名前を教えてあげる。
なぜ笑うのか訊きたかったけれど、早く帰らなくてはならない。
照れ隠しなのかな、と思うことにした。
「哲平に会えて良かったよ」
「ああ。俺も同感」
美緒は哲平と車の影で、最後の抱擁を交わした。
息を切らし、家路を急いだ。
アパートの前の駐車場にゴルフが停まっていた。
美緒はもう、アナザーワールドのミオではない。
異世界の恋人とは別れ、現実に帰ってきた。順と恵理奈がいる世界へ。
美緒の足は1階の角部屋を目指し小走りになる。順が待つはずの、古びた建物の2Kの我が家。
木目調の安っぽいドア。左上の表札には、順の手書きで『中里』の文字。
はやる気持ちを抑えながら、ドアノブを回すと、鍵は掛かっていなかった。
「ただいま!」
美緒が玄関ドアを開けると、家の中は静まり返っていた。
「順!寝てるの?大丈夫?
ごめん、道路混んでて、遅くなっちゃった!」
パンプスを脱ぎながら、中にいるはずの順に喋りかけるが、なんの反応もない。
いつも履いているプーマのスニーカーはあるのに……
「順?」
不思議に思い、中に入る。
キッチンのシンクは乾いていて、使った形跡はなかった。