名前を教えてあげる。


トランクから美緒のボストンバッグを運び出した哲平が身を屈め、素早く美緒の唇を奪った。


「うっ…」


美緒はびっくりして、思わず後ずさる。

まだ少し明るいのに…と内心焦ったけれど、幸い、人通りはなかった。


(大丈夫…こんなところに順は、絶対来ないし……ここは今までの礼をきちんというべきだよね….)


そう思い直し、哲平の前に立った。セミロングの髪を右手で整えながら。

シートに擦れてしまい、後ろの髪がボサボサになってしまっていた。


「哲平。いろいろありがとうね。
私、哲平がお兄ちゃんみたいな感じがしてた。エッチしてるのにお兄ちゃんておかしいかもしれないけど…ベトナムでも元気でね」


哲平は、ふっと目を伏せた。片方だけの唇の端がクッと上がる。


「……あいつと別れても、俺のとこぜってえ、来るなよ」


「え?」

噛み合わない会話に美緒は、首を傾げた。


「それ、どういう意味?」


肩に担いだボストン・バックを肩に掛け直し、美緒は哲平を見上げるようにして訊いた。


「はは。なんでもねえよ。フラレタからさ、正直ムカついてる。でも、いいよ。他の男と結婚する女なんてさっさと忘れる。
最後までいい思いさせてくれてありがとう」


哲平はポケットに両手を突っ込み、自分の足元に視線をやりながら言った。口元だけで、笑っていた。



< 427 / 459 >

この作品をシェア

pagetop