B級彼女とS級彼氏

 第6話~誤解と癒しと酔っ払い~

「あ、輝ちゃん。お迎え来てますよ」

 輝ちゃんはいつもタクシーで来て、タクシーで帰る。何度か遅刻しそうになってタクシーで出勤したらしいのだが、運転手さんになつかれて……と言うか、味をしめたと言うか。家を出ればいつもの運転手さんが、わざわざ車から降りて輝ちゃんを待ち構えているそうだ。
 勿論、上がりの時間も把握していて、輝ちゃんが出勤の時は行きも帰りも待ち構えている。と言った具合だった。
 何せ、この辺りでは程よく有名な輝ちゃんの大きな家。その運転手さんは輝ちゃんがそこから出てくるのを何度も見ているのだし、そんな大きな家に住んでいる人間が、まさかこの程度の出費でケチケチするとは思ってもいないのだろう。実際、輝ちゃんは毎度のタクシー代など痛くも痒くもない様子だった。
 家に仕えている専属運転手による送迎をお母さんに禁止され、いつも満員バスに揺られて苦痛に顔を歪めていたのが解消された。と、逆に喜んでいた程だ。
 しかし、出勤の為のタクシー代により、その日働いたバイト代がほぼ消えるのってどうなんだろうか。

 輝ちゃんと別れた後、背中に輝ちゃんの視線をチクチクと感じつつ、自分が乗ってきた自転車を押しながら、ひたすら前を向いて慎吾さんと駅前に向かって歩いていた。

 どうして慎吾さんは、輝ちゃんを断ったんだろうか。 
 そりゃ、一人でも奢(おご)る人が増えるのは、確かにキツイ出費かも知れない。でも、過去に何度も仕事上がりに他のバイトと一緒にモーニングを食べに連れて行ってくれたり、飲み会でも払いますと言うバイト達の言葉を退け、毎回慎吾さんが奢ってくれていた。だから、そんな太っ腹な慎吾さんがこれしきの出費で悲鳴を上げるとは到底思えないのだ。
 輝ちゃんが慎吾さんを好きだという事を知っている私としては、今回の事で今後の仕事が非常にやりにくくなる。確かに普段は夜勤ばかりだから、輝ちゃんと会う事も無いだろうが、昨日や今日みたいに突然昼勤になる事もあるワケだし。

 ――私も行くのやめますって言うべきだったのかな? 
 でも、一食浮くのは正直嬉しいし、輝ちゃんが慎吾さんの事を好きだって知ったのも結構最近であって、以前から慎吾さんとは良く飲みに行ったりしてる身としては急に付き合い方を変えるのもどうかと思い悩む。
 私がぐるぐると頭を悩ませている事も知らず、原因を作った張本人は悪びれる様子など皆無であった。

「そう言えば、歩ちゃん。店の前で塩ぶちまけた挙げ句、わざわざうちなんかで高い塩買ったんだって?」 
「ぐっ、どうしてそれを」

 聞き返してみたものの、誰がその事を漏らしたのかは答えを聞かずとも判った。
 輝ちゃんからの申し入れを慎吾さんが華麗に拒否した後、私はなんとも言えない気分になりつつ三人で裏口を出た。そこでロッカーの鍵を持ってきてしまっていた事に気付き、一旦ロッカーへと戻った。聞いたとしたらきっとその時だろう。
 慎吾さんと二人っきりで出掛ける私にムカついて私の評価を下げてやろう、とかいう類の悪意があってその事を言ったわけでは無いとは思うが、前回の“首根っこ引き摺られ事件”の時に見せた、小田桐に対する慎吾さんの異様なまでの執着心を思い出すと、自分勝手ではあるが今はその話を慎吾さんに喋って欲しくは無かった。
 ここで又、あいつの話を出せば美味い飯も不味くなるってもんだ。

「いや、ちょっと呪っ、……占いをしていて。店の前に塩を撒けばいい事があるって書いてあったので、つい」
「あははは、結構乙女な面もあったんだねー」
「はぁ」

 何とかその場をごまかす事ができ、ホッと胸を撫で下ろした。

 私をぎゃふんと言わせるために、わざと意味深なセリフを言い残して立ち去った小田桐。あの後、輝ちゃんからの怒涛の質問攻めにあった。


 ◇◆◇

「歩ちゃん、あの人とお付き合いされてたの?」
「違います! 無宗教だけど、神に誓って!」
「やだ―、恥ずかしがらなくても。あ……、そうだ、さっきは“変な人”とか言っちゃってごめんね」

