名前を教えてあげる。
矢田が立ち去った後、部屋の中で代理人とローテーブルを挟んで向かい合った。
「あ。ちょっとお待ち下さい」
お茶を淹れようと美緒が茶碗を取り出すと、
「恐縮ですが、お茶などは、遠慮させて頂きます。手短かに要件を済ませて頂きたく存じます」
と冷たく言われてしまった。
仕方なく、自分のお茶だけ淹れた。
「私(わたくし)はハナと申します」
(ハ、ハナ…?)
男の差し出した名刺には、
[弁護士 鼻 隆(はなたかし)]とあって、美緒は場違いにも心の中で吹いてしまった。
痩せぎすで、淋しい頭髪を整髪料で固めた男は銀の細いフレームの眼鏡を掛けていて、年齢不詳だった。
うだつの上がらない目の前の男が、弁護士なんて意外だった。
(同じ職業なのに、俳優みたいな順の叔父さんの秋津ヒロとは全然違う……).
美緒の不謹慎な胸のうちなどどうでもよい鼻弁護士は、分厚い手帳を広げ、淡々とした口調で語り出した。
「この度は、中里順さんとのご婚約が白紙になりましたことについて、中里総一郎様よりご依頼を受けて参りました」
婚約が白紙…….
美緒はマグカップを両手で持ちながら、呆然とした。
順がリングを外して出て行った。
二晩泣き明かした美緒の中には、なんとなく覚悟が出来上がっていた。