔を固まらせた。すぐ後ろで輝ちゃんも顔を固まらせている。
「ち、違うよ! 歩ちゃんと食べに行くの! ……親父がまた迷惑掛けちゃったお詫びに」
「へ~」
「な、なんだよ」
宮川さんの意味深な顔と少し頬を染めている慎吾さんを見て、そういうのは本当に面倒なんでやめて貰えないだろうかと目を細めた。輝ちゃんの顔もどんどん強張っていくし、私は一体どう対応すれば何事も無く上がれるのかと考えあぐねいた。
結局、店長が登場した事で何とかその場は丸く収まった。休憩室と言う名のロッカーが四つ並べてあるだけのバックルームで、私と輝ちゃんは帰り支度を始める。その後ろで慎吾さんは私が準備を終えるのを待ち構えていた。
そうだ、輝ちゃんも……。
「あー、あの」
「慎吾さん、私も今日お食事をご一緒しても構いませんか?」
私が言うまでも無く、輝ちゃんは自分から立候補した。言葉遣いが少し硬いのはご愛嬌。
輝ちゃんが慎吾さんに向かい、私は輝ちゃんの背中越しに慎吾さんに向かって何度も、うん、うんと首を縦に振る。なのに、当の慎吾さんは何を血迷ったか、
「あ、ごめん。望月さんはまた今度ね」
満面の笑みで断った。
あの癒しの笑顔も、放つ言葉が冷たいと何の効果も持たないのだなと、生まれて初めて知ることとなる、二十五歳の春だった。