 恥ずかしがってもいないし、付き合っていた事実も無い。そして、頼むから変な気を使わんで下さい。

「輝ちゃん、塩!」
「え?」

 辺りをキョロキョロと見渡して、手近にあったフライドポテト用の塩をむんずと掴む。急いで店の入り口へと向かう私に『そのお塩、在庫がもう無いから』と輝ちゃんがおどおどと声を掛けた。少し残すつもりで店の入り口付近にパッパと塩をふりまいたが、気持ち良く塩が出てくれないのに苛立ちを覚え、少し力を入れて容器を振った。

「――! ……がっ!?」

 勢いよく振り下ろした瞬間、容器の蓋がパカッと外れ、――塩が、『もう在庫が無いのよ』と輝ちゃんがわざわざ教えてくれたこの塩が、無残にも店の入り口で小さな山を作った。

 ……その後の私はと言うと、当然自腹を切り、近所のスーパーの倍ほどする値段のコンビニの塩を、従業員割引も何も無い自分の働いている店で買い、何とかその場を凌いだのだった。


 ◇◆◇

「あはは、――。お、もうこんな時間だ。そろそろ出ようか」

 結局、あれほど慎吾さんがお店の提案をしたものの、まだ時間が早かったためにどこも開いておらず、いつもの居酒屋に行く事になった。ひとしきり飲んで食べて喋って。ここ数日の仕事の疲れと、小田桐の嫌がらせによるダメージは、随分と癒された気がする。
 時々、こうして慎吾さんと飲みに出かけることがあるが、今日のご飯はいつもよりおいしく感じた。
 テーブルの下に吊られてあった伝票を慎吾さんが取り、そのままレジへと向かっていく。

「先に外出てていいよ」
「いつも有難う御座います!」

 と元気良くお礼を言うと、垂れた目尻で『お会計の時になると、倍元気になるよね』って苦笑う。
 その優しい笑顔と、年上ならではの包容力に酔いそうになった。

「――、て、……あれ?」

 店を出て外の空気を吸った途端、ぐらっと景色が歪んで見えた。
 日頃からザルだザルだと言われる程の上戸(じょうご)な私。慎吾さんも『そこまで強いと潰してお持ち帰り――、なんて悪さ、絶対出来ないな』と、リップサービスだとは判ってはいるが、それ位、本当に自分が酒に酔うなんて言う経験をした事が無かった。
 だから、たったこれしきの酒量で酔っ払うわけがないと、今自分の体に起こっている何らかの変化を素直に受け入れられずにいた。

「お待た……せ? 歩ちゃんどうしたの? ――って、ええ?」

 もうその場に立って居ることも出来なくなった私は、壁に背をつけてその場に座り込んでしまう。
 ――やっば、何これ……、気持ち悪っ。

「やだぁー、何あれ? 酔っ払い?」

 人通りの多い繁華街で座り込んでいる私を、行き交う人々が白い目で見ているのが判る。自分でもすこぶる恥ずかしいと思って居るのに、どうやっても体に力が入らない。立つのはおろか、一言でも喋ったが最後。今、たらふく飲み食いしたものが一気に逆流しそうだった。
 流石に二十五歳の乙女が、こんな公衆の面前でそんな醜態を晒すわけにはいかない。慎吾さんに手を上げて、頼むから暫くそっとしておいて欲しいと合図を送った。

「参ったなぁ。いつもこっちが胸焼けしそうな程飲むってのに……。やっぱ、働き過ぎで疲れた体に一気にアルコールが回ったんだろうな」

 壁に寄りかかりながら視点の定まらない目で遠くを見ている私を、他人の目から守るようにして慎吾さんが私の前に座り込んだ。
 優しい口調でそう言うと、そっと、本当にそーっと、頭を数回撫でてくれた。

 どれ位その場で座り込んでいただろうか。
 私はバイトが休みだからいいものの、慎吾さんは明日は早朝勤務だと言うのをさっき店で言っていたのを思い出した。
 先に帰って下さい。と言っても、責任感の強いこの人はきっと私を残して帰るなんて事出来ないだろう。
 少しでも早く私が帰る努力をしなければと、思い始めた矢先だった。

「芳野?」

 名前を呼ばれ、反射的に顔を上げる。ぼやけた視界に映ったのは又もや今世界で一番会いたくない人物だった。




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