名前を教えてあげる。
『美緒?』
紀香が素早く異変を察知して、声を尖らせた。
『なに…美緒、どしたの⁈』
「…や…」
『えっまさかレイプされそうとか⁈……逃げられる⁈…』
紀香のこんな突拍子もない発言はいつもだったら笑うツボなのに、それどころじゃなかった。
子供が泣く声がした気がしたからだ。
…今日は土曜日で、光太郎も仕事。美緒は昼から勤務で、恵理奈は1人で留守番しているはずだった。
美緒は鉄の扉の前に立ち尽くす。
『……きいてる?美緒!110番しようか⁈』
耳元の叫び声に、はっと我に返った。
「あ、ごめん。大丈夫。
家に着いたから電話切るね。あとでラインするわ」
早口で言って、一方的に切った。
「何事もありませんように…」
パンドラの箱を開ける気持ちでドアを開けると、嫌な予感は的中した。
居間には炬燵を囲んで光太郎と恵理奈がいた。
光太郎は憮然とした顔で、お笑い番組を観ている。
その向かいで恵理奈は炬燵ぶとんに顔を埋める格好で泣いていた。
「な、なあに〜どうしちゃったの?
恵理奈あ、おもてまで泣き声聞こえてたよ〜」
母親の美緒の帰宅に、しゃくりあげながら恵理奈は顔を上げた。真っ赤な頬っぺたにはいく筋もの涙の線が付いていた。