名前を教えてあげる。
順が知るはずのない、さっき別れたばかりの男の名前。
その名前を順が発音した。
ズキン、と胸の先端に痛みが走った。
まるで、何かを主張するように。
さっきまで車の中で哲平は、美緒のその部分を口に含んで弄んでいた。
「あっ……」
男の唾液で汚れたままの体を順に見破られた気がして、慌てて両手を交差させて胸を隠した。
ドクドクと心臓が早鐘を打つ。
「……」
カサカサに渇いた順の厚めの唇が、次の言葉を言いたげに動く。
でも、声にならない。
その悲しげな順の瞳の中に、狼狽した自分の姿を見つけた美緒は、全身がガクガク震え出すのを抑えられなくなった。
順はまつ毛を伏せた。
美緒は呼吸が止まりそうな感覚に襲われ、立っていられなくなる。そばにあったパソコンデスクに手をついて、身体を支えた。
恐ろしいことが起きた。
起きてはいけないことが起きた。アナザーワールドと現実が混じり合ってしまった……
「嘘、哲平が電話なんて…どうやって?なんで……」
哲平が……
大好きだったのに。
兄のような存在だと慕っていたのに。
100パーセント信用していたのに…
笑顔の裏で哲平は、自分を憎んでいた…
隠されたどす黒い感情に、ただただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。