名前を教えてあげる。
「そう…良かったね…」
ジャーという勢いのある音でもう会話は出来ない。磨りガラスの向こうの順の影が消えた。
ライブハウスのある横浜から、深夜なら電車で1時間以上掛かる。
それなのに、夜の国道はとても空いていて、[駅にいます。今から帰ります]と
メールしてから40分程で家に着いてしまった。
「怪しまれちゃったかな……
…大丈夫だと思うけど」
兄のような存在の男友達とライブに行き、ファミレスでご飯を食べた。バイクで送ってもらった。
ただ、それだけだ。
たいしたことじゃない。
でも、順はそれすら許してくれないだろう。
他愛ない嘘。誰も傷つかない為の。
針の先ほどの罪。
哲平と過ごした時間の余韻に浸りたくて、美緒は蛇口をさらに廻し、シャワーの水圧を強める。
太陽についた嘘は洗い流してしまいたかった。
たいしたことじゃない……
美緒は自分に言い聞かせ、クレンジングオイルを手のひらに取る。
哲平に可愛い、と思ってもらいたくて、アイシャドウを濃くしたメイク。
多分、成功したと思う。
「美緒、夜食に梅干しとおかかのお握りを作ってくれる?明日模擬だから」
再び、磨りガラスの向こうから順の声がした。