名前を教えてあげる。
トランクから美緒のボストンバッグを運び出した哲平が身を屈め、素早く美緒の唇を奪った。
「うっ…」
美緒はびっくりして、思わず後ずさる。
まだ少し明るいのに…と内心焦ったけれど、幸い、人通りはなかった。
(大丈夫…こんなところに順は、絶対来ないし……ここは今までの礼をきちんというべきだよね….)
そう思い直し、哲平の前に立った。セミロングの髪を右手で整えながら。
シートに擦れてしまい、後ろの髪がボサボサになってしまっていた。
「哲平。いろいろありがとうね。
私、哲平がお兄ちゃんみたいな感じがしてた。エッチしてるのにお兄ちゃんておかしいかもしれないけど…ベトナムでも元気でね」
哲平は、ふっと目を伏せた。片方だけの唇の端がクッと上がる。
「……あいつと別れても、俺のとこぜってえ、来るなよ」
「え?」
噛み合わない会話に美緒は、首を傾げた。
「それ、どういう意味?」
肩に担いだボストン・バックを肩に掛け直し、美緒は哲平を見上げるようにして訊いた。
「はは。なんでもねえよ。フラレタからさ、正直ムカついてる。でも、いいよ。他の男と結婚する女なんてさっさと忘れる。
最後までいい思いさせてくれてありがとう」
哲平はポケットに両手を突っ込み、自分の足元に視線をやりながら言った。口元だけで、笑っていた。