B級彼女とS級彼氏
「だからだな……? ああ、悪いな小田桐。ちょっと廊下で待っててくれ。芳野との話が済んだら呼ぶから」
「……りょーかい」
どうやら、彼も先生に呼ばれたようだ。きっと、退校の手続きうんぬんだろう。
――そういや、あいつ。いつ帰国するって言ってたっけか。
せめて、お見送りにでも行こうかと、手入れも何もされていない先生のボサボサの太い眉毛をじっと見つめながら、そんな事を考えていた。
「と、まぁそんな事だから。お前も色々あって大変なのはわかるが、もちっと子供らしく自分のやりたい事言っていいんだからな。甘えられるうちに甘えとけばいいんだ」
「はぁ」
やる気の無い返事に大きく鼻から息を吐き出した先生は、頭をボリボリッとかきながら反対の手で扉の方を指差した。
「もう、いい。次、小田桐呼んでくれ」
「はい、失礼します」
「気をつけて帰れよ」
ガラガラっと立て付けの悪い扉を開くと、少し離れている場所の開け放たれた窓で頬杖をつきながら、ぼんやりと外を眺めている小田桐が居た。風がそよそよと吹いていて、小田桐の黒髪もそれに合わせてなびいている。
学校に来るのが多分これで最後だから感傷に浸っているのか、ここから見える小田桐の横顔はどこか寂しそうに見えた。
「――小田ぎっ、……」
「おい、小田桐!」
私の声が届く前に、クラスメートの男子が小田桐に声を掛けた。私は何故か声を掛けるのを止めてしまい、話が終わるのを待とうとした。
「――なに」
「これ、見てみ? さっき、教室のゴミ箱の横に落ちてたんだけどさ。なんだか、女子が男子のランク付けしてたみたいだぜ」
「あ、……」
さっき、あの子達が書いてたやつだ。
好き放題書くだけ書いて、後始末もちゃんとしないで帰るなんて、後でキッチリ言っとかなきゃ。
「ランク付け? ……興味ないが」
「まぁ、そんな事言うなって! ホレ! お前はS級なんだってよ。これって一番上って事じゃね?」
「……」
照れるわけでもなく、喜ぶわけでもなく。小田桐は本当に興味が無さそうにしている。
まぁ、当然のリアクションだろう。小田桐の事を良く知っている私には判る。
さっきは、女子たちから『小田桐に彼女がいるのか?』と聞かれて、思わずとぼけてしまったが、小田桐には彼女はいないって事を私は知っている。実を言うと、私と小田桐はこう見えても実は結構仲がい……、
「でさ、これ見ろよ? 芳野がB級って書かれてやんの! 五組で選抜されてんのお前と芳野だけなのに、このS級とB級の差! もう、お前らお似合いのカップルじゃん? 付き合えば?」
「俺と芳野が? ――まさか、ありえんだろ。あんな女なんだか、男なんだか性別不明な奴。胸なんて、ちょっと太った男の方があるんじゃねぇのかっつー位まな板だし」
「うはは! 確かにあいつ痩せてっし、いっつも猫背で歩いてんじゃん? あれじゃあ、胸なんてあるのかないのかすらわかんねーな」
「いや、マジで猫背がどうとか言うレベルじゃないぞ? 俺、前――」
「っ!!」
「ぎゃははは! 小田桐、おまっ、それ言い過、ぎ……あ、やべ」
「? ――ああ、芳野。先生の話、終わっ……」
次の瞬間、鳩尾(みぞおち)に私の正拳突きをモロにくらった小田桐は、その場で膝から崩れ落ちた。
「お、お前みたいな奴は……、う、馬のフン踏んづけて死んじまえ!!」
「な、んだ……それ」
「よ、芳野、それを言うなら“馬に蹴られて死んじまえ”なんじゃ……。しかも、この状況で使うような例えでもなし……」
地面に這いつくばっている小田桐をその場に残し、私はそこから走り去った。
◇◆◇
「…… …… ……!!」
「――、――」
「う、うーん。――?」
――今のは……夢?
なんだか近くで大きな声で騒いでいる男の声が耳に入り、飛んでいた意識がやっと戻ってきた。しかし、どうしてあんな昔の夢を見てしまったのだろうか。ずっと記憶から抹消してきたというのにまた思い出させられて気分が悪い。
――って、あれ? 本当に気持ち悪いな。あ、そうだ! さっき小田桐が見え……
「だからってあんたなんかに歩ちゃんを渡せるわけ無いだろ!?」
「は? お前、何様? 何の権利があって、そんな事言えるわけ?」
はっきりとした怒号が聞こえ、まだ霞んでいる目を何度も擦りながらまじまじと見上げてみれば、慎吾さんと小田桐がなにやら揉めている様だった。
ぐっと握りこぶしを作り、背の高い小田桐に食って掛かっている慎吾さんに対し、小田桐は腕を組んだ状態で指をトントンとせわしなく動かしていた。
「権利って……僕は、歩ちゃんの職場の上司だし、彼女の身の安全を考えるのは当然の事だ。だから、あんたみたいな素性の知れない輩に、ほいほい任せられるわきゃない。何しでかすかわかったもんじゃないからな」
――いや、慎吾さん。小田桐が私に何かするなんて地球が土星に変わる位ありえない事ですから。
声に出して言いたいけれども、少し寝たからと言って気分がすっきりしたわけではない。やはり、喋ろうとすれば最後、大変な事になりそうな予感がする。
「は? それじゃあ、何か。俺が芳野に手を出すとでも思ってるのか? ふん、俺も随分とみくびられたもんだな。――どうやら何も知らない様だから教えてやるが……こいつは実は“女”じゃない」
「はぁっ!?」
――慎吾さん、私も今あなたと同じ気持ちです。
人が気持ち悪くて話せないのをいい事に、こいつは慎吾さんに一体何を吹き込むつもりなのか。まさかとは思うがさっき夢で見たのと同じく、私の胸が無いとでもおっしゃるつもりなんでしょーか。
「――っ!! ……? あ、歩ちゃん、気がついた?」
小田桐に向けて睨みをきかせている事に気付いた慎吾さんが、座り込んでいる私の前にしゃがみ込んだ。口元に手を置いたまま小さく頷くと、小田桐に急に腕を掴まれて立ち上がらされる。
――ちょ、急に動いたらマジで……。
「おい、あんた!」
それに逆上した慎吾さんが、もう一方の私の腕を掴み自分の方へと引き寄せた。私は小田桐の手から逃れる事ができ、その勢いで慎吾さんの腕の中にポスンと体を預ける結果となる。
それを見た小田桐は、何故か急に真剣な表情に変わった。
「――お前、本気なのか?」
「は?」
「こいつの背負ってる過去。それごと全部、お前一人で背負いきれるだけの覚悟があるのかって聞いてんの」
「な、んだよ。それ……」
小田桐のその言葉を聞いて、忘れていた過去がじんわりと蘇ってきた。いや、本当は忘れてなどいないのだ。忘れたくても――忘れてはいけない事。
慎吾さんは勿論、学生時代の友人ですら知らない事を――小田桐は知っていた。