B級彼女とS級彼氏
「でさ、でさ! そん時、ブランドンってばさ」
「……プッ! ちょっと待って、そうだ小田桐って“ブランドン”って名前だったね、確か」
気付けばテーブルの上にはシャンパンの他にワインのボトルもゴロゴロと転がっていて、その殆どを私とジャッ君が飲み干したという恐ろしい状態になっていた。完全に出来上がってしまった私とジャッ君は、ちょっとした事でも面白くて仕方が無い。今、現在、恰好のネタにされているのは小田桐のアメリカ名。せっかく親御さんが付けてくれた名前だというのに、私はその響きに慣れなくて膝をバシバシ叩いて笑い飛ばしていた。
「お前ね……、俺にはどうにも出来ない事なのに、そうやって笑われたらムカつくんだけど?」
「そ、そうだよ、歩! 僕だって、聖人(せいと)なんて名前、しっくりこなくて恥ずかしいんだから。その名前で呼ぶのなんて梨乃くらいだしっ、……ね」
心なしか兄をかばっているはずの弟の顔が、笑うのを我慢しているように見える。
「そうだね、ごめんね……ブ、ブランドン。……ぶぶぶっ!」
「あ、あゆむ! 笑っちゃ駄目だって、……に、兄さんが、か、可愛そうじゃん、……ぶはっ!」
「お前達、酔っ払い過ぎだろ……」
酔っ払いたちの戯言に付き合うのが嫌になってきたのか、小田桐は大きな溜息を吐くと透明な液体を喉に流し込んだ。
「あはははっ! 兄さんこそ、さっきからそれ、何飲んでるのさ?」
「水」
「え? 無類の酒好きの兄さんが何で水なの?」
「お前が飲んでるからだろ?」
小田桐の言った意味がわからなくて、ジャッ君は首をかしげている。ついでに私も首を傾げてみた。
「ジャック、芳野を車で迎えに行ったろ? 帰りはどうするつもりだったんだ」
「……ああー、流石兄さん!」
「え?」
小田桐が何を飲んでいるのかはわからなかったが、きっと口にしているのはウォッカとかジンとか系のアルコールだとずっと思っていた。ずっと冷静な顔をしていたのは、単に強いから顔に出ないだけだと。そう言えば、私達の話をただ黙ってニコニコと微笑みながら聞いている梨乃さんは、「酒は飲まない」とさっきジャッ君が言っていた。小田桐と梨乃さんが同じものを飲んでいる事に、私は何故気付けなかったのだろう。
もしかして、酒好きな小田桐が飲むのを我慢していたのは、私を家まで送り届けるため? ジャッ君がさっさと飲み始めたから、自分が送らなきゃって変な責任感で好きなものを我慢していた?
「小田桐、私一人で帰れるから、変な気を使わないであんたも飲みなよ?」
「一人で帰れるって、どうやって?」
「……歩いて?」
ここは格好良くタクシーって言いたかったけれど、ここからタクシーを使うとなると千円くらいはかかる。歩いて三十分ほどの距離だから、そんな無駄使いをするのは賢明ではない。でも、正直に思った事を言ったせいで、
「馬鹿か?」
と、また一蹴されてしまった。
「馬鹿」って言われてムカつくはずなのに、小田桐の優しさに触れてまた心が温かくなってしまった。目の前には恐らく小田桐の恋人であろう女性が座っていると言うのに、ほんの少しの優しさが私の心にアルコールと一緒に染みこんで、身体の内側からじわじわと温め始める。
――もう、勝手に入ってこないで欲しい。
梨乃さんにだけその優しさを与えていればいいというのに、何故私にまで優しくする必要があると言うのか。
「……っ」
こんな事で、もやもやしてしまうその原因は何なのかなんて知るのが怖い。必死でそのもやもやから目を逸らしていた。
◇◆◇
ソファーに場所を移し、私とジャッ君は三人掛けの椅子で飲みなおす事になる。ジャッ君は先程と全くかわらぬペースで飲んでいたが、私はチビチビとグラスの縁を舐める程度で押さえていた。
あんな話を聞かされた後じゃ、さっきまでのペースで飲むわけにはいかない。小田桐は「気にせず飲め」と半ば強制気味に睨みながら言ってくるけれど、流石の私でも、はい、そうですか。とはいかなかった。
自分もお酒が好きだから、小田桐の気持ちが良くわかる。って言うのもあるし、自分の中で又膨らんでしまった小田桐に対しての不確かな感情が邪魔をして、急に飲む気が失せたと言ってもいい。
向かい側で一人用の椅子の肘掛に足を投げ出しながら座り、話に入ってくるでもなく、ただボーっと一点を見詰めている小田桐が、さっきから気になって仕方が無かった。
「歩っていっつもお化粧しないの?」
小田桐に向けていた視線との間に、急にジャッ君が割り込んできた。
「あ、うん。色つきリップは塗ったりはするけど?」
「そうなんだぁ、肌つるっつるだよねー」
そう言って、手の甲を頬に擦り付けてきたジャッ君の目は、完全にイッている。とろんとした瞼に焦点の定まらない目で、しなだれかかって来た。
「ち、ちょっと、ジャッ君大丈夫?」
「聖人さんはちょっと飲みすぎですね。今朝、到着したばかりだからきっと疲れていて、悪酔いしたんでしょう」
そう言いながら、梨乃さんがお水の入ったコップと引き換えに、ジャッ君のワインが入ったグラスを撤収した。
「酔ってないよ~ぉ」
「酔っ払ってる奴ほど酔ってないって言うよな」
「ええ、そうですね」
――ああ、やっぱり息が合ってるな、この二人。
小田桐の左側の肘掛に腰を落とした梨乃さんが小田桐を見下ろすと、視線を合わせて二人で困惑の表情を浮かべた。
「――、……っ」
二人が並んで視線を絡めている姿がとても様になっていて、ジャッ君と輝ちゃんを見た時とは違う感情が心の中で渦を巻いた事に私は気付いてしまう。ずっと前から自分でも本当は気付いていた感情。それを認めてしまったら最後、小田桐との関係は終わってしまうと思ったからこそ、私は必死にそこへ蓋をしていたと言うのに。
溢れそうになるそれを今、私は必死で上から押さえつけていた。
「あーゆーむっ?」
「――あ、うん?」
「かーわいーねー、歩は」
「は? ジャッ君やっぱりかなり酔って……、――んん゛っ!?」
「あら、まぁ」
「――? ……っ!」
ジャッ君に顔を押さえつけられたと思ったら、グイッと無理に顔を横に向けさせられた。その事に驚く暇も与えられぬまま、目を伏せたジャッ君の綺麗な顔が突如私の目の前に現れた。
「……プッ! ちょっと待って、そうだ小田桐って“ブランドン”って名前だったね、確か」
気付けばテーブルの上にはシャンパンの他にワインのボトルもゴロゴロと転がっていて、その殆どを私とジャッ君が飲み干したという恐ろしい状態になっていた。完全に出来上がってしまった私とジャッ君は、ちょっとした事でも面白くて仕方が無い。今、現在、恰好のネタにされているのは小田桐のアメリカ名。せっかく親御さんが付けてくれた名前だというのに、私はその響きに慣れなくて膝をバシバシ叩いて笑い飛ばしていた。
「お前ね……、俺にはどうにも出来ない事なのに、そうやって笑われたらムカつくんだけど?」
「そ、そうだよ、歩! 僕だって、聖人(せいと)なんて名前、しっくりこなくて恥ずかしいんだから。その名前で呼ぶのなんて梨乃くらいだしっ、……ね」
心なしか兄をかばっているはずの弟の顔が、笑うのを我慢しているように見える。
「そうだね、ごめんね……ブ、ブランドン。……ぶぶぶっ!」
「あ、あゆむ! 笑っちゃ駄目だって、……に、兄さんが、か、可愛そうじゃん、……ぶはっ!」
「お前達、酔っ払い過ぎだろ……」
酔っ払いたちの戯言に付き合うのが嫌になってきたのか、小田桐は大きな溜息を吐くと透明な液体を喉に流し込んだ。
「あはははっ! 兄さんこそ、さっきからそれ、何飲んでるのさ?」
「水」
「え? 無類の酒好きの兄さんが何で水なの?」
「お前が飲んでるからだろ?」
小田桐の言った意味がわからなくて、ジャッ君は首をかしげている。ついでに私も首を傾げてみた。
「ジャック、芳野を車で迎えに行ったろ? 帰りはどうするつもりだったんだ」
「……ああー、流石兄さん!」
「え?」
小田桐が何を飲んでいるのかはわからなかったが、きっと口にしているのはウォッカとかジンとか系のアルコールだとずっと思っていた。ずっと冷静な顔をしていたのは、単に強いから顔に出ないだけだと。そう言えば、私達の話をただ黙ってニコニコと微笑みながら聞いている梨乃さんは、「酒は飲まない」とさっきジャッ君が言っていた。小田桐と梨乃さんが同じものを飲んでいる事に、私は何故気付けなかったのだろう。
もしかして、酒好きな小田桐が飲むのを我慢していたのは、私を家まで送り届けるため? ジャッ君がさっさと飲み始めたから、自分が送らなきゃって変な責任感で好きなものを我慢していた?
「小田桐、私一人で帰れるから、変な気を使わないであんたも飲みなよ?」
「一人で帰れるって、どうやって?」
「……歩いて?」
ここは格好良くタクシーって言いたかったけれど、ここからタクシーを使うとなると千円くらいはかかる。歩いて三十分ほどの距離だから、そんな無駄使いをするのは賢明ではない。でも、正直に思った事を言ったせいで、
「馬鹿か?」
と、また一蹴されてしまった。
「馬鹿」って言われてムカつくはずなのに、小田桐の優しさに触れてまた心が温かくなってしまった。目の前には恐らく小田桐の恋人であろう女性が座っていると言うのに、ほんの少しの優しさが私の心にアルコールと一緒に染みこんで、身体の内側からじわじわと温め始める。
――もう、勝手に入ってこないで欲しい。
梨乃さんにだけその優しさを与えていればいいというのに、何故私にまで優しくする必要があると言うのか。
「……っ」
こんな事で、もやもやしてしまうその原因は何なのかなんて知るのが怖い。必死でそのもやもやから目を逸らしていた。
◇◆◇
ソファーに場所を移し、私とジャッ君は三人掛けの椅子で飲みなおす事になる。ジャッ君は先程と全くかわらぬペースで飲んでいたが、私はチビチビとグラスの縁を舐める程度で押さえていた。
あんな話を聞かされた後じゃ、さっきまでのペースで飲むわけにはいかない。小田桐は「気にせず飲め」と半ば強制気味に睨みながら言ってくるけれど、流石の私でも、はい、そうですか。とはいかなかった。
自分もお酒が好きだから、小田桐の気持ちが良くわかる。って言うのもあるし、自分の中で又膨らんでしまった小田桐に対しての不確かな感情が邪魔をして、急に飲む気が失せたと言ってもいい。
向かい側で一人用の椅子の肘掛に足を投げ出しながら座り、話に入ってくるでもなく、ただボーっと一点を見詰めている小田桐が、さっきから気になって仕方が無かった。
「歩っていっつもお化粧しないの?」
小田桐に向けていた視線との間に、急にジャッ君が割り込んできた。
「あ、うん。色つきリップは塗ったりはするけど?」
「そうなんだぁ、肌つるっつるだよねー」
そう言って、手の甲を頬に擦り付けてきたジャッ君の目は、完全にイッている。とろんとした瞼に焦点の定まらない目で、しなだれかかって来た。
「ち、ちょっと、ジャッ君大丈夫?」
「聖人さんはちょっと飲みすぎですね。今朝、到着したばかりだからきっと疲れていて、悪酔いしたんでしょう」
そう言いながら、梨乃さんがお水の入ったコップと引き換えに、ジャッ君のワインが入ったグラスを撤収した。
「酔ってないよ~ぉ」
「酔っ払ってる奴ほど酔ってないって言うよな」
「ええ、そうですね」
――ああ、やっぱり息が合ってるな、この二人。
小田桐の左側の肘掛に腰を落とした梨乃さんが小田桐を見下ろすと、視線を合わせて二人で困惑の表情を浮かべた。
「――、……っ」
二人が並んで視線を絡めている姿がとても様になっていて、ジャッ君と輝ちゃんを見た時とは違う感情が心の中で渦を巻いた事に私は気付いてしまう。ずっと前から自分でも本当は気付いていた感情。それを認めてしまったら最後、小田桐との関係は終わってしまうと思ったからこそ、私は必死にそこへ蓋をしていたと言うのに。
溢れそうになるそれを今、私は必死で上から押さえつけていた。
「あーゆーむっ?」
「――あ、うん?」
「かーわいーねー、歩は」
「は? ジャッ君やっぱりかなり酔って……、――んん゛っ!?」
「あら、まぁ」
「――? ……っ!」
ジャッ君に顔を押さえつけられたと思ったら、グイッと無理に顔を横に向けさせられた。その事に驚く暇も与えられぬまま、目を伏せたジャッ君の綺麗な顔が突如私の目の前に現れた